魔剣少女の星探し 十七【セプテンデキム】 1

序ノ二 山嶺 ④

 クララは、はぁ、とカップを受け取り、すっきりした香りのお茶をゆっくりと味わってから、


「そういえば、グラノスというお方のお名前を口にされていましたけれど」

「エイシア大公国筆頭駐在武官。今回の決闘裁判の相手だ」アメリアは膝の上に組んだ両手の指をしきりに組み替えながら「第十三師団の師団長であったローエンは五年前のとある戦いでグラノス卿に手痛い敗北を喫し、テイラー家の面目は丸潰れとなった。国王陛下の温情で師団の補佐役の地位に留まることを許された奴は、以来五年、雪辱の機会をうかがっていたと聞く。……その結果がこのありさまでは陛下がどれほど嘆かれるか」

「それは……」


 すみません、と口の中で小さく呟く。


 アメリアは額に指を当てて深く息を吐き、


「奴の身から出たさび、と言いたいところではあるのだが、私にも立場がある。……はぐれの魔剣などどちらの国の預かりになろうとさしたる問題では無いが、それでは納得せぬ者が我が国には多い。堂々たる決闘の末に敗れるのならともかく、前日に酔ってろうぜきを働いた挙げ句に通りすがりの魔剣使いに叩き伏せられての不戦敗など王国と陛下の名誉に関わる」


 そう言って、豪奢な執務服姿の女性は席から身を乗り出し、


「単刀直入に言う。我が国の代表として、明日の決闘裁判を代わりに戦っていただきたい。勝敗にはこだわらない。その魔剣を手に、見届け人の司教共が納得する戦いをしてくれればそれで良い」


 何とか頼めないか、と視線の問い。

 クララは少し考え、カップのお茶をゆっくりと飲み干し、


「その……お相手の、グラノス卿というお方の写し絵などは御座いまして?」


 写し絵? と首を傾げるアメリア。

 ややあって、白い手袋に包まれた手が懐から小さな紙を一枚取り出し、


「……まあ!」


 受け取った色鮮やかな絵を両手に広げ、思わず声を上げてしまう。いかにもエイシア貴族らしい緑の軍服に身を包んだ端整な顔立ちの男性。長い黒髪を頭の後ろで一筋にまとめ、さらりと背中に流している。

 涼やかな笑顔、せいかんな頰筋、りんとしたたたずまい。だがクララが何より気に入ったのはその目だ。鋭く彼方を見据えた、静けさの中に炎をたたえたようなまなし。故郷の氏族の戦士と同じ、これは戦う者の目だ。

 年の頃はクララより十ほど上だろうか。それなら十分許容範囲内。

 幼い頃に繰り返し読んだ絵物語に出てきた素敵な殿方。端的に言って、ものすごく好みのタイプだ。


「この方はお強いんですの?」

「ああ。セントラルに駐在する四大国の武官の中ではまず随一であろうな」


 なるほど、とクララは深くうなずき、


「それで……この方、ご結婚はされていますのでしょうか。奥様は?」

「さて、どうだったか。少なくともこのセントラルにはお一人で来られているはずだが……」答えて、アメリアはげんそうに眉をひそめ「クララ殿、それは重要なことなのか?」


 もちろんですわ、とクララは座席の上で居住まいを正し、


「実を申しますと、このセントラルには花嫁修業に参りましたの」背筋を真っ直ぐにのばして微笑み「素敵な殿方とお近づきになって、ゆくゆくはめとっていただきたいと」


 長い、長い沈黙。


 アメリアは呆けたように何度も瞬きし、我に返った様子でせきばらいをして、


「つまり……クララ殿はそのご実家の、クラン家のために婿を探しておられると?」

「いえ、わたくしの方がお嫁に参ります方向で」唇に指を当てて視線を少し上に向け「ただ、両親や氏族の長老様との約束がありまして、わたくしの夫となる方はわたくしより強い方でなければなりませんの。出来れば魔剣使い、それも一対一の決闘でわたくしを打ち負かせるお方でなければ」

