エルフの渡辺3

第四章 渡辺風花は幸せを信じている ⑱

 サン・アルフの未来を真剣に憂いている者が見れば、若いサン・アルフとそれに近しい存在がそんな意識でいるのは、夕夏が言っていたように間違ったことなのだろう。

 例えば今後、何か事情が代わって地球のどこかの国がナチェ・リヴィラに攻め込むとか、ナチェ・リヴィラの人類がサン・アルフを粛清するとかいうことになれば、話は変わってくるかもしれない。

 だが、現状でそんなことは一切無い。

 浮遊監獄島に住むサン・アルフも、地球にやってくるサン・アルフも、何物にも脅かされていないのだ。

 魔王討伐の名の下、それぞれに懸命に日々の生活を送っているに過ぎない。

 未来にわたって考えるべきは、自分と大切な人の過不足ない生活。

 志がある者は、志の通り進めばいい。それを応援する者もまた、その志に寄り添えばいい。その志が本当に正しいものならば、いざというとき、もしくはいつかの未来に、サン・アルフは誇りの下に一致団結できる。

 その未来を摑むために必要なものこそ、一人一人が今の生活を大切に、真剣に生きるということなのだ。

 それは地球もナチェ・リヴィラも変わらない普遍の真実だ。


「じゃー私は小宮山先輩のスーパーセーブの写真、コンテストに出すって決めたから、結果出るまでしばらく園芸部につきっきりになるから。そういうことで後はよろしく」

「いやちょっと待ってくれよ! 週に一回は来いよ! 結果出るの十月だぞ! それまで一度も部活来ない気か?」

「泉美ちゃん、さすがにそれは……」

「何? 私がいないとセンパイは寂しいの? 風花ちゃんっていう彼女がいるのに?」

「そ、それとこれとは別だろ!」

「私的には別じゃないんだよなあ。だって今はセンパイばっか園芸部に来てるけど、これからは風花ちゃんが写真部に行くことだってずっと増えるんじゃない? そしたら私がいると邪魔じゃん? 私も風花ちゃんが来るたびに、それじゃあお邪魔ものはこれで失礼しやすへっへっへ、なんて気ぃきかせんのイヤだよ?」

「そのへっへっへはどこから来てるんだよ……」

「とにかく! センパイはさっさと私以外の部員獲得頑張って! できれば男子! そうじゃないといつまで経っても私がお邪魔虫として二人の間を引き裂き続けるからね!」


 勝手に言うだけ言うと、泉美はあわら温泉で買った駅弁を広げる。


「ま、どっちにしたって夏休みの写真部の活動は今日で終わりっしょ。もうお腹減ったから、私お弁当食べるよ」


 どこまでも天上天下唯我独尊な泉美の物言いに苦笑しつつ顔を見合わせた行人と風花は、自分達も泉美にならって弁当を広げ始める。

 そこからは植物園で見た印象に残った花のことなどが話題に上がったが、食べ終わって少しすると、泉美がうつらうつらと船をこぎ始めた。


「大丈夫? 泉美ちゃん。東京までまだ少し時間があるし、ちょっと寝たら?」

「えぇ……やだ。私寝たら、センパイと風花ちゃん、いちゃつく気でしょ……」

「新幹線の中でそんなことしないよ。ほら、後ろに人いないし、ちょっと席倒しなよ」

「んんー。風花ちゃん手ぇ握ってて」

「はいはい。倒すよ」

「やだぁ」


 泉美は少しだけ抵抗したが、疲れと眠気には抗えず、やがて小さく寝息を立て始める。


「もう。疲れてたのに無理するから」

「渡辺さんも少し寝たら? 疲れたでしょ」

「ん。大丈夫。それにもう帰りの新幹線ではあるけど、こんな機会当分ないだろうから、大木くんとイチャイチャしたいのです」


 そう言うと、行人の席との間にあるひじ掛けを押し上げると、行人に身を寄せてその肩にぴったりと頭を載せ、行人と手を繫ぐ。


「……渡辺さん」

「……なぁに、大木くん」

「……あの、ご飯ついてる。ほっぺたに」

「えっ!」


 風花は行人の肩に乗せていた頭をびくりと起こし、行人と繫いでいた手を離して自分の顔をぺたぺたと触る。


「……もー、こんなときに」

「いや、ずっとつけたまんまっていうのも、後から気づいたときあれかなって」

「ううん。大木くんに文句言ってるわけじゃなくて、私、とことん締まらないなぁって。いきなりほっぺにごはんじゃ、雰囲気出ないじゃない」

「反対側の手を小滝さんにホールドされてる時点でね」

「それはそれでこれはこれ。きっと当分このままだから、それはお互い慣れていかないと」


 当分、というのは新幹線に乗っている間、ということではなく、これからの学校生活でずっと、という意味だろう。


「雰囲気なくなったついでなんだけど、さっき長谷川さんから連絡来たよ。湊川さんのことは五島先生がきちんと対応してくれたから心配ないって。俺達の活動の正当性も、五島先生が保証してくれるってさ」

