魔剣少女の星探し 十七【セプテンデキム】 1

序ノ一 十七 ⑧

『あの、それはそんなに問題なのですか? 魔剣を得たところで王家の保管庫に収めるだけなのですから、どちらの国が得ても違いはないのでは』

『それが、そう容易たやすい話では無いのですよ』


 リットの疑問に答えたグラノスによると、エイシアオーストも、おそらく他の二国も内情は民衆が思っているほど単純では無いのだという。魔剣戦争が終わって四大国が和平を結び、全ての国が廃剣令に同意もしたが、王族や軍の中にはいまだに「いつ再び戦争が始まるか分からないのだから軍備を怠るべきではない」という声が根強い。平和のためという建前で魔剣使いの数を制限することに同意せざるを得なかったことを苦々しく思う者は多く、そういう者たちは国が容易く魔剣の所有権を手放すことを断じて認めないらしい。



『それで決闘裁判、ですか』

『はい。大公殿下もオースト国王も、確かに所有権を主張したという形が必要なのです』


 神前決闘裁判とは四大国間の争いを聖門教会が仲裁するための古い制度だ。魔剣戦争のせいで長く形骸化していたが、終戦と共に今代の教皇が再開を宣言した。双方の主張に理があり、話し合いでは結論が出ない場合、互いの国が全権代理人として一人ずつ魔剣使いを送り出し、その決闘の結果によってどちらの主張が通るかを定める。

 そもそもジェレミアが魔剣をこのセントラルまで運んできたのはこの決闘裁判のため。

 本来ならエイシア側の魔剣使いは筆頭駐在武官であるグラノスが務めるはずだったが、彼はよりによって裁判の前日に新参者の少女に腕をたたき折られてしまった。


『それで、そのオースト側の魔剣使いというのは?』

『実の所、それほどの者では』そう言ってグラノスは笑い『オースト王国この騎士団第十三師団補佐役ローエン・テイラー。リット殿と同じ真紅の魔剣の使い手です。……なに、剛力が自慢の男ですが、技の方は一流半が良いところ。手負いの某はともかく、リット殿の業前なれば赤子の手を捻るようなものでしょう』


 窓の外から再び鐘の音。間もなく太陽が空の一番高い場所を横切る時刻。あと一度鐘が鳴れば決闘裁判は始まる。

 立ち上がり、扉の前に歩み寄る。


 純粋な魔力結界によって構成された扉は半透明に揺らいでいて、外の様子を透かし見ることが出来る。

 遠くには天に向かってせんとうを突き出す白亜の大聖堂。その前に横たわる広場は目を凝らさなければ反対側の端が見通せないほど広大な円形で、真っ白な大理石に覆われた地面には聖門教の巨大な聖印が赤く光る複雑な魔術紋様の組み合わせによって描かれている。広場の外周を取り巻くのは数十段の階段状の観覧席。四季折々の祝祭の日には信者でごった返すのだろう観覧席は静寂に包まれ、空っぽの観覧席の一番上段には北東、南東、南西、北西のそれぞれの位置に一人ずつ、見届け人の役目を果たす聖門教の司祭がたたずんでいる。

 リットがいるのは観覧席を四等分するように東西南北に建てられた四つの高い塔の一つ、東側の塔の中。

 向かって右手側、北の塔の前には今回の決闘裁判の賞品である魔剣が、昨日と同じ装置に収蔵された状態で安置されている。

 そこから少し離れた場所で片膝をついて頭を垂れるのはジェレミアともう一人、オースト王国の大使である儀典服姿の女性。後ろにはグラノスの他に側の護衛らしい数名の兵士が付き従い、こちらも同じ姿勢で顔を伏せている。

 彼らの前には、白一色のほうに身を包んだ一人の老人。

 聖門教会第一二七代教皇、リヌス十八世が厳かに祈りの聖句を読みあげる。


 教皇は二つの国の代表それぞれの頭上に手をかざし、これが神聖な儀式であること、結果が彼方の神の裁定であることを告げる。互いに遺恨を残さぬようにという教皇の言葉にジェレミアとの大使がそれぞれ誓いの言葉を返し、儀式が終わる。

 全ての人が観覧席に退き、代わって進み出た数十人の司祭服姿の魔術師が広場の外周全体に結界を張り巡らせる。魔剣使い同士の立ち合いによる破壊の余波を防ぐための物。全ての準備が整った広場に、最後の鐘が高らかに鳴り響く。

 一度だけ目を閉じて深呼吸。

 よし、と心の中でうなずく。

 天下一の魔剣使いとなる──一度は無理かもしれないと思ったその夢が、少しずつ目の前に近づいて来ているのを感じる。昨日はエイシア大使館の筆頭武官であるグラノス卿と立ち合い、今日はそのエイシア大公国の名代として戦う。そうやって一つ一つ勝利を重ねていった先にはきっと、未来が、母との約束を果たす日が待っている。

