エルフの渡辺3
第四章 渡辺風花は幸せを信じている ⑩
「コンテスト用にはできないけど、小滝さんの成長の証ではあるから、プリントして部室に飾ってもいいんじゃないかな。……ん?」
そのとき行人のシャツを、風花がつまんでちょいちょいと引っ張った。
「大木くんは、私のこと撮ってくれないんですか」
少し不満そうに口を膨らませているのが、心臓に悪いレベルで可愛くつい顔が緩んでしまい、視界の端でしっかり行人の表情の変化に気づいた泉美が、風呂場のカビを見るような顔になる。
「え、あ。じゃあ……小滝さんが指示した位置から三歩くらい後ろに下がった所で立ってくれる?」
「はーい」
風花が指示された位置に立つと、行人は風花の正面ではなく背後に移動する。
「で、特に強く意識しなくていいから、プルメリアを真っ直ぐ見てくれる?」
「こう、かな。レンズは見ない方がいいんだよね」
「うん。そのままちょっと待ってね」
言いながら行人は、三脚にデジタル一眼を固定すると、地面に立てるのではなく持ち上げて、レンズが風花を背後から見下ろすような画角を取った。
そして、予め設定していたタイマーで連写する。
「もういいよ。お疲れ様。ええと、これがいいかな」
行人はプレビューで連写した写真の中から、一枚を選んで二人に見せた。
「おー!」
「ぐっ」
風花は感心したように目を見開いて小さく拍手をし、泉美は自分が撮った写真との差異を理解して顔を顰める。
「植物園を散歩中に偶然気になる花に巡り合った女の子、って感じかな」
高い位置から撮影したので地面近くの色々な要素が写り込んでおり、その中でも特にプルメリアの花と、それを解説する小さなプレートが目立つ場所に写り込んでいた。
そのことだけで写真の中の女子高生が植物を展示する場所にいることが分かる。
更に時間帯と建物の角度の問題で、中に差し込む夏の強い光がミストを通ってプルメリアのすぐそばに虹を生じさせていた。
そして風花を後ろから撮ったため、顔全体が写らず、表情から最も強く読み取れるのはプルメリアに向かう視線。
「ぐ……わ、分かる。この子が、この花を好きだって、分かる……!」
「解説パネルとミストが写ってるから、私が日差しが強い季節に学校の制服で植物を展示する施設に来る子って分かる写真だね!」
「まあさすがにまだ園芸部ってことは分からないけど、花や植物に興味がある女の子、ってことはこの写真から伝わると思う。虹は嬉しい偶然だけど、やりすぎって思われるかもね。コンテスト用になるかどうかは、ぎりぎりの線かな」
「そんな連写とかアリなの!?」
「アリだよ。というか小滝さんだって、バレーの試合中に連写機能使ってたでしょ。むしろこういう場合は積極的に使っていくとこ」
「うぐうう。うぬう」
泉美は自らを落ち着かせるように大きな唸り声を上げると風花の肩をがっしり摑む。
「な、何、泉美ちゃん」
「……風花ちゃんもさ、遠征の記録、一応学校に出さなきゃいけないんだよね?」
「う、うん。そうだけど……」
「……センパイ、悪いけど出来立てのカノジョ、連れまわすよ」
「あ、え? 小滝さん?」
「センパイが風花ちゃんの彼氏でいいし、写真の技術が負けてんのも仕方ない。でも……私が一番風花ちゃんを可愛く撮れるんだから!」
「あ、ちょ、お、大木くん置いてっちゃああああ…………」
泉美が風花を引っ張って、次なる撮影スポットを探しに行ってしまう。
「おいおい、写真部だって活動報告を先生に提出しなきゃいけないから、ずっと別行動は勘弁してくれよ」
行人はその場に忘れ物がないかどうかをざっと見まわしてから小さく嘆息するが、自分が泉美を焚きつけた部分もあるのであまり強いことも言えない。
