魔剣少女の星探し 十七【セプテンデキム】 1

序ノ三 全知 ②

 もしかしてこの店は隠れた名店というやつなのではないだろうかと気付くが、今はそこはどうでもいい。グラノスと言えば、明日の決闘裁判でエイシアの代表として戦うことになっている魔剣使いのはず。何とも都合の良い偶然があったものだ。


「あとは、そうですにゃんね……」と、少女はふと顔をしかめ「あちらのお客様も、確かのお方のはずですにゃん」


 あちら? と少女が目配せする方に視線を移し、ソフィアは思わず、うわ、と声を上げる。

 店の中央、ひときわ大きなテーブルにはふんぞり返った大柄な男が一人。

 酒瓶の山をうずたかく積み上げた男の背後には、真紅の魔剣が一振り、男の動きに合わせてゆらゆらと揺れている。


「今日、からお越しになったお客様ですにゃん。確かローエン様とおっしゃいまして」

「ローエン? あの人が?」


 その名前ももちろん知っている。ローエン・テイラー。決闘裁判で戦う側の代表。万が一全ての作戦が失敗した場合、あの男が勝って魔剣がオースト大使館に渡るという可能性もある。ここで取り入っておくのはとても良い考えに思える。

 ナイフとフォークを空になった皿にそろえて置き、立ち上がる。

 ふところに鞘ごと隠した全知オムニシアの柄の位置を念のために確かめる。


「ああっ! お客様、危ないですにゃん!」


 猫耳少女の声を背中に、テーブルに歩み寄る。考えと食事に集中し過ぎていて気が付かなかったが、酔っ払いの魔剣使いに恐れをなしたのか店内はいつの間にか空席だらけで、奥のバーカウンターの前では逃げ遅れた数人の客がさかだるを積み上げて防御陣地を築き始めている。


「……ぬ? 娘、何用か」


 ろんな目つきで振り返るの軍服姿の男。

 ソフィアは少しためらってから隣の席に座り、


「えっと……良かったらお近づきの印に、ボクから一杯どうかな、って」

「ほう……?」


 一瞬、げんそうに首を傾げる男。

 だが、すぐにその表情が豪快な笑いに取って代わり、


「いやがたい! 栄えある決闘を前にこれほど美しい娘に祝福を賜ろうとは! これはいよいよわしにも天運が巡ってきたと見える!」


 はあ、と曖昧に笑顔を作り、適当に中身の残っている酒瓶を摑んで男のカップに酌をする。

 男はうむうむとうなずき、豪快に酒を飲み干す。悪い人物では無さそうだが、どうも、それほどの使い手には見えない。


「思えば五年、苦汁の日々であった」そんなソフィアの考えにまったく気付かない様子で男はなにやら遠い目で石造りの天井を見上げ「陛下のご温情で補佐役の地位に留まることこそ許された物の、同輩には二流の魔剣使いと嘲られ妻は息子を連れて実家に帰り……」

「そ、そうなんだ。なんか大変だったね」


 よく分からないなりに、少し男に同情する。

 と、男は目の前の酒瓶をひっつかんでカップも使わずそのまま飲み干し、


「だが! それも明日までよ! この五年、休むこと無く鍛え抜いた技にて今度こそは雪辱を果たし、グラノスめに奪われた名誉を取り戻すのだ──!」


 空の瓶を頭上に掲げ、快活に笑う男。

 ソフィアはその顔をしばし見上げ、口元に手を当てて少し考え、


「でも勝てるの?」


 うん? と酒によどんだ男の視線。

 ソフィアはそれに気付かず、思ったことをそのまま口にしてしまった。


「だってあんた、そのグラノスって人に一回負けたんだろ?」



 何から何までく行かない。

 夜の闇に沈むセントラルの東地区の裏通りを、ソフィアは一人、とぼとぼと歩いた。

 あの後に起こった事は思い出したくもない。何がそんなに気に入らなかったのか、怒り狂った男に腕を摑まれ、いよいよ全知オムニシアを抜くしかないかと覚悟を決めたところで魔剣使いの少女に助けられた。ふわふわの金髪にふわふわのドレスの、およそ荒事など似合いそうにない少女。お礼も言わずに逃げ出してしまったからどんな魔剣を持っていたかは確かめなかったが、あの子は無事だろうか。

