エルフの渡辺3

第四章 渡辺風花は幸せを信じている ⑭

 どうやら風花は、顔に力が入ると耳の角度が少し上向くらしい。


「今はどこにいるんですか」

「私は知りません。私自身は魔王様にはお会いしたことありませんし。ですが魔王様に限りなく近い幹部の方にこのヒューディコッコと、この」


 夕夏はこれ以上ないほど得意げに、自分の右の瞳を指さした。


「魔眼をもらったんです! 凄いことだと思いませんか! うだつの上がらないカメラマンだった私が魔法の力を手に入れて、しかも異世界の虐げられた民族を救えるかもしれないんですから!」


 行人は腰かけている尻がむずむずしてくるし、泉美はもうずっと不機嫌さを隠そうともしていない。

 だが風花が一応耐えているのだから、先に行人達が席を立ってしまうわけにもいかない。

 どれだけ違和感と居心地の悪さと呆れがあろうとも。


「そこが上手く繫がりません。地球の魔眼の持ち主が、どうしてサン・アルフを救えるなんて話になるんですか」

「決まってるじゃないですか! サン・アルフは生まれながらに自分の姿を見ることができないのは、ナチェ・リヴィラの民族抑圧政策なんでしょう?」

「ええ。ですがそれは……」

「大昔、魔王様がナチェ・リヴィラで引き起こした大災厄が原因。それも知ってます。でもその大災厄の原因そのものが、サン・アルフではなく人間側に原因があるってことも、当然ご存知ですよね?」

「!」「……」


 それは行人にとっても、そして恐らく泉美にとっても初めての情報だった。

 二人も思わず眼だけで風花を見るが、風花は全く動じずに夕夏をひたと見ている。


「元々サン・アルフはナチェ・リヴィラで迫害される民族だった。そんなサン・アルフを救おうとして立ち上がったのが魔王様だった。そうじゃないんですか」

「……」


 風花は、答えない。

 先ほどと違って、壁を作っているのではなく、最適な言葉を探しているようにも見える。

 たっぷり一分は黙り込んでから、風花は夕夏ではなく、行人と泉美に言った。


「前に二人には話したかもしれないけど、私達サン・アルフは、そこまで寿命が長いわけじゃないんだ」

「ああ、うん」

「こっちのファンタジーだと千年とか平気で生きるみたいな設定あるもんね」

「ただ地球に来るようになってすぐの頃のサン・アルフの寿命は、確かにその頃の地球人より遥かに長かったんだ。中世以前に百歳以上は生きるサン・アルフは、当時の人にとっては常識外れに長生きで、それこそ妖精とか神様みたいに見えたかもしれない」


 その瞬間、行人は小さく息を吞み、そして行人のその反応を風花はしっかりと感じ取った。


「大丈夫だよ、大木くん。大木くんに、私を置いて行かせたりしない」

「え?」

「サン・アルフの健康寿命は健全な食事と適度な運動と安全に対する配慮から生まれるのは、地球と一緒。だから」


 テーブルの下で、風花は行人の手をそっと握る。


「私は、ずっと一緒にいたい」

「渡辺さん……」

「だから」


 風花はそこで改めて、夕夏に向き直った。

 そして言う。


「湊川さんがこれから私に何を提案しても、私と大木くん、それに泉美ちゃんも、それに乗ることはありません。それで良ければ話してください」

「は?」


 夕夏の表情に、ここで初めて不快感を覚えたような負の感情が乗った。


「それは、どういう意味ですか」

「言葉通りの意味ですよ。湊川さんの提案に私は決して乗らない。万が一にもないでしょうけど、大木くんと泉美ちゃんがその話に載ろうとしたら、私は全力でそれを止めますから、それを了承した上で話してください。本当なら話を聞く必要すらないんです」

