魔剣少女の星探し 十七【セプテンデキム】 1

序ノ二 山嶺 ⑥

 この戦いで初めて──

 少女の手が、真紅の魔剣「十七セプテンデキム」の柄を握った。


 光がぜた、と思った。

 細剣を振り下ろした姿勢のまま、クララは思わず目を見開いた。

 山嶺モンストウルムの超重量に叩き伏せられて、真紅の魔剣が欠ける。長大な刀身の中ほど、側面の一部が甲高い金属音と共に弾け飛び、淡青色の刃に押さえつけられるまま落下していく。

 否、欠けたのではない。

 刀身から剝ぎ取られた腕ほどの長さの破片が、まるで最初から独立した一つの部品であったかのように、鋭い弧を描いて山嶺モンストウルムの下からするりと抜け出す。

 真紅の刀身全体を覆って幾筋もの光の線が走る。魔剣が砕ける、いや、本来あるべき姿へと分割する。長大な刀身の中央、ちゆうみつな魔術紋様が刻まれた闇色の芯の部分だけを残して花開くように。一つ一つの破片はいずれも大人の腕ほどの長さ。それが黒い柄を握る少女を中心にせんを描いて弾け飛ぶ。

 踏み込もうとしていた足を寸前で止め、後方に退くと同時に山嶺モンストウルムの切っ先で目の前の空間を十字に薙ぐ。同時、浮遊する破片のうち二枚が突如として旋回。左右からりにクララの肩口を狙い、淡青色の刃に弾かれて続けざまに跳ね返る。

 踊るように身を翻し、さらに五歩の距離を退いて身構える。

 顔を上げ、見つめた先には赤毛の少女の姿。


 右手に構えた黒い柄とそこからつながる刀身の最後の一欠片──いや、それ自体が独立した流麗な闇色の魔剣の表面を、真紅の光で編まれた魔力文字が走り抜ける。

 飛び散った幾つもの破片が、ゆるやかな弧を描いて少女の周囲に集う。個々の破片が単なる刀身の一部ではなく、それぞれが独立した一振りの魔剣であることにクララはようやく気付く。柄を持たない、刃だけで構成された腕ほどの長さの真紅の魔剣。それが少女の背後に円を描き、上下左右、十六の方向に剣先を向けて大輪の花のように静止する。

 刃が十六、剣が一つ──合わせて十七振り。

 ……ああ……


「だから──『十七セプテンデキム』」


 ブーツの爪先が大理石の地面を蹴る音。飛翔する真紅の刃を従えて、赤毛の少女が滑るように地を駆ける。同時に十六の刃のうち四つがクララの背後へ。退路を断ち切り、「無の質量」による受け流しを許さぬように。上下左右から標的を挟み込む位置に回り込んだ真紅の刃が神速の斬撃を四筋同時に繰り出す。

 振り返りざま山嶺モンストウルムを縦横に払い、寸前まで迫った四振りの刃を超重量で同時に叩き落とす。さらに反転、正面に向き直った時には赤毛の少女はすでに目と鼻の先。突きの姿勢で右手に構えた刃渡りほどの闇色の魔剣──おそらくそれこそが十七セプテンデキムの本体なのであろう両刃の剣がのたうつ蛇のようにクララの胸元目がけて滑り込む。


 瞬時に防御に動かした細剣の動きに呼応するように、闇色の魔剣が軌道を微細に変化させる。とてつもなく速い。慌てて少女の動きに追いつき、刃の切っ先を山嶺モンストウルムで弾いた瞬間、少女は剣の柄から無造作に手を放す。

 宙にくるりと円を描く魔剣を置き去りに、赤毛の少女の姿は山嶺モンストウルムの側面に回り込む位置。とっさに手首を返してガラス質の刃を横に払い、少女は後ろ手に逆の左手で摑んだ闇色の魔剣でその刃を受け止める。

 浮遊する十六の刃はクララの周囲、あらゆる退路を塞ぐ位置。かつには動けない。「重い」と「軽い」は同時には使えない。超重量で少女を押し潰そうとすれば「無の質量」による受け流しが出来なくなる。自分が攻撃の意思を見せた瞬間、全ての刃は同時に襲いかかってくる。

 だが問題はそんなことではない。少女がたった今見せた突きの一撃。自分の見切りをもってしても完全にはかわしきれない精妙極まりない剣捌き。何よりいかに自在に浮遊する魔剣とはいえ、敵の目の前で柄から手を放すその度胸。

