魔剣少女の星探し 十七【セプテンデキム】 1

序ノ二 山嶺 ③

「抜け! 我が名は元オースト王国この騎士団第十三師団長ローエン・テイラー! 並びに魔剣──」

「まあまあ、少し落ち着いてくださいまし」一応は男をなだめてみようと柔らかく微笑み「決闘の作法をお忘れですわよ?」


 男の頭の血管が切れる音が聞こえたような錯覚。

 傍らに浮かぶ真紅の魔剣が風切り音と共にいつせん。両断されたテーブルが派手な音と共に左右に倒れて料理の皿やら酒瓶の山やら何もかもを石造りの床にぶちまける。


 魔剣はさらに水平に旋回、クララの鼻先をかすめるついでに空中に吹き飛んだ陶器のカップを粉々に打ち砕く。回転を続ける剣の柄を男の両手が摑み取り、丸太のような右足が滑るように一歩踏み出す。酔いを感じさせない流麗な挙動。踏み込んだ足を軸にきよが反時計回りに一回転。しようする魔剣の速度に自らのりよりよくを上乗せし、左からのはらいの一撃がクララの首を両断する軌道で今まさに放たれ──

 危ない、と背後でミオンの声。

 ……ああ、つまらない……

 クララは小さくため息を吐き、重心をほんの少しだけ前に動かした。


「ごめんあそばせ?」


 戦いは、瞬きのうちに決着した。

 文字通り、手合わせにすらならなかった。

 クララは難しいことは何もしなかった。ただ男に向かってぐ歩き、ただ腰の鞘に収めたままの山嶺モンストウルムの柄に手を置いただけ。ただし、その動きは水平に迫る真紅の刃をかいくぐって一息に男のふところに飛び込み、抜き撃ちの一撃で手首を正確にく──そういう一連の攻撃の「起こり」を表すものだった。

 わずかに遅れて目の前の少女の動作に気付いた男が、剣の軌道を強引に変化させようと腕に力を込める。水平の薙ぎ払いから垂直の振り下ろし──自分の手元へ飛び込んでくる敵を迎撃する動きへ。だが、男の腕がようやく動き始めたその瞬間、機先を制する形でまたしてもクララが足の運びを少しだけ変化させる。今度は緩やかに左、正面からの斬り下ろしの一撃を紙一重でかわして男の背後に回り込む、そういう動きの最初の一歩。わずか一刹那、一呼吸の百分の一にも満たない時間の攻防。男が剣の軌道を再び横薙ぎに戻そうと腕に力を込めた瞬間、クララは踏み出すふりをしていた足を止めてゆっくりと一歩後方に退いた。

 実際、男はそれなりの使い手ではあったのだろう。これほど酔った状態で、クララが見せた動きの変化に二度までは対応して見せた。だが三度目は無理だった。自らの勢いを止めきれなくなった男は目の前の空っぽの空間、その場所に飛び込んでくるはずだった少女の幻を真紅の魔剣でむなしく払った。

 クララの体はごうおんと共に走り抜けた刃の外側、わずか髪の毛一筋の位置。

 無造作に踏み出した足がバランスを失った男の側面、手をのばせば届く位置にするりと潜り込む。

 剣術の心得が無い者はもちろん並みの魔剣使いであっても、男が勝手に真紅の魔剣を相手には届かない場所で振り回し、クララは剣が通り過ぎた後の何も無い空間を男のそばまで歩いただけとしか見えなかったに違いない。そうでないことを知るのはおそらくクララ自身と男の二人のみ。きようがくに目を見開いた男が視線をゆっくりとクララの方に動かした瞬間、山嶺モンストウルムの淡青色の刃がひらめいた。


「きさ──!」


 貴様という形に口を動かしたまま、男の巨軀がクララの背後に豪快に吹き飛ぶ。山嶺モンストウルムの切っ先によって靴の爪先を床石に縫い止められ、自身の体重と振り抜いた剣の勢いに自ら振り回されて、魔剣使いローエンは空中に無様に一回転、石造りの床に背中からたたきつけられる。

