エルフの渡辺3
第四章 渡辺風花は幸せを信じている ⑰
「サン・アルフに心を寄せてくださったことにだけは、お礼を言います。でも、私はあなたの正しさには寄り添えない。確かに現状への不満は色々あるけど、それ以上に今の人生が幸せなんです。大切な人と一緒に、大好きな花や木や草を愛しながら過ごせる今が、何より大切なんです。この幸せを犠牲にしてまで成し遂げなきゃいけないことなんか、私には無い。今も。これからも。それだけ、分かって下さい」
そして三人が踵を返すと、掠れたような声が飛んだ。
「い、いいんですか! このままで! 私は学校に、あなた達に不利な報告をすることだってできるんですよ!」
三人は足を止めた。だが振り返った表情は、困惑よりも呆れが勝っていた。
「馬脚を現すってこういうこと言うんだろね。言うこと聞かなきゃ脅迫だって。目覚めた人ってのは随分怖いこと言うんだね」
「俺は別に構いませんよ。よかったら正式な顧問の携帯電話の番号、教えましょうか」
「大木くんはこう言いますけど、私は大木くんや泉美ちゃんにサン・アルフの事情のせいで迷惑をかけるのが耐えられないので、湊川さんがそんなことをするなら今日のことをお母さんや里の人達に共有します。魔王討伐は今でもサン・アルフの至上命題です。湊川さんにはきっと、沢山のサン・アルフの人達が接触するでしょうね。それでもいいなら、どうぞ」
それぞれに言い捨てて、三人は夕夏を置いて植物園の別の場所に行ってしまった。
夕夏はその背を呆然と見送りながら、やがて腹立たし気にベンチにどかっと腰を下ろす。
「何なのクソガキども……偉そうに偉そうに偉そうに! 私が、私達が、どれだけ、どれだけ精一杯……! このままで済むと思わないでよ! 正義を守らない人間がどうなるか、思い知らせてやらないと……」
「へぇ? どうなるっていうんです?」
「正義か。福井には恐竜だけでなく怪獣がいたりするのかな」
「なるほど。怪獣がいるなら正義の味方がいるかもしれないな」
そのとき、夕夏の背後で行人でも風花でも泉美でもない声がした。
その全ての声に聞き覚えがあった夕夏はびくりと身を震わせると、恐る恐る背後を振り返る。
「な、なんで、こ、ここに……この時間、まだ、旅館でミーティングのはずじゃ……」
そこには長谷川結衣と天海璃緒。そして、男子バレー部顧問の五島教諭が立っていた。
「ちょっと休憩時間に抜けてきたんですよ」
「大木君から、湊川さんの様子がおかしいって聞いてね」
「いやあ、異世界の魔法ってのは、なかなか爽快なもんですな。まさかこの年齢になって、魔法で空を飛ぶなんて夢が叶うとは思わなかった」
「な、なんで……五島先生、魔法って……」
「いやあ、俺がおんぶして飛んで来たんですけど先生は本当、重かったですよ。おかげで魔力がもうすっからかんですよ。長谷川なんかほとんど手伝ってくれないんだもんな」
「先輩が後で魔力枯渇で死なないように、後から補給できる魔力を温存してただけですー。さてさて湊川さん。ここに先生がいることに随分驚いてるようですが、ナチェ・リヴィラの事を知っている大人が自分だけだと、どうして思ったんです? 自分がそんなに特別なんだと思ってしまうような何かがありましたか?」
結衣は眼鏡の奥で冷ややかな笑みを浮かべた。
「私も天海先輩も、バレーボールに命を懸けてます。でもこの前から、世界中でエルフの正体が見破られたかのような写真が撮られるって事件が頻発してたんで、その段階でもう、五島先生には話を通してあったんですよ。私達のことが変なタイミングでバレるよりも先にきちんと話しておいた方がいいと思って。エルフのことや、ナチェ・リヴィラのこともね。結果正解でした。まさか会場であんなにパキパキ、魔法のカメラを使うだなんて」
