魔剣少女の星探し2 魔剣名鑑

序ノ一 豊穣の大賢人 ④

「り、リット──?」

「リットさん──?」


 ようやく我に返ってクララと声を上げた時には遅く、礼服の一団は赤毛の少女をえっさほいさと担いで流れるように店の出口の扉を潜ってしまう。筋骨隆々の男女が少女を手際よく馬車に投げ込んで自分達も次々に車内に乗り込む。ゴーレム馬のいななく声。蹄の音も高らかに、六台の馬車が石畳の通りをさつそうと走り出す。

 慌てて通りに飛び出し、土煙を上げて走り去る馬車を呆然と見送る。店内に取り残されていた真紅の魔剣「十七セプテンデキム」が困ったように左右に揺れてから空中をしようし、馬車に追いついて屋根にぴたりと貼り付く。


「ま、待って! ちょっと待──!」

「ふふふ二人ともあああとのことはよよろしくおおおおお願いします──────!」


 簀巻きのままのリットが激しく揺れる馬車の窓から器用に首だけを突き出して叫ぶ。その姿が角を曲がって見えなくなり、車輪と蹄の音があっという間に遠ざかる。

 しばしの沈黙。


「……どうしよ」呟き、自分の言葉に目の前が真っ暗になって「どうしよ、ねえこれほんとにどうしよ! リットは連れてかれちゃったし、お金はないし仕事もないし! それに金貨ごごご五十万枚なんて──!」

「まあまあ、少し落ち着いてくださいまし」意味もなく右往左往させた手をクララの手がやんわりと受け止め「リットさんなら大丈夫。きっとご自分で何とかなさいますわよ」

「そ、そう? ほんとに? ほんとに大丈夫──?」

「もちろんですわ。でなければ、大人しく捕まってそのまま連れて行かれるはずがありませんもの」


 自信たっぷりにうなずくクララの言葉に少し落ち着く。店の扉の陰でミオンがものすごく慌てた顔をしている気がするが、そっちは見なかったことにする。


「そっか……じゃあ、ボク達はリットが帰ってくるまでにちょっとでもお金を稼がないとだね!」腕組みして、うーん、と首を捻り「どうしよっか。とりあえずグラノスきようかアメリア大使のとこ行って相談するだけしてみる?」


 ダメ元で、と小さく付け加える。二人は東方大公国エイシアの有力者ではあるが、それぞれの大使館とつながりがあるギルドは何も夜明けの星ステラ・アウロラだけというわけではない。グラノスにもアメリアにも立場があるから、そういうギルドを差し置いて自分達にだけ仕事を回してもらうというわけにはいかない。

 と。


「……その前に、少しお付き合いいただけますこと?」クララがためらいがちに声を上げ「実を申しますと、心当たりが全然ない、というわけでもありませんの。何と申しますか……」


 視線を右往左往させてよどむ金髪の少女を見下ろし、内心で首を傾げる。この子にしては珍しくはっきりしない。

 と、急に「……しっかりなさいませ、クララ・クル・クラン」と独り言のような呟き。

 少女は両手で頰を押さえて、よし、と一つうなずき、


「わたくしも覚悟を決めました。こうなったら最後の手段ですわ!」


 白一色の壁をまばゆいろどる金とはくの花細工が、窓から差し込む陽光に煌めいた。

 けんらんごうとしか言い様のない広間の光景に、ソフィアは心の中で感嘆の声を上げた。


「ご無沙汰しておりますわ、フリッツ叔父様。……大使ご就任、お祝い申し上げます。王に仕えるはクラン家の誉れ。父祖の霊もさぞやお喜びでしょう」

「久しいな、クララ。……厄災退治の一件は聞いている。無論その後の活躍もな。山嶺モンストウルムの主に相応しい見事な戦働き、クラン家の一員として誇らしく思う」


 北方連邦国ルチア大使館の応接室は魔剣使い同士で軽く立ち合いが出来そうなくらい広くて、床や柱どころか窓のちようつがい一つにまで気が遠くなるほど精緻な細工が施されている。取り外して参道沿いの美術商に持っていったら幾らで売れるか見当もつかない。天井全体を覆う巨大な絵画はたぶんこの部屋のために特別に用意されたもの。ルチアの王都を描いたらしい絵画は魔術けになっていて、澄み切った青空を竜の群れが優雅に飛び去っていく。