 派手な音と共に吹き飛ぶテーブルや椅子や食器の欠片かけら

 クララは踊るようなステップで振り返り、引き抜いた細剣をくるりと胸の前に構え、


「……あら?」


 目の前には、男が放り投げてしまった真紅の魔剣。

 鋭い切っ先を足下、仰向けに倒れた男の首筋に向けて、鋭利な刃が一直線に落下していく。

 男の喉から恐怖に引きつった呼吸音が漏れる。慌てて山嶺モンストウルムを一閃、真紅の刃を前方、男の足の方に向かって弾き飛ばし、


「……ああああああああ────っ!」

「まあ! ど、どどど、どうしましょう!」


 噴き上がった血しぶきが床を赤黒くらす。目標を大きくれた魔剣は男に致命傷を与えるのをまぬがれた代わりに、丸太のような右の足首にざっくりと突き刺さる。本当なら魔剣の刃は斬るも斬らないも主の意のままなのだが、その程度の制御も出来ないほど混乱していたらしい。大変なことになってしまった。ここまでやるつもりは無かったのに。

 慌てて駆け寄って男の服を裂き、傷口を固く縛って血を止める。


「──────っ! ま、待て娘! 少し加減を!」

「我慢して下さいまし! 足を失ってもよろしいのですか!」


 情けない、故郷の氏族の兄弟やならこの程度のことではうめき声一つあげないのに──などと思わなくもないがそんなことを考えている場合ではない。


「どなたか治癒の魔術が使える方はいらっしゃいませんか! すぐにお医者様を!」

「ローエンきよう! これはいったい何の騒ぎ──」


 不意に、店の入り口の方で複数の足音。の赤と黒の軍服をまとった兵士の一団が店内になだれ込んでくる。

 先頭に立つのは一人だけごうしやな執務服に身を包んだ、いかにも偉そうな黒髪の女性。

 視線をまず周囲の惨状、次に血まみれで呻き声を上げる男、最後にクララへと移し、


「……そこの魔剣使いの方。話を聞かせていただいても?」


 背後で、ミオンがそろりとバーカウンターの裏に身を隠す気配。

 クララはどうすればいいか分からなくなってしまい、とりあえず立ち上がって優雅にお辞儀して見せた。



 金属の車輪が街路の石畳を踏む乾いた音が、窓の外から響いた。

 の象徴である鳳凰フエニツクスしようが彫り込まれたいかにも質実剛健というぜいの馬車の中、向かいの席で深々と頭を下げる女性を前に、クララはあわあわと両手を右往左往させた。


「今回の無礼、王国を代表しておび申し上げる。ローエン卿が余計なごとを起こさぬようにと部下にはきつく監視を命じていたのだが」

「そ、そんな。どうぞお顔をお上げくださいまし」女性の両手に自分の手を添えてどうにか体を起こしてもらい「わたくしの方こそお恥ずかしいところをお見せしてしまって。……本当に、なんてはしたない。ただ少し酔いを覚まして差し上げようと思っただけですのに……」


 女性は、恐縮する、ともう一度しやくし、ようやく少しだけ表情を緩める。アメリア・ヘイスティング。このセントラルの街におけるの全権大使であり、つまり王の名代である人物らしい。クララ自身もそうだが、四大国のどこでも名前の他に家名を持つということはその者が貴族であることを意味する。見たところ魔剣使いではないようだから、王の遠い血縁か、あるいははるか昔の建国当時からの譜代の家臣ということになる。

 ものすごく偉い人だ。たぶん。


 そんな偉い人が供も従えずに自分と差し向かいで馬車に乗っているのは、信頼というか、誠意のあかしであるらしい。


「それで、どういうお話ですの? その神前決闘裁判というのは」

「事の起こりは一月前、我が国と東方大公国エイシアの国境線上の遺跡で魔剣が発見されたことだ」アメリアは二人の間に浮かぶ魔術式のテーブルからティーポットを取り上げ、不思議な色合いのお茶を手ずからカップに注いでクララに差し出し「所有権を巡って幾度か話し合ったが折り合いがつかず、神に裁定を委ねることとなった。……そこに名乗りを上げたのが、貴公が叩きのめしたあのローエン・テイラーという男だ」

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