 路地に駆け込んで隠しておいた黒装束を着込んだ時にはもう東方大公国エイシアの特使が通りに差しかかる時間で、慌てて馬車を止めたところに飛び込んできたのがあの真紅の魔剣使いの少女だ。見たことが無いほど巨大な魔剣を自在に操る少女。魔剣戦争の歴史にはそれなりに詳しいつもりだが、あんな魔剣は知らない。少なくとも、この二百年の間にどこかの戦場で使われた記録は無いはずだ。

 それにしても、あの赤毛の子は強かった。あれほど巧みに真紅の魔剣を扱う者などソフィアは数えるほどしか知らない。もちろん少女の細腕では到底扱えない巨大な剣、制御を奪ってしまえばどうということは無いはずなのだが、なんというか、あの真紅の魔剣からは「それだけではない」気配のような物を感じた。

 かつなことは出来ない。そもそもこの全知オムニシアは、みだりに衆目にさらして良い魔剣では無いのだ。誰もが知る高名な魔剣というわけではないが、逆に言えばこの魔剣を知る者は必ず自分の「敵」か「味方」のどちらかだということ。どちらにしても、今のソフィアには全く好ましくない。

 ……どうしよう……

 襲撃は失敗し、鍵の魔剣はエイシア大使館に運び込まれてしまった。明日の決闘裁判が終われば魔剣は東と南のどちらかの国に移されて王宮の保管庫に収蔵されることになるわけだが、もちろんそれだけで済むはずが無い。これだけのおおけをして魔剣をわざわざセントラルに運び込んだ以上、彼らはこの街で新しい計画を始めるつもりなのだ。

 つまりは。


「やっぱり、やるしかないよなぁ……」


 深々とため息。今日一日でいったい何回ため息を吐いたかわからない。ため息を吐くと幸せが逃げると姉にはよく心配された。明るく、楽しく、朗らかに。そうすれば幸せというのは自分の方から飛び込んでくるものだと優しく頭をでてくれた姉は……

 ……だめだめ……


 とにかく今は明日に備えるしかないと、覚悟を決めて歩き出す。まずは今夜の寝床。あのからすの寝床亭という店に戻って部屋を借りることは出来るだろうかとソフィアは突き当たりの角を右に曲がり──

 やっと気付く。

 この角を曲がるのは何度目だ?

 そもそも自分はいったいいつからこの裏路地を歩き続けている?


「──おや、やっとお気づきですか」


 不意に頭上から声。路地の左右にそそり立っていた石造りの壁が溶けて崩れ、一面の濃密な闇が視界を満たす。ただの闇では無い。自分の体や手足ははっきりと見えるのに、立っているはずの地面が真っ黒に塗り潰されて石なのか土なのかさえも分からない。

 とっさに懐から全知オムニシアを取り出し、鞘を払う。

 逆手に握った漆黒のナイフを胸の前に構え、ゆっくりとすり足で歩を進め、

 ……来た……!

 一呼吸に身をひるがえして後方に飛び退った次の瞬間、直前までソフィアが立っていた空間が赤熱する。噴き上がった炎の柱が闇を一瞬だけ焦がし、すぐさま消え去ると同時に今度は四つ、前後左右を取り囲む位置に出現する。熱が肌をあぶる感覚。意を決して正面の火柱に飛び込んだ瞬間、魔剣の加護によって体の表面に形成された魔力の皮膜が炎をあっけなく弾き、消し去る。


 そのことに逆に驚く。

 魔剣の権能では無い。これはただの魔術だ。


「誰──? いったい何の!」


 魔術に対する絶対防御は魔剣使いに与えられる共通の加護の一つ。魔剣の主に選ばれた者は生まれついての魔力を全て魔剣に吸い取られて一切の魔術が行使出来なくなる代わりに、常人離れした身体能力と共にこの加護を授かる。そんなことは子供でも知っている。だから、けんせいや時間稼ぎ以外の目的で魔剣使いに魔術を向ける馬鹿はいない。

 それでも仕掛けてくる相手なら可能性は二つ。

 しろうとか、あるいは熟練の達人だ。



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