魔剣少女の星探し 十七【セプテンデキム】 1

序ノ二 山嶺 ②


「いらっしゃいませにゃ! からすの寝床亭へようこそですにゃーっ!」


 ミオンという名の猫耳獣人の少女は元気よく挨拶し、さっそくクララを店の二階の一番上等な客室に案内してくれた。

 クララは荷物を置いてお礼を言い、ひとまずこれで、と少女に金貨一枚を手渡した。


「一ヶ月ほどお世話になりたいのですけど、足りますでしょうか?」

「ありがとうございますにゃん! 店長も泣いて喜びますにゃん!」


 跳ねるように部屋を飛び出していくメイド姿の少女をくすくすと見送り、勢いよくベッドに飛び込む。シーツは清潔、マットはふかふか。セントラルの街での最初のとうりゆう先に相応ふさわしいなかなかの部屋だ。特に備え付けの専用の小さな浴室があるのが気に入った。一階にある共用の浴場も悪くはないが、時には一人で静かに湯浴みがしたい日もある。

 巣の中で眠りこける黒い鳥の看板が気に入って何となく入ってみた酒場兼宿屋の店だが、どうやら大当たりだったらしい。


「さあ! まずは計画ですわ!」


 ここに来る途中の店で買ったセントラルの地図を広げ、今日これからの予定を考える。街の中央、白亜の大聖堂は外せない。自分が入ってきた以外の東西南の三方向の門も有名な観光名所だし、他にも伝説の魔剣使い「炎帝クリフ」の像とか、同じく伝説の魔剣使いである「百手のアルルメイヤ」との名勝負と名高い「アルバスの滝の決闘」を描いた絵画とか、この街には見所が数え切れないほどある。

 何より、そういう場所には自然とたくさんの人が集まる。


 つまりは、素敵な殿方との素敵な出会いだ。

 目指すは幼い頃から読み続けた様々な絵物語に出てくるお姫様のような人生。素敵な殿方との大恋愛に素敵な家族、何より素敵な結婚式に素敵な花嫁衣装だ。自分に相応しい相手を探すのに、この街ほど適した場所は他には無い。

 もちろん路銀も無限というわけではないからいずれは仕事を探さなければならない。おそらくを見つけて適当なに所属する必要があるだろうが、それはまだ先の話。

 ふんふんと鼻歌を一つ、靴を脱ぎ捨てた足をベッドの上でぱたぱたさせ、枕元の羽根ペンをつかんで地図に幾つも大きな丸を描き、

 ──皿か何かがまとめて割れるけたたましい音。

 一階、酒場の方から、少女の物らしい悲鳴が響いた。



 小走りに階段を駆け下りる目の前を横切って、大きな皿が一枚、甲高い粉砕音と共に白塗りの石壁に派手なソースの模様を残した。

 クララは続けざまに飛んでくる料理の大皿を六枚両手に受け止め、階段の最後の一段を飛び降りて、バーカウンターの裏に座り込んでいる初老の店長の前にまとめて積み上げた。


「こちらでよろしいんですの?」


 店長は、ありがとうございます、と小声で呟き、何かを悟りきった顔でワイングラスを磨く。

 と、カウンターの前で困り果てた顔でほうきを抱えていたミオンが「クララ様!」と駆け寄り、


「危ないですにゃん! どうぞお部屋へお戻りを!」

「まあまあ、大変でしたわね」猫耳少女の頭をよしよしと撫で「わたくしのことはご心配なく。それより、いったい何の騒ぎですの?」


 それは、とミオンが酒場の中央に視線を向ける。

 野放図に斬り裂かれてれきと化した無数のテーブルや椅子に取り囲まれて、たった一つ残ったまともな席にはふんぞり返った大柄な男が一人。

 いかにもオースト貴族らしい黒と赤の軍服に身を包んだ男はついでに顔まで真っ赤で、目の前に積み上がった酒瓶の数から見ても完全に出来上がっているのがわかる。

 男のかたわらには真紅の魔剣が一振り浮かび、主の動きに合わせて左右にふらふらと揺れている。刃渡り四フィルト一二〇センチほどの両刃の魔剣は、酔いのせいか怒りのせいか制御が全く定まっていない。それが時折テーブルから皿や瓶やカップをはじばし、あるいは石造りの天井や床を溶けたバターのように斬り裂く。

 客のほとんどはとうに店の外に逃れたらしく、取り残された何人かがバーカウンターの近くに積み上げたたるの陰にうんざりした顔で身を潜め、時折流れ弾のように飛んでくる皿やテーブルの破片を防御の魔力結界で弾いている。他に店内に残っているのは魔剣使いが三人ほど。それぞれが遠巻きに剣を構えたまま、どうやって男に近づいたものかと攻めあぐねている。

