エルフの渡辺3

第四章 渡辺風花は幸せを信じている ⑬

「これまでは、このフィルムカメラでなければ、サン・アルフの真の姿を写すことはできませんでした。ですがこれからは、この全天球カメラに使われている特殊な半導体さえあれば、サン・アルフは自分の真の姿を見ることができるんです!」

「……風花ちゃん。センパイ。行こう」

「ちょちょちょちょっと!?」

「うるさいなあ。何寝ぼけたこと言ってんの? エルフの正体を暴いて、それで何で魔王討伐をしなくて済むって話になんの。意味分かんない」

「だからそれをこれから話すんです! お願いですから、少し辛抱してください! 大木部長だってこのカメラが何なのかは気になってるでしょう? これから渡辺さんを撮っていく上で、カメラの正体を知るのは大事なことだと思いませんか!?」

「……大木くん。聞こう」

「いいの? 渡辺さん」

「……面倒だけど一理あるよ。これから大木くんにあのカメラで写真を撮ってもらうのに、このカメラがどんな由来があるのかは確かに知っておきたい。そうじゃないと、前にお母さんが監査を受けたみたいに、大木くんや泉美ちゃんにナチェ・リヴィラ側から迷惑がかかる可能性がありそうな気がするから」

「湊川さんが本当のこと言ってる保証は無いよ?」

「だとしても、湊川さんがナチェ・リヴィラと関係してることは間違いないもの。そんな人が何を言うかは聞いておきたいの。噓か本当かは、後から考えればいいことだし」

「……分かった。渡辺さんがそう言うなら」

「じゃ、じゃあ聞いていただけるんですね。あの、座って下さい。何か飲み物買ってきますから」

「いいです」

「私も。自分で買ってくる」

「俺も、さっきのアイスコーヒー代は払います」


 学生たちの冷たい声に、夕夏は拍子抜けしたように財布を取り出しかけた手を止めた。

 そして不満そうに腰を下ろしつつも、風花と泉美が売店から飲み物を買ってくるのを待つ。

 そして三人が行人を中心にして対面に座ったのを確認してから、少しテンションが下がった様子で話し始めた。


「まずこのカメラのメーカーと名前ですけど、大木部長はご存知ですか?」

「いえ。それらしい刻印はどこにもなくて、極端に特徴的なわけじゃないからネットの画像検索でもヒットしなくて」

「無理もありません。このカメラが作られたのは冷戦時代に一年間だけ。旧ユーゴスラビアで、旧東側の会社が作っていた産品の中の一つなんです。機体名は『HUDICOKO』。東西ドイツやポーランドを通して西側にも少量ですが輸出されていました」

「はあ……ひゅーでぃこっこ?」


 今のところは真偽を確かめようのない話だが、夕夏がスマホで表示したアルファベットの並びには、とりあえず視線をやる。


「英語読みではそうですね。元々はスロベニア語で『魔の眼』とか『地獄の眼』という意味なんだそうです」

「魔の眼。魔眼……」


 風花が小さく呟いたことに、夕夏は少しだけ嬉しそうに口の端を上げた。


「カメラ本体に刻印が無いのは、当時の西側では国によっては東側の製品を持っているだけで政治犯として逮捕されたりコミュニティから迫害される国があって、そうならないために西側の輸入業者が刻印を削ったんです。輸出側も、生産の後期にはそもそも余計な刻印を刻まない、ってことにしたみたいですね。カメラとしての性能は、それを使った写真でコンクールに入賞した大木部長は、よくご存知かと思います」

「……まぁ、それは、えぇ」


 写真の内容や撮影した状況にもよるのだろうが、確かにデジタルカメラで撮影された写真が大多数を占めるであろう令和時代の学生向けコンテストで評価を得られる程度には、画質が良いということになる。

 冷戦期にそれほどの性能があれば、なるほど西側にも大きな需要はあっただろう。

 刻印を消してでも密輸入したかった人間がいたであろうことは想像に難くないし、それが巡り巡って父のような現代のプロカメラマンの手に渡ったというのも、現代の中古カメラ市場のことを考えれば十分にあり得る話だ。

 そのような生産と流通の経緯を辿ったのであれば、ネットで検索できないのもあり得なくもないように思える。

 少なくとも自分の検索の仕方では、一生辿り着くことはできなかっただろう。

 そしてここまでの話は、なるほど筋は通っているように思える。

 だが問題はこのヒューディコッコなるカメラの出自ではない。

 何故そのカメラのファインダーを通すと、謎の光を見ることができ、かつ姿隠しの魔法を破れるのか、だ。

 その疑問を問いかけた行人に、解説をすることで活力を取り戻したらしい夕夏が得意げな顔で言った。


「もちろんこのカメラを使って、姿隠しの魔法を破りたい人がいたからです」

「エルフってこと?」

「その通りです小滝さん。でもこの時代のエルフは既に、ナチェ・リヴィラの浮遊監獄島に押し込められ、地球での活動は見張られていて、こんな工業製品を秘密裏に作れる立場にありません。ここまで言えばもうお分かりになるかと思います」


 エルフでありながら、ナチェ・リヴィラの人間に捕捉されず、地球にいるエルフの正体を見破りたい存在。

 そんな存在、一人しかない。


「魔王、ってことですか」

「あんまり驚かないですね。びっくりしませんでした?」


 行人が淡々と答えを述べたので、直前まで得意げだった夕夏はまた不満そうに眉を顰めた。


「そこまでヒント出されればナチェ・リヴィラに関わる人間は大体分かりますよ」

「そうですか? まぁ別にいいですけど……とにかくその通りです。ヒューディコッコは魔王様が、ナチェ・リヴィラから地球に刺客としてやってくるサン・アルフを見つけ出すために開発したものなんです」

「え?」


 行人は強烈な違和感を抱いたが、それよりも先に風花が尋ねる。


「生産していたのはたった一年なんですよね? しかもフィルムカメラくらいで何人いるか分からないサン・アルフを見つけられるとは思えないんですけど」

「時代を考えてください。今みたいに誰もがスマホで世界中に写真や動画を共有できる時代じゃないんです。ナチェ・リヴィラから逃げている魔王が身の安全を確保するには公的機関が民間人の行動を強く制限している東側の方がずっと安全だったんです」

「む……そ、そうなの? 大木くん。東側ってそんな怖いとこだったの?」


 そう言えば風花は、単純に世界史が苦手だった。


「まぁ、不自然な話ではないとは思う。国によっては昭和や平成にイメージされていたほどにはギチギチな管理社会ではなかったらしいけどね。ちなみに東側の製品持ってたり渡航歴があったりしただけでコミュニティから弾く運動が西側であったって話も本当。レッドパージって言ってね」

「ふ、ふーん……」


 夕夏に強い姿を見せたいのに、肝心なところで強く出られないのが何となく風花らしい。


「でもそんな目的があるなら何でそのカメラは一年で生産中止になっちゃったんですか」

「上から目をつけられたんです。上っていうのは会社の社長とかではなく、政党系企業から。性能が良すぎる、って」

「へ?」

「政党系企業の生産していたカメラより性能がいいのはけしからん、ってことで政府からお叱りがあったとかで、お取り潰しになったんだそうです」

「えぇ……」

「大名家じゃあるまいし」

「そういう話はありそうと言えばありそうだけど……」

「でもとにかく、その頃の魔王様の潜伏先はユーゴスラビアだったんです。もちろん今は違いますよ」


 何百年もの時間をかけてナチェ・リヴィラ中の人間が行方を追っている存在の、過去の事とはいえ位置情報をあっさりとリークする夕夏。

 風花が見たことのない皺を眉間に寄せている。