エルフの渡辺3

第四章 渡辺風花は幸せを信じている ⑨

「図鑑写真は、メイン被写体に属する以外の要素は可能な限り排除しなきゃいけない。このピンクのプルメリアの周りには他にも色々なものがあって、花単体だけを撮るには被写界深度を深くして、花にぎりぎりまで接写するって工夫が必要になる。でも……」


 プルメリアの花は一輪だけ単独で咲くのではなく、密集して複数の花が咲く。

 被写界深度を深くしすぎると、ちょっとレンズから距離があるだけでピントがずれてしまい、同じ花を写しているのにぼけて写ってしまう。


「ピントがぼけているものは、被写体を引き立てはするけどメインの情報ではない、という記号にもなる。それだと図鑑写真としては、ちょっと問題がある。フレームの中に必要な情報は、メインの被写体に強く関係するものに絞られてなきゃいけないからね。この部分が違う、ってのはちょっと雑音になるかな」

「うう、なるほど。ムズいな」


 行人の指摘を真剣に聞いた泉美は、なんとかして効果的な画角が無いかどうかを探し始める。


「いつもこれくらい素直に聞いてくれればいいんだけど」

「泉美ちゃんは根は真面目すぎるくらい真面目だから、それだけ今、写真も面白いって思ってる表れだと思うよ」


 ピンクのプルメリアのそばにしゃがみ込みながらああでもないこうでもないと悩む泉美の顔を、風花は愛おしそうに眺める。


「そういえば渡辺さんもさ」

「え?」

「植物に詳しいのは知ってたけど、さっきのナンヨウソテツとかプルメリアとか、普段見ない植物のことパッと言えるの、単純に凄いと思ったよ」

「ふふふ。大木くんはまだ甘い。ソテツもプルメリアも、ちょっとお値段高めのお花屋さんに行けば普通に売ってるよ」

「そうなの? でもそんな誰でも知ってるような植物じゃなくない?」

「私が詳しいのなんて、大体が植物好きな人なら当たり前の身の回りにあるって知ってるものばっかり。知ってるものだけ詳しいってやつ。例えばあれ見て」


 風花は少し離れた場所に展示されている、根菜のようなずんぐりした幹から幅広の葉が花火のように浮かんでいる行人の背と同じくらいの高さの木を指さす。


「あの木、何だか分かる?」

「え? 何だろう。なんか、見たことある気はするんだけど、なんだっけ、バオバブ?」

「今の段階だと似てるかもね。バオバブはもっと幹が上の方までずんぐり丸くて、細かく枝が別れるのは樹高の上側二割くらいの高さなんだ。あれはね……ふふふ、絞め殺しの木、って呼ばれてるんだよ」

「随分物騒なあだ名だな。何でそんな名前がついてるの?」

「寄生した宿主の植物を、気根っていう根っこで絞め殺すから」

「え? マジで殺すの?」

「うん。鳥に運ばれた種が宿主の幹の上や傷なんかに落ちて、そこから地上に向けて触手みたいに根を伸ばすの。その過程で宿主は気根に太陽光を遮られちゃって、死んじゃうんだ」

「怖っ」

「でも地面に植えればああやって普通の木と変わらない立ち方もする。温帯から熱帯に広く分布してるけど、熱帯雨林なんかでは地上に根を伸ばす様子が雨降りっぽいからレインツリーなんて呼ばれるんだ」

「へぇ……なんか寄生する植物ってもっとグロテスクだと思ってたけど、全然普通だね」

「うん。でも多分、ソテツとかと一緒で日本でも普通に売ってるし、大木くんも名前、聞いたことくらいあるんじゃないかな。ガジュマル」

「あ! うん。ガジュマル! 聞いたことある。あれだよね、沖縄かどっかの」

「そうそれ。絞め殺しの木なんて聞くと怖いけど、ヨーロッパだと盆栽に使われたりする身近な木だよ。ちなみにだけど、きくらげを栽培するときの原木に使われたりもしてます」