「なるほど、面白い」アメリアは初めて笑みらしき物を浮かべ「流石さすが山嶺モンストウルムの主と名高いクラン家。伴侶を選ぶにも武門の覚悟が求められるのだな」

「はい。ですので、今回のお話、わたくしにとっても願ったりかなったりですの」


 クララはふわりと微笑み、傍らの席に横たえた山嶺モンストウルムの柄に指を触れた。


「アメリア様。この決闘、お受けいたしますわ」


 ……お前には天性があるのだと、大人達は口をそろえて言った。

 男兄弟達の鍛錬を眺めているうちにようで剣を振るようになってからたったの一年で、クララは氏族の全ての戦士を追い抜き、打ち負かしてしまった。

 誰に何を教えられずとも、剣をどう扱い、どう動かせば良いのかがクララには最初からわかっていた。練習用の木剣であろうと、たとえそこらに落ちている枝一本であろうとも、クララの手にかかればそれは必殺の武器となった。

 大人であろうと男であろうと、クララには誰もかなわない。

 だから両親は、娘の将来をとても、とても心配した。

 故郷を旅立ってセントラルの街にたどり着くまでの一年の間に十二度、これはと見定めた魔剣使いの男性と立ち合ったが結果はいずれも同じだった。誰も彼もがクララの足下にも及ばない。どれほど優れた使い手であろうと、肌にかすり傷一つ付けることが出来ない。

 決闘なんて、魔剣なんてつまらない。こんな物、何も一つも面白くない。

 けれど、それでも今度こそはと思うのだ。

 今度こそ、自分を打ち負かしてくれるような、素敵な殿方に出会えるのではないかと──



 だまされた、というのが最初に浮かんだ言葉だった。

 陽光に照らされる大聖堂前の広場。クララは心の中でため息を吐き、十数歩の距離を隔てて身構える赤毛の少女を見つめた。

 宙にくるりと円を描いた長大な真紅の魔剣が、少女の前に盾のように静止する。ゆっくりと深呼吸する少女とは対照的に、魔剣の位置にはわずかなぶれも揺らぎも無い。それだけで少女の力量のほどがわかる。すさまじい技のえ。あのローエンという男など足下にも及ばない。

 そして、それでもなお、少女の剣は届かない。

 そもそも自分が戦いたかったのはエイシア大公国の名高い美丈夫だ。残念ながら、自分と同い年くらいの女の子ではない。

 ではその問題のグラノス卿はといえば、少女の後方、階段状の観覧席にエイシア大使や幾人かの兵士と共に座っている。右腕を包帯でつるしているところを見ると、痛めたか、骨を折りでもしたのかも知れない。

 あるいは目の前の少女と何かいざこざがあって、少女が代役を務めることになったのかもしれない。

 だとしたら少し申し訳ない。

 自分が余計なことをせず、の代表としてここに立っていたのがあの酒場の男だったなら、少女にとっては文字通り赤子の手をひねるより容易たやすい戦いだっただろうに。


「クララ・クル・クランと申します。どうぞお見知りおきくださいませ」


 剣先をまっすぐ空に向けて構え、ガラス質の刃にそっと口づける。幼い頃に故郷のがやっているのを見てするようになった癖だ。

 唇にひやりと氷のような感触。

 敵と自分と互いの魔剣が一振りずつ──それ以外の余計な物が一つ残らず世界から消えていくのを感じる。


「エイシアのお方、お名前をお伺いしてもよろしくて?」

「え?」


 夢からめたように赤毛の少女が瞬きする。背に羽織った色鮮やかながいとうには東方大公国エイシアというよりは風の貴族の家紋。何やら複雑な来歴がありそうだが、それはこの場には不要な物。

 少女の胸には一輪の花。自分の胸にも一輪の花。

 どちらかが散れば、それで勝負ありだ。


「リット・グラント! 魔剣『十七セプテンデキム』!」

「承りました。──いざ」


 踏み込む。

 最初のステップは右足から。軽やかに、踊るように。右手に構えた山嶺モンストウルムの刃は赤毛の少女の胸元目がけて突きを繰り出す姿勢。大理石の地面を滑るように駆け抜ける。一呼吸の内に十歩の距離を切り取った爪先が少女の間合い、真紅の魔剣の射程距離の先端を髪の毛一筋だけ踏み越える。

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