魔剣少女の星探し2 魔剣名鑑

序ノ一 豊穣の大賢人 ①

 ロクノール環状山脈の雪深い高峰に抱かれる聖地セントラル。百万の人々が暮らす広大な街区の南東、編み目のような細い路地を抜けて小さな橋を三つ渡った先。参道のけんそうから離れた民家が建ち並ぶ一角に、「からすの寝床亭」はひっそりとたたずんでいる。

 目印は軒先に揺れる黒い鳥の看板。手頃な広さの店内は石造りの二階建てで、一階が酒場と共用の浴場、二階が五部屋の客室。店主は物静かな初老の男で、客の応対やきゆうのほとんどはたった一人の店員である猫耳獣人のメイドの少女が切り盛りしている。

 一見するとどこにでもある宿屋兼酒場というぜいのこの店は、かねてより通商連合の食通の間でひそかにその名を知られている。店主のたくみの技が生み出す料理の数々はどれもこれもが宮廷料理にも引けを取らないほどの絶品で、西のさる名高い料理人が一口食べるなり弟子入りを申し込んだという逸話がまことしやかにささやかれたこともある。

 おおだなの主に高名な魔剣使い、聖門教会の高位の司祭に四大国の大使館の要人までもがあししげく通う、まさに隠れた名店。

 そんな店の状況が大きく変化したのは一ヶ月前。セントラルに新たに誕生したとあるが、この店を本部ギルドホールとして利用するようになってからのことだった。

 夜明けの星ステラ・アウロラ──その名を知らない者は今や街には一人もいない。年若い少女ばかりが三人、しかも神話にうたわれる七つの厄災を退けるほどの達人が集って旗揚げしたギルド。それが東方大公国エイシアの大使館のお墨付きとなれば放っておく手などあろうはずがない。店にはうわさの魔剣使いを一目見ようと連日のように客が押し寄せ、猫耳メイドの少女は日ごとに増えていく帳簿の売り上げを前に小躍りして喜ぶこととなった。

 依頼受け付けのために酒場の隅に用意された小さなテーブルには、様々な種類の依頼書が毎日のように積み上げられた。農場に住み着いてしまった竜の討伐に、ロクノール山に新たに発見された遺跡の調査、あるいは街を騒がす盗賊団の捕縛──もちろんセントラルの街には他にも大小合わせて百以上のがあるが、大手のギルドはいずれも通商連合をはじめとした様々な組織と深いつながりがあり、依頼を一つ出すにも複雑な利害関係がからんでくる。そういった既存のギルドには頼みにくい依頼、あるいは危険すぎて並みの者では手に負えない依頼。夜明けの星ステラ・アウロラの元には次々に新たな仕事が舞い込み、三人の魔剣使いはその全てを文字通り片っ端からたたき斬っていった。

 忙しくも充実した日々がまたたに過ぎ去り、ギルド結成からちょうど一ヶ月。山のように積み上がっていた依頼書もどうにか残らず片付き、店を訪れる見物客も幾らか落ち着きを見せ始めた。暦はいつしか龍のからに切り替わり、街では春の終わりの祝祭、「龍日祭」が今まさに始まろうとしていて──

 そんな、今日。

 鴉の寝床亭では、ちょっとした問題が持ち上がっていた。


「リット様にクララ様にソフィア様。三人とも、そこにお座り下さいにゃん」


 両手を腰に当てたミオンが、憤然と胸を張って宣言した。

 ソフィアは、うっ、と身を縮こまらせ、おそるおそる椅子に腰掛けた。

 朝を迎えたばかりの酒場に客の姿はなく、丁寧に掃き清められた石造りの床が窓から差し込む朝日にきらめいている。店の奥では魔力文字が書かれたさかだるがひとりでに積み上がり、カウンターの向こうでは店主がいつも通り何かを悟りきった顔でワイングラスを磨いている。

 そんな店の真ん中。

 なぜかぎちぎちに三つくっつけて並べられた椅子に座るソフィア達三人の正面、小さな丸テーブルの向こうで、いつものメイド服姿のミオンがあでやかな黒い尻尾をせわしなく上下させ、