「それは……ちょっと失礼な話ですね」

「そうでもありませんよ。だって……」


 余裕が失われてゆく夕夏に比べ、風花には余裕を越えた、固い意志の壁が着々と築かれてゆく。


「湊川さんがこれから言うこともきっと、大分私に失礼ですから」

「……それは、どういう」

「当ててみせましょうか。これから湊川さんが、そのカメラと魔眼を材料にして私達に、何を言いたいのか」


 その途端、ミストと日陰では抗いようのない強い暑さの中に涼やかな風が吹いた。

 行人は知っている。

 これは風花が起こす、魔法の風だ。


「虐げられ飼いならされたサン・アルフを魔王討伐の宿命から解放し覚醒させ、魔王とともにナチェ・リヴィラの人類に反旗を翻そう、じゃないですか?」

「あ……っ」

「サン・アルフの民族としての誇りを取り戻そう、も追加しておきます?」

「い、や……その、でも、そう、なら話は、早いです。その、分かっているなら」

「やりませんよ」

「え」

「やりません。人類に反旗を翻したりしませんし、魔王討伐はこれからも続けます。私達が魔王に同調することは、決してありません」

「い、いやそれは、私の話を聞いてからでも……」

「時間の無駄だと思います。引き合いに出してくるのは民族への貢献ですか。民族の誇りですか。子ども達への明るい未来ですか。それともまさかとは思いますけどお金ですか」

「……」

「定期的にあることなんです。私達のこの、自分の姿を見ることができないことをアイデンティティの喪失だとか、民族浄化だとか言って、それを破る方法を見つけた。あなた達を助けてあげるから、一緒にサン・アルフの誇りを取り戻そう。それがサン・アルフであるあなたが選ぶべき道だ、選ばなければならない道だ。選ばないのはおかしい……って、私達の『正しい生き方』に『導いてあげる』って言い方をするの」

「それは……中にはそういう上からの物言いをする人間がいたかもしれません。でも、渡辺さんだって、監獄島なんて場所に一族ごと押し込められて、生まれたときから自分の姿も知らず、自分達を監獄に押し込めてる人間のために努力しなければいけないなんて、おかしいと思いませんか?」

「そういう言い方をすれば、まぁ正しくはないんでしょうね」

「でしょう? ですがそもそもそれは魔王様がナチェ・リヴィラで悪いことをした、という話が前提になっているからそんなことになってるんです。元々魔王様はサン・アルフの誇りのために立ち上がり、その行いはサン・アルフにとっても決して間違ったことじゃない。ならば今のサン・アルフの置かれた状況は間違いなんです。サン・アルフの皆さんは本当の人生を取り戻すべきで、そのために地球で、私達のような魔王様の協力者が渡辺さんが自分自身の人生を取り戻すことを助けてあ……」

「あげる、ですか?」

「あ、いや。その。だってサン・アルフの皆さんは、今のままでは目覚めることができ……」

「私も私の母も私の身近な人達も、みんな不幸で、みんな本当の人生を過ごしていないと」

「客観的にはそうです。もちろん今の生活にも楽しいことや嬉しいことはあるかもしれませんが、本来それらは人間の目を気にせずナチェ・リヴィラの広い世界でこそ得るべきだったもので……」

「べき、ね」


 行人の手を握る風花の手に、少し強く力がこもる。


「まぁいいです。前提は分かりました。それで、そのカメラでできることは、姿隠しの魔法を破ることそのものじゃない。魔法の隙をついて、写真や映像に本来の姿を写すだけ。それがどうして、ナチェ・リヴィラでのサン・アルフの地位向上につながるんです?」

「分かるでしょう? あなただって大木部長から真の姿を見せてもらって、嬉しかったんじゃないですか!?」

「それはそうですね」

「でしょう? 今、魔王様は長い年月をかけて多くの協力者を得て、ようやく第二世代のヒューディコッコカメラを作ったんです。いえ、正確には、カメラに搭載する半導体を開発したんです」

「半導体?」