「えぇ……」

「とこんな感じで、やっぱり私の知ってることって、どこまで行っても私の守備範囲でしかないんだ。だから詳しいとか専門知識持ってる、って言われても、割と本気でそんなことありません! って言っちゃうかも。人よりほんの少し好きなだけで、私より詳しい人なんか同年代でもいっぱいいるし」

「そんなことあるかなぁ。俺にしてみれば、渡辺さんほど花や植物好きな人いないだろって思うけど」

「じゃあ私の目には、大木くんはプロカメラマンと遜色ない腕前と知識を持ってるように見えるんだけど、それ、素直に聞いてもらえる?」


 行人は思わぬ反撃に鼻白み、そして納得する。


「んーなるほど。そういう感じ?」

「なの。もちろん平均以上って自覚はあるよ。でも、自分の中ではまだまだ。今だって幸いソテツとプルメリアとガジュマルなんて、自分が分かるのだけ指さして偉そうにしてるけど、あっちの背の高い木とか、あの果物っぽいのとか、見たことないもん」


 風花は恥ずかしそうに舌を出した。


「でも大木くんに詳しいって思ってもらえると悪い気はしないし、凄いって思ってもらいたいから、知ってる詳しいことだけ小出しにするっていう、ズルもします」

「ズルじゃないよ。そんなこと言ったら俺だって知識は受け売り、実践経験は大したことないし、小滝さんに伝えられてないことなんか沢山あるから」

「知識の質や量も大事だとは思うよ。でも結局、本当にそれが好きかどうかは伝えられてる方もきっと分かるもん。だから、大丈夫だよ。だから泉美ちゃんも、きっと楽しく写真やれてるんじゃないかな」

「だといいんだけど」


 熱心にカメラの設定をいじる泉美の横顔を親のような心持ちで見守る行人だったが、風花を尊敬するポイントが自分にカメラの形で跳ね返ってきたため、ふとした疑問が湧いた。

 もっと前から聞いてもよさそうなものだったが、今になってこんなことを聞くのが、自分でも不思議だった。


「そう言えばさ」

「ん? なぁに?」

「渡辺さんはどうして草や花を好きになったの?」

「あれ、言ったことなかったっけ。昔ね……」

「風花ちゃん風花ちゃん! ちょっと来て!」

「え? えっ? 何なに?」


 行人の問いかけは、泉美の勢いに遮られた。

 風花は泉美に袖を引っ張られ、ピンクのプルメリアの前にしゃがまされてしまう。


「ねえ風花ちゃん。ちょっとそのプルメリア、スマホで撮ろうとしてみてくれない?」

「あ、うん分かった。こんな感じ?」

「そーそー! そのままこっち見ずにじっとして……こう!」


 泉美は気合いたっぷりにシャッターを切ると、得意満面にプレビューを行人に見せつける。


「つまり逆に、プルメリアに被写体パワーを集めつつ図鑑写真にしないって、こういうことなんじゃないの?」


 そこには穏やかな笑顔でプルメリアの撮影をしている女子高生、渡辺風花の姿が写っていた。


「これなら前みたいにグラビアの猿真似にもならないんじゃない!? 植物園で、すっごく可愛い風花ちゃんが、珍しい花を興味津々に撮ってるから5W1Hも結構いい塩梅にパラメーター振られてると思うよ!」


 行人は、自分の会話が遮られてしまったももの、泉美が真剣に写真に取り組んでいるため思考をこちらにシフトする。


「その通りその通り! 自分で被写体が輝く構図を作れるようになったら大きな進歩だよ」

「じゃあこれコンテスト用に応募できる?」

「いや無理かな」

「めっちゃ上げて落とすじゃん!」

「余白多いし、プルメリアの花の向きが悪くて知らない人には何の花か分からない。あと渡辺さんの表情がフラットすぎて、花と視線の関連性が弱い。もう少しモデルに強く意図を伝えないと、写真のメッセージの精度は上がらないかな」

「ええ! 制服の園芸部部長が花見てるんだから十分なんじゃないのー?」

「この写真だけじゃモデルの制服女子が園芸部に所属してるとは分からないでしょ」

「えっ、あ、そうか。えー。ダメ? これ」