 対戦相手の男が現れるのは南、の方角の塔から。

 リットは十七セプテンデキムを右手の傍に油断なく構え、扉から広場に向かってゆっくりと一歩踏み出し、

 ──透き通るような風の音。

 まばたきした視界の中心を一直線に貫いて、針のような刃の切っ先が閃いた。


 息を吞む暇さえありはしなかった。

 とっさに身をのけぞらせるリットの鼻先、髪の毛一筋ほどのわずかな距離をかすめて、神速をもって走り抜けた突きの一撃は虚空に淡い光の尾を引いた。

 細く、鋭い、触れれば折れそうなほどたおやかな細剣。刀身全体が半透明な淡青色で、金属ではなく水晶かガラスのような何かで出来ている。刃渡りはおよそ、リットの魔剣の半分ほど。複雑な装飾が施された優美な柄にやはり淡青色の魔力石が光る。


「あら?」


 鈴を鳴らすような愛らしい声。剣の主は華麗なステップで踊るように身を翻し、瞬時に引き戻した柄を胸の前に構えて首を傾げる。男では無い。リットと同い年くらいの少女。ゆるいウェーブを描く豊かな金色の巻き毛がふわふわと肩のあたりまで流れている。

 身にまとうのはおよそ決闘の場に似つかわしくないレースとフリルをふんだんにあしらった淡い黄色のドレス。舞踏会にでも出るのかという華やかな出で立ちの中にあって、手にした細剣だけがけんのん極まりない光を放つ。

 ……これが、敵……?

 話に聞いていたのとあまりにも違う。一瞬の自失。のけぞった姿勢からそのまま横に倒れ込むようにして細剣の間合いから体を逃し、同時に傍らに浮かぶ十七セプテンデキムの刃を少女目がけて叩きつける。

 くすりと、少女の口元にかすかな笑み。ガラス質の細剣が踊るように閃く。高速旋回する十七セプテンデキムの質量と衝撃にあらがわず、逆らわず。少女は続けざまに放たれる真紅の斬撃に針のような剣先をたったの二度だけ触れ合わせ、その動きによって生じたほんのわずかな隙をワルツを刻むようにするりとすり抜けてリット自身の行く手に回り込む。


「まあ、お上手ですのね」


 ふわりと、日だまりで眠りこける小鳥のような少女の笑み。だが油断など出来るはずが無い。この激しい立ち回りの中にあって、少女はその純白の靴下に汚れどころかすなぼこり一つ許してはいない。旋回を続ける十七セプテンデキムを少女の背中目がけて水平に薙ぎ払い、同時に立ち上がりざま地を蹴ったリットは一挙動に少女の正面から懐に飛び込み──

 背筋に、ぞっとするような違和感。

 少女はリットの突撃からわずかに身を逸らしつつくるりと背後を振り返り、眼前に迫る十七セプテンデキムの長大な刀身にガラス質の細剣を振り下ろす、というより上からそっと押し当てる。

 真紅の魔剣が地に落ちる。突如として加えられたすさまじい質量に抗いきれず、あらゆる推力を失った刀身が針のような剣に押さえつけられるまま落下する。壁か、あるいは巨大な山その物に激突したような錯覚。地に叩きつけられる寸前でかろうじて十七セプテンデキムの制御を取り戻し、刀身を細剣の下から側方に逃がすことに成功する。


 まあ、と少女の声。目標を失った淡青色の細い刃は弧を描いて足下の地面に突き立ち、

 ──寒気がするような、すさまじい破砕音。

 細剣が触れた一点を中心に、大理石の地面が十数フィルト数メートルにわたって砕けてすり鉢状に陥没する。

 後方に大きく退いて身構えるリットが見つめる先で、少女が踊るように身を翻す。これで三合。十七セプテンデキムを目の前に掲げるリットの呼吸に合わせて、少女が手にした細剣の切っ先で虚空をなぞる。

 優雅に、踊るように、降り注ぐ陽光の中に淡青色な光の尾を引いて。複雑な軌跡を描いた剣が少女の胸の前、剣先をぐ天に向けた構えで止まる。

 あれは、と観覧席で見守るグラノスの声。

 少女の手なる魔剣の正体に、リットはようやく気付く。

 幼い頃に母が語ってくれた寝物語にうたわれた数多の魔剣の一つ、北方の大国ルチア連邦に名高き伝説の一振り。世界に永遠の冬をもたらそうとした巨人の手のひらを七日七晩大地に縫い止め、死した巨人のなきがらが巨大な山となったというおとぎばなしから付けられた、触れれば折れそうなほどたおやかなその細剣の名は──


「魔剣『山嶺モンストウルム』」


 歌うような声。


 少女はふわりとほほみ、ガラス質の刃にそっと口づけた。


「クララ・クル・クランと申します。どうぞお見知りおきくださいませ」

刊行シリーズ

魔剣少女の星探し 十七【セプテンデキム】の書影