「大木君達は世の中のそんな騒ぎ、知りませんけどね。俺達、写真の件では彼らに滅茶苦茶迷惑かけたんで、あんま負担になるようなことしたくなくて」
あっけらかんと言う結衣と璃緒を、それこそ異世界の魔物でも見るような眼で見る夕夏。
「ま、まさか学校の先生に言うなんて……」
何より信じがたいのが、五島の存在だった。
線は細いが、それでも全国大会に出場する部を纏めてきた敏腕の顧問教諭であり、その圧力と迫力はおよそ夕夏がこれまでの人生で感じたことのないものだった。
「教師も人間ですからね。それに教師だからこそ、生徒の学校生活には監督責任を負わなければならない。異世界だ魔法だエルフだといった細かいことはもちろんイレギュラーではありますが、結局今回のことは、突き詰めればわが校の生徒が、保護者の与り知らないところで部外者にそそのかされて退学させられそうになっている、という話ですからね。これは大問題です。何も知らない子どもから学業の機会を奪おうとするなど正義に悖る。そうは思いませんか」
そんなことをしている間に、いつの間にか五島が先ほどまで行人が座っていた夕夏の正面にどっかりと腰かけて、運動部顧問らしい押しの強い肉体と顔から圧を放った。
「さて、湊川さん。少し長い話になりそうですね」
そして夕夏の両隣を結衣と璃緒が固める。
「俺、見た目は男ですけど、本当は女です。サン・アルフの真の姿を尊重してくれるらしい湊川さんがまさか、痴漢だなんだとは言いだしませんよね」
璃緒のハスキーで中性的な声で囁かれ、夕夏は遂に観念したのか、がっくりと肩を落としたのだった。
◇
行人と風花と泉美が、あわら温泉駅から東京行きの新幹線かがやきに乗車したのは、空が暗くなってきた十九時少し過ぎだった。
夏休み中ではあるが平日の夜の上りとあって車内は空いており、三人席で通路側から泉美、風花、行人の順に横並びに座っている三人は思い思いに今回の遠征の感想を言い合っている。
「それでセンパイ、今回の写真からコンテスト用の、選んだりするの?」
「そうだね。結構いい写真撮れたと思うんだよ。プルメリアのときのこれもそうだけど、終わりの方に撮ったこれ、結構よくない?」
「どうかなぁ、これギリギリ恐竜の方がパワー強くない? 確かに風花ちゃんはよく撮れてるけどさ」
「ねぇねぇ。私の撮ったのどう? 折角だから私もコンテスト応募してみたいんだけど」
「……ぶっちゃけ風花ちゃんが撮ったやつの方が、センパイのよりよくない?」
「う……ん。この一枚に関してはそうかも」
「え、ええ? そんなことないよ! 確かによくできたとは思うけど、大木くん、変に気を遣わないでちゃんと評価して!」
「いいの? この写真見ると、まるで私とセンパイが恋人同士でデートしてて、その最中に珍しい鉢植えに興味惹かれてるように見えるんだけど、そう言っていいの?」
「ちょっと泉美ちゃん!? そんなことないよね大木くん!」
「あー……いやでも、多分この写真を見た人はそう思うんじゃないかと……」
「そんな! 私は大木くんが写ってる写真が少ないから撮っただけなのに、まさか泉美ちゃんに出来たばかりの彼氏を奪われることになるなんて……!」
どこまで本気か分からないが、三人の間では既に夕夏のことも、夕夏の話のことも、バレーの試合会場で起こった魔法破りの音のことも、全く話題に上がらなくなっていた。
意図して避けているわけではなく、ごく自然に、三人にとって不必要な話題だったからだ。
決して何か、申し合わせたわけではない。
だが、魔王に協力して、サン・アルフを現状のナチェ・リヴィラの政体の軛から解放するなどという大それた行いは、現在の三人が思い描く未来に、全くそぐわないものだからだ。



