魔剣少女の星探し 十七【セプテンデキム】 1

序ノ二 山嶺 ⑧

 予想だにしない事態に、反応が遅れた。

 我に返ったクララが目を見開いた時には、正体不明のその人影は二人の魔剣使いを置き去りに広場の北の塔の前、今回の決闘の賞品である「はぐれの魔剣」に駆け寄ろうとしていた。


「ま……!」

「あの人、昨日の──!」


 待ってくださいまし、と言いかけたクララの声を遮ってリットが叫ぶ。三つ編みに結わえた長い赤毛が躍る。駆け出すリットをさらに追い越して、空を裂いた四振りの真紅の刃が瞬時に人影に追いつく。

 二振りは回り込んで正面から、二振りは背中から。同時に繰り出された四筋の斬撃が黒い人影目がけて襲いかかり──

 人影の手に鈍く煌めく黒い刃。

 正体不明のその人物が腰の鞘からおそらく魔剣らしきナイフを抜き放った瞬間、真紅の刃の一つ、右の背後から人影に迫っていた一振りが急にその軌道を変化させる。


「うわ……!」


 戸惑うようなリットの声。突如として翻った真紅の刃が残る三振りの刃を次々に空中に弾き、さらに軌道を変えて後方、あろうことか主であるはずのリット自身に正面から襲いかかる。

 リットが手にした魔剣でその刃を頭上高くに跳ね飛ばし、その間に追撃を逃れた人影はさらに数歩先へと進む。黒いナイフから魔力文字で編まれた細い光の糸が一筋たなびくのをクララは見る。細い糸は浮遊する真紅の刃に絡みつき、その動きを強制的に書き換えているように見える。 とっさに地を蹴り疾走を開始。三歩の跳躍でリットに追いつき、重さを消した足で赤毛の少女の背中と肩を順に蹴って再度の跳躍。主に向かって切っ先を構える真紅の刃の正面に飛び上がり、漂う魔力文字の糸──繊細すぎて並みの者では存在することすらわからないであろう髪の毛よりも細いその光の軌跡に山嶺モンストウルムの刃を振り下ろす。

 一切の手応え無く走り抜ける刃に、斬ったという確信。制御を取り戻したらしい真紅の刃が陽光の下に緩やかな弧を描く。人影が一度だけ振り返って軽い舌打ちを漏らし、すぐさま正面に向き直って疾走を再開する。


「その者を魔剣に近づけさせるな!」


 観覧席の遠くでアメリアの声。右手側の席でもグラノス卿が何かを叫び、控えていた数名の兵士が広場へと駆け下りていくのが見える。だがどちらの席も魔剣を収めた魔術装置からは遠すぎる。そもそも、広場の外には決闘裁判を邪魔されないために両国の兵士や魔剣使いに教導騎士団が控えているはず。彼らはいったい何をしているのか。


「クララ──!」


 眼下から響くリットの声。名前を呼ばれたことに驚き、すぐに少女の意図を理解する。一振りにつなぎ合わされた真紅の魔剣はクララの背後、袈裟斬りに斬りつける姿勢。山嶺モンストウルムを後ろ手に背中に構え、振り下ろされる長大な刀身に刃を合わせると同時に自身と魔剣の重さを消しさる。

 衝撃と共に、耳をつんざく風切り音。

 爆発的な推力を獲得した体が空を裂いて視界の遠く、はぐれの魔剣の目前まで迫った人影の頭上へと到達する。

 振り返った人影に声を上げる間を与えず、上下反転で落下する姿勢のまま山嶺モンストウルムの刃を突き出す。同時に人影の右手の黒いナイフが閃き、淡青色の切っ先を喉元に突き立つ寸前で受け止める。魔剣が力を失うような、何かを吸い取られるような奇妙な感触。とっさに手首の返しで刃を離し、左に振り抜いた切っ先が人影の顔を隠すフードを浅く斬り裂く。

 瞬間、花が咲くように広がる長い銀色の髪。

 身を翻しざまかろうじて大理石の地面に着地し、クララはようやく目の前に立つ人物の正体に気付く。

 不思議な色合いの煌めく銀髪と、同じく銀色の長いまつげ。切れ長な青い瞳に、きりりと引き結ばれた唇。深窓の令嬢かとまがう白磁のような肌に、すらりと長い手足に豊かな胸。


「あなた、酒場の──!」


 人影──いや銀色の髪の少女があからさまにろうばいした表情を見せ、我に返った様子で正面、はぐれの魔剣が収められた魔術装置に駆け寄る。細い指が懐から取り出した小さな四角い箱を放り投げると同時に甲高い音が響き、魔術装置の周囲に聖門教の司祭達が張り巡らせていた結界と魔剣を収めたガラスの器、その両方がまとめて砕け散る。

 残るのは、しのまま台座に転がる銀色の両刃の魔剣が一振り。

 少女の手が、緑色の魔力石が象眼された柄にのびる。

 とっさに危ないと叫ぶ。主を持たないはぐれの魔剣、迂闊に触れればどんな災厄が降りかかるか分からない。と、少女が柄にのばしたのと反対の手で黒い魔剣を目の前に掲げる。ナイフのような短い刀身の周囲に膨大な数の魔力文字の糸が集積する。

 あんな物、見たことがない。

 息を吞むクララの見つめる先、少女はナイフの柄を握る五本の指で魔力の糸を器用に絡め取り、何かを操るように繊細な動作で引き寄せ、


「──ろ、全知オムニシア


 凜と透き通る、ガラス細工のような声。

 少女の手が、主を持たないはずの「はぐれの魔剣」の柄を無造作に握った。



刊行シリーズ

魔剣少女の星探し 十七【セプテンデキム】の書影