 大振りな大剣を扱っている時には気が付かなかった。いや、あれほど巨大な剣を手も触れずにああも見事に操る時点で気付くべきだった。

 この人は、とんでもない使い手だ。


「……幼い頃、母が話してくれました」


 独り言のような少女の声。


 何を、と瞬きするクララに少女は──魔剣使いリット・グラントは小さな笑みを浮かべ、


「剣の道は果てしなく、星々が煌めく夜空のような物だと。広い世界を見て、たくさんの人と出会って、そうして多くの星にかれ鍛えられて初めて剣は剣になるのだと」


 闇色の刀身に稠密に刻まれた魔術紋様を、真紅の光が駆け巡る。

 赤毛の少女は腕に力を込めて山嶺モンストウルムの刃を弾き、その勢いに任せて後方に大きく退き、


「昨日グラノス卿という星に出会い、今日またあなたという星に出会えました。……感謝します、クララ・クル・クラン。やっぱり、母の言うことに間違いはありませんでした」


 少女の両手が黒い柄を握り、水平に、突きの姿勢に構える。

 一振りの剣と十六の刃──十七の切っ先が正確にクララを捉え、


「それではあらためまして。……グラント家最後の当主、リット・グラントと魔剣『十七セプテンデキム』、謹んでお相手いたします」


 笛を鳴らすような甲高い風切り音。十六の刃が同時に解き放たれる。四つは頭上、四つは後方、四つは左、四つは右。それぞれが独立の軌道で弧を描いてクララの退路を塞ぐ位置に回り込み、同時に地を蹴った赤毛の少女の体が目の前に迫る。

 最初に来るのは右の四手。突き、袈裟斬り、水平の薙ぎ払い、すくげるような斬り上げ──四筋の剣筋に合わせて山嶺モンストウルムの切っ先を走らせた瞬間、四つの刃がそれぞれの軌跡を変化させる。


 全ての刃が速度に任せた直線的な動きから、迎撃をかいくぐってこちらの懐に潜り込む複雑な動きへ。とっさに山嶺モンストウルムと腕の重さを消し去って刀身を加速、四つの刃のことごとくを撃ち落とした瞬間に、今度は左と頭上、八つの刃が同時に迫る。

 考えるより早く体が動く。全ての刃を超重量で叩き落とし、正面から突き込まれる少女本体の剣を退いてかわしざま、後方から迫る最後の四つの刃の行く手に背中を向けたまま飛び込む。振り返りもせずに後ろ手に払った山嶺モンストウルムの刃で四筋の軌跡にわずかな隙間をこじ開け、強引に体をねじ込んで全ての攻撃をかろうじてやり過ごす。

 汗が一筋、頰を伝う。

 目標を失った十六の刃は鋭利な弧を描いてすでにクララの頭上、あらゆる方向から眼下の標的目がけて襲いかかる体勢にある。

 無意識に息をむ。手にした一本の剣と飛翔する十六の刃──十七の剣を同時に操るなどそれだけで神域の絶技。だが、真に恐ろしいのはそこではない。この十七振りの魔剣は、一つ一つが達人の手にじかに握られているのとなんら変わりのない精妙な剣捌きをもって、ほんの少しの間違いもなく確実にクララの意識の隙間に滑り込んでくる。

 そもそも、ただ一振りの真紅の魔剣でさえ、これほど巧みに扱う者をクララは見たことがない。並みの使い手なら主の方を観察すれば魔剣の動きなど見ずとも知れる。あるいは、魔剣にだけ気をつければ主の攻撃など目をつぶっても打ち落とせる。真紅の魔剣と主が同時に、完全に別々の攻撃を繰り出してくるということがすでに異常なのだ。

 それを、全部で十七振り。

 いったい何をどうすれば、これほどの技を身につけることが出来るのだろう。

 自分のように生まれつきだろうか。あるいは研鑽のたまものだろうか。後者であるなら一体どんな研鑽を積んだのだろうか。こんなことが出来るようになるために、少女は何を捨て、どれほどの時を費やしたのだろうか。

 いや、本当はそんなこともどうでもいい。

 胸が高鳴る。

 頰が緩むのを抑えることが出来ない。

 ……なんて……

 刃が舞う。舞い踊る。花びらのように。ちようのように。一振り一振りが必殺の威力を備えた真紅の斬撃が降り注ぐ。弧を描いて翻った刃はそれぞれが自らの意思を持つように、クララの迎撃をかいくぐり、惑わし、絶えず互いに協調してあらゆる位置から懐目がけて潜り込んでくる。

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