「まさか五島先生がもうナチェ・リヴィラのこと知ってたなんて……教えてくれてもよさそうなものだけどね」

「それだけ長谷川さんの立場だと慎重にならざるをえないんだと思うよ。こういうとき、先生とか警察とか、公の職業についてる人ってどんな反応が出て来るか分からなくて、頼りにできないって印象、ない?」

「うん。ちょっと分かる」

「むしろ真実を知った後も長谷川さんや天海先輩、それに俺達に対する態度が変わらなかった五島先生に感謝するべきところなのかもしれない。堅い職業についてる大人こそ、なかなか受け入れがたいことでしょ」

「だね。そう思う。あ、それに考え方次第では、五島先生の今の様子は、私にとってちょっとした希望かも」

「どういうこと?」

「立場のある大人でも、きちんと説明すれば、私達の状況を受け入れてくれる実例だもの。それならいつか……」


 風花はもう一度行人と手を繫ぎ直すと、顔を見上げた。


「大木くんのお母さんに、本当の私を知ってほしいから」

「……渡辺さん」

「最初のご挨拶では無理かもだけど、いつか、ね。いつか、もっと大木くんのお母さんに、私の本当のことを知ってほしいと思うタイミングが、来てほしいって、思うから」


 風花は、強く行人の手を握る。


「植物園ではうやむやになっちゃったけど、大木くん、聞いてくれたじゃない。私がそもそもどうして園芸が好きになったのか、って」

「ああ、そう言えば」

「木や自然と心が通じ合ってるから……なんて、ファンタジーのエルフみたいなことは全然なくてね。小さい頃、テレビばっかり見てた私に何か趣味を持たせたくなったお母さんが色々やらせたものの中の一つなの。ピアノとか、水泳とか、絵とか色々やらされたなー」

「ええ? 習い事の一環みたいなことだったの?」

「うん。園芸は習ったわけじゃないけどお母さん的には同じカテゴリ。で、その中で唯一長続きしたのが、家の庭で一人でできる園芸だったの。自分じゃ覚えてないんだけど、他の習い事は先生にあれこれ言われるのが嫌ですぐやめちゃったんだって」


 異世界のエルフの特技の思わぬ原点に、行人はどんな顔をすればいいのか分からなくなる。


「園芸には『正しいこと』って少ないの」

「え?」

「正しいリズムとか、フォームとか、技法とか、言われたりしない。もちろんプロの造園とか盆栽とか菊祭りで金賞取るようなのとか、そういうのは別だよ。でも、最初のうちはただ土に種や苗を植えて毎日水をあげてるだけでいいの。それだけで花が……成果が出て、幸せになれる。褒めてもらえる。それが嬉しくて、気がついたら知識も技術も喜びも後からついてきてた。それで……それだけ長い時間をかけてきたから、大木くんに会えた。だから……きっと私のこれまでの園芸人生は『正しかった』んじゃないかな」


 そう言ってから、風花は苦笑する。


「客観的にどう見えるかは分からない。でも、私は今、幸せなんだ。泉美ちゃんと大木くんと手を繫いで、学校生活を送って、それで、大木くんに、大切な人、って言ってもらえる今が、私の大切なことを、私が好きな人に守ってもらえたことが、すごく幸せ」

「客観的にどうかなんて、法律違反してるわけじゃないんだからどうでもいいよ。その、俺だって、えっとその、幸せだよ。渡辺さんが自然に、俺の事、彼氏ってその、言ってくれるんだから」


 お互いに、気持ちを伝えあいはした。

 だが、だからといって特段に彼氏彼女らしいこと、恋人らしいことをしているわけではない。


「もっと堂々と言ってくれると、かっこよかったのにな」

「無理言わないで。慣れてないんだ」

「どうすれば慣れられると思う?」

「いや、どうすればって言われても……」

「私、どうすればいいか知ってるよ」


 風花は熟睡してしまった泉美の手からゆっくりと自分の手を離すと、行人にしっかりと体を向き直らせた。


「これから長い時間をかけて、二人で少しずつ、初めてのことを積み重ねていけばいいの」

「わ、渡辺さ……」

「行人くん」


 風花は、行人の名前を呼んだ。


「初めに行人くんが、想いを伝えてくれたよね。だからこの初めては、私からさせて」


 風花は行人の顔に頰を寄せて、その唇にキスをした。

 固まってしまった行人の手を、柔らかく包みながら。