「拙が何を言いたいか、ご説明しなくともわかりますにゃんね?」


 うぅっ、と思わず顔を伏せる。

 テーブルの上には銀貨が三枚に銅貨が少し。

 このわずか数枚の貨幣が、夜明けの星ステラ・アウロラ」の現状の全財産ということになる。


「……ど、どなたかの数え間違い、という可能性もあるかと思いますの!」


 左隣の席からうわずった声。華麗な黄色いドレスにふわふわの金髪の少女が唇に指を当ててわざとらしく、んー、と天井を見上げる。

 クララ・クル・クラン。

 北方連邦国ルチアに名高き伝説の魔剣「山嶺モンストウルム」の主である少女はわいらしく小首をかしげ、


「ほら、素敵な殿方にいただいた贈り物を大切にしすぎてどこに仕舞い込んだかわからなくなってしまう、なんてこともありますわよね? ですから、引き出しの中とかベッドの下とか、そういうところに金貨の一枚か二枚くらいは」


 ミオンの黒い尻尾が丸テーブルをぺしんっ! と叩く。クララが「ひゃん!」と身をすくませ、釣られてソフィアもいっそう低く顔を伏せる。

 すごく怖い。

 と、反対側の隣の席で「……ごめんなさい」と沈んだ声がつぶやき、


「まさかギルドのお財布がそんなに大変なことになっていたなんて。団長ギルドマスター失格です」


 長い赤毛を三つ編みに結わえた少女がどんよりとうつむく。

 リット・グラント。

 真紅の魔剣「十七セプテンデキム」の主であり、夜明けの星ステラ・アウロラの発起人にして団長ギルドマスターでもある少女は握った拳を膝の上でふるふると震わせ、


「街での暮らしはどうも勝手がよく分からなくて、ギルドの経理もミオンに任せきりにしてしまって。……ないです。クララもソフィアもあんなに頑張ってくれたのに」

「リットさんは悪くありませんわ!」


 クララがめずらしく血相を変えて立ち上がる。ソフィアも「そうだよ!」と身を乗り出し、


「仕方ないって! あれにそんなにお金がかかるなんて知らなかったんだから!」


 勢い込んで指さすテーブルの上には、黒くて小さな宝石。

 小指の先程の魔力石に金細工の装飾を施したその石は、一般に「魔力電池」と呼ばれている。

 セントラルに限らず四大国のどこであっても、人々の暮らしというものは様々な魔術装置によって成り立っている。通りを行き交うゴーレム馬車や魔導車は言うに及ばず、夜道を照らす街灯や生活用水の循環を支える水道網なんかもそうだ。ことに、魔術装置の技術が発達したセントラルではその傾向が強い。家の掃除や洗濯、果ては役所での簡単な手続き一つに至るまで。例えば店の奥に無造作に転がっている木のおけだって、中に汚れた洗濯物をいれれば自分で勝手に水をくんで勝手に洗って絞って乾かして、ついでに棚にぴったり収まる形に畳んでくれるというこの上なく便利な逸品だ。

 そして、そうした装置は全て、魔剣使いには扱えない。

 およそありとあらゆる魔術装置というものは「使う者の魔力を動力として利用する」ことを前提に設計されていて、持って生まれた魔力を残らず魔剣に吸い取られる魔剣使いの都合は考えられていない。

 魔術装置というのは要するに「本来なら正しい訓練を積んだ魔術師が複雑な工程を経て構築する魔術を、魔力を流し込むだけで誰でもすぐに発動出来るようにした」道具だ。人間というのは誰でも生まれながらに魔力を持っているわけで、どんなに魔術が下手な人でも魔力の量自体が極端に少ないということは普通はないのだから、それを便利に活用しようという発想におかしなところは何もない。

 だが、ソフィア達にとっては大問題。

 四大国の王都で貴族として使用人にかしずかれて生活するのならともかく、根無し草のようにこの街に流れ着いた魔剣使いが魔術装置の助けを一切借りずに日々の暮らしを営んでいくというのは不可能に近い。


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魔剣少女の星探し2 魔剣名鑑の書影
魔剣少女の星探し 十七【セプテンデキム】の書影