「どうしたもんかな。もうちょっと言い方あったかなぁ、帰るまでになんとか機嫌を直してもらわないと……」
「大丈夫ですよ。学校への報告は、外部指導員の私がきちんとやりますから、大木部長も折角ですから、自由に色々なものを撮ってもらえれば」
その声がしたとき、行人は驚かなかった。
元々、この植物園で合流することは決まっていたのだ。
そして彼女は、決して自分達を害そうとする気配は見せていない。
その正体もはっきりしていて、エルフのことを知らない哲也や五島教諭、その他多くの学校関係者の知る人物だ。
ただ、単に行人と風花にとって、敵か味方か、そのどちらでもないのか、判断がつかないだけで。
「お貸しした全天球カメラの使い心地はどうでしたか?」
「慣れない機械をぶっつけで使うもんじゃないですね。折角お借りしたのに、哲也には見せられない写真を撮っちゃいました」
行人はごく自然にそう言うと、自撮り棒にくっつけたままの全天球カメラを差し出した。
「安心してください。同じ画角とはいきませんが、大木部長と小宮山君と、渡辺さん、小滝さんが一緒に写っている写真は撮っておきましたから」
そう言うと、湊川夕夏は穏やかに微笑み、カメラを受け取った。
「渡辺さんの評価はそう外れたものじゃないと思います。大木部長は、もう少し経験と人脈を得ればプロの現場で働けますよ。私が保証します」
「どこから聞いてたんですか」
「これでもめちゃくちゃ急いだんです。電車は一本遅いともう追いつけないんでタクシー拾って、ちょうど小滝さんがピンクのプルメリアを撮り始めた頃にはここにいたんですが、大木部長の熱心な指導を邪魔しちゃいけないなと思って。……渡辺さんの姿を、フィルムカメラでは撮らないんですか?」
その問いがもう、ある意味自白したも同然だった。
そのタイミングで行人達を見ていたなら、行人と泉美が風花を撮っている姿を見ているはずだ。
行人は警戒レベルを一つ上げてから、答えた。
「音がするの、知ってるでしょ。ガラスの温室だってあるんですよ」
「ああ、なるほど。確かに周りをびっくりさせちゃいますよね」
夕夏は、買い物のときに財布の中に大きな札しかなかったレベルの自嘲を浮かべた。
「まさか俺が考えナシに、こんなところで姿隠しの魔法を破ると思ってたんですか。俺は試合会場で平気で騒音鳴らしまくる人達とは違いますよ」
異世界ナチェ・リヴィラのことは、特段緊張して秘匿しなくとも、良識をわきまえて普通に生活している分には、何も知らない人間に露見することはまずあり得ない。
だからといって、何も考えずに地球でナチェ・リヴィラの物事、事柄をあけっぴろげにしていいわけでもない。
写真撮影とは、行うにあたりTPOをわきまえることが何より重要である。
それなのに高校生達が日本一をかけて全力で戦っている試合会場で何度も響いたあのガラスの割れるような音は、一人のカメラマンとして、そしてナチェ・リヴィラに関わる地球人として、許しがたいことだった。
事故や事件の凄惨な現場や被害者を無遠慮にスマホで撮影する野次馬。
大勢の要救助者が助けを待つ災害現場にヘリでおもむき騒音で救助を妨害するマスコミ。
鉄道会社の定めるルールや一般常識レベルのマナーや法律を守らない鉄道写真マニア。
カメラと写真を愛する者として唾棄すべき『似非写真家』の中に今、無遠慮に騒音を立てて異世界からの来訪者の隠された姿を暴こうとするカメラの持ち主が加えられようとしていた。
「あれはちょっとした手違いなんです。近いうちにアップデートで対応する予定だそうですから、今日のところは勘弁してください」
「は? アプデ?」
いきなりスマホアプリの運営のようなことを言い出す夕夏のその物言いに初めて、写真家の持つ傲慢さを感じた行人は顔を顰めた。