 そこまでは、まあい。

 問題は、男に腕を摑まれて強引に隣の席に座らされている、一人の少女の姿だった。


「痛い! いいから離せ! 離してってば!」


 いかにも旅人らしい簡素な服に身を包んだ、おそらくクララよりいくらか年上の少女。意志の強さを表すような切れ長の青い瞳にきりりと引き結ばれた唇。透き通るような白い肌もあいまってどこかの深窓の令嬢か、あるいはお伽噺に出てくる氷の国のお姫様を思わせる。

 すらりと長い手足、豊かな胸、背中から腰にかけての体のライン──何もかもがうらやましい、もとい怖いくらい完璧に整っている。

 だが、何より目立つのはその髪だ。

 腰の辺りまでのびる長い髪は、クララがこれまで見たことがあるどんな髪とも異なる不思議な色合いを帯びている。銀髪、と言ってしまえば確かにそうなのだが、ただ色素が薄いだけの灰色の髪というわけではない。なんらかの魔力の作用か、あるいはそういう特殊な化粧なのか、あでやかなその髪は時折、自らが光を放っているかのようにほのかに輝いて見える。

 ものすごくれいな人だ。

 さすが四大国全ての人間が集まるセントラル。こんな女の子は絵物語の中でも見たことが無い。


「あちらの魔剣使いのお客様が急に怒り出したんですにゃん」ミオンは黒い尻尾をぶわっと膨らませ「最初はあのお姉さんの方から近寄って、色々とお話ししてたですにゃんけど、そのうちに男のお客様の方が『馬鹿にするな』とかなんとか言い出して……」

「離せだと? 貴様、もう一度申してみよ──!」


 言葉を遮って鳴り響くだいおんじよう

 男は片手で少女の腕を摑んだまま、もう片方の手で目の前のテーブルを殴りつけ、


「このような愚弄を見過ごせる物か! 貴様、よりにもよってこのわしがグラノス・ザンゲツめに敗れると申すか!」

「そんなこと言ってないだろ!」少女は何とか逃れようと摑まれた腕を上下に振り回し「ボクはただ、あんたはそのグラノスってのに一回負けたんだろ? って聞いただけで──」

「取り消せ!」男は酒杯に残った酒を一息に飲み干し「確かに五年前の戦場ではやつめに後れを取ったが、儂もまたこの五年の間に修練を積んだのだ! 明日こそは必ず彼の優男めに煮え湯を飲ませてくれようぞ!」


 ……あらあらまあまあ……


「あ! クララ様!」


 よし、と両手を頰に当てて気合いを一つ。引き留めるミオンの声に構わず、まっすぐテーブルに歩み寄る。

 たちまち男が怒りと酒精に赤く濁った目で振り返り、


「なんだ貴様は!」

「そんなに怒らないでくださいまし」少女を摑む男の手にやんわりと自分の手を添え「いかがでしょう。わたくしがその方の代わりにお酌をして差し上げるというのは」

「ぬ……?」


 男が手の力を少し緩め、その隙に少女がするりと腕を引き抜く。逃げるように駆け出した少女が出口の扉の前で振り返って頭を下げ、表の通りへと飛び出していく。

 その背中に小さく手を振り、さて、と男に向き直る。


「そういう話であるならば、まあ……」男はクララの顔をまじまじと見つめ、揮発した酒その物のような息を吐き出し「うむ……悪くない。先程の娘ほどではないが、お前もなかなかの物ではないか」

「まあ、ありがとうございます」


 クララはにっこり微笑み、肩を抱こうとする男の手からするりと抜け出す。

 ゆるやかに三歩後退し、男の間合いの外で足を止め、


「でも、少し困ってしまいますわ? ……わたくし、お付き合いする殿方は自分より強いお方だけと決めておりますの」


 ほうけたように、男が一度だけまばたきする。

 よどんだ視線がクララの顔からドレスへと移り、腰にいた山嶺モンストウルムの柄と鞘に留まったところでようやく焦点を取り戻し、


「小娘、貴様──!」


 瞬間、噴き上がるすさまじい怒気。

 いわおのような両足が椅子を蹴り飛ばして立ち上がり、


「よもや日に二度もこのような小娘に愚弄されようとは! 許せぬ! 断じて許せぬ!」

「え? わたくし何か」


 男の反応に首をかしげて見せる。クララとしてはただ事実を指摘しただけなのだが、怒らせてしまったならそれもやむなしだ。

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