 目が痛くなるような派手さはなく、権威を誇るような押しつけがましさもなく、ただ、何もかもが有り得ないほど美しい。

 思わず、うわぁ、とため息。

 そんなソフィアの感動を置いてけぼりに、隣の席ではクララがテーブルの向かいの男と会話を繰り広げている。


「ところで、おいえの方はその後いかがでしょう。グリム兄様とグラム兄様はまだ病の床に伏せっておられるとお聞きしましたけれど」

「二人とも新年の祝いにも開祖様の生誕祭にも顔を見せん。誤ってお前の寝所に迷い込んだ際に不幸にも砕けてしまった両腕と両足の傷がいまだに癒えぬと見える」


 見事なくちひげを丁寧に整えた黒い執務服の男が、嘆かわしいことだ、と首を左右に振る。フリッツ・エル・クラン。家名が示す通りクララの親族、それも実の叔父に当たる人物で、一月前にセントラルに着任したばかりの北方連邦国ルチアの新しい大使でもある。クラン家の中でも本家に次いで格上の、代々領地の経営や財務を取り仕切ってきた家系の当主。実直にして公明正大。クララが山嶺モンストウルムを受け継いだ際の跡目争いでも一人だけ誰にもくみすることなく中立を貫いたそうで、老齢を理由に地位を退いた前大使の後任にばつてきされたのもその人柄を買われてのことに違いない──というのが、この大使館に来るまでの道中でクララに受けた説明だ。


『じゃあさ、その人はクララを捕まえて実家に連れて帰ろうっていうんじゃないんだね?』

『そうとも言い切れないのが難しいところですの。ですので、出来ればお近づきになりたくはなかったのですけれど』


 セントラルの中央にそびえる大聖堂からぐ北に下る参道の中ほどに、この北方連邦国ルチア大使館はある。鴉の寝床亭での騒動のあとすぐ、ソフィアはクララの案内でここにやってきた。聞くところによるとクララの元には何日も前から大使の直筆で仕事の依頼が届いており、クララは今日までそれを無視し続けていたのだという。


『背に腹は代えられませんもの。……とはいえ、万が一ということもありますから、その時はお手伝いお願いしますわね?』


 可愛らしく小首を傾げるクララの眼光を思い出すと、背中に氷の刃を押し当てられたようなかんがする。以前に実家を飛び出したてんまつを聞かせてもらった時には軽い口調で話していたが、少女にとっては本当に本気で腹に据えかねることがあったに違いない。


「──して、貴殿がソフィア嬢か」


 そんなことを考えていると、急にフリッツ大使の声。

 首を傾げて何度か瞬きし、ようやく自分が呼ばれたのだと気付いて、


「え……? う、うん! じゃなくて、はい!」

「我がめいへの助力に感謝を。クラン家と北方連邦国ルチアを代表して礼を申し上げる」


 優雅に一礼する男に慌てて頭を下げ、心の中で冷や汗をかく。マナーなんてまるでわからない。こんなことなら姉に昔もらった本をもっと真面目に読んでおけば良かった。

 隣の席にちらっと視線を向けると、クララは背筋をぴんと伸ばしてティーカップを傾ける。

 指先をれいに揃えて持ち手を支える仕草がいかにも上品というか、貴族っぽい。

 戦災孤児の流民だった自分には縁遠い世界だなと、ふとつまらないことを考える。


「それで叔父様、お仕事の依頼というお話ですけれど」


 ティーカップを音も立てずに皿に戻し、クララがあらためてフリッツ大使に向き直る。うむ、とうなずいた大使がなぜか左手側の壁、高い位置に取り付けられた大きな窓を見上げ、


「依頼というのは他でもない。護衛だ」テーブルの上で両手を組んで深く息を吐き「龍日祭の観覧のために、さる高貴なお方が北方連邦国ルチア本国よりこのセントラルにお越しになられている。祭りの期間、その方の護衛と街の案内を頼みたい」



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魔剣少女の星探し2 魔剣名鑑の書影
魔剣少女の星探し 十七【セプテンデキム】の書影