魔剣少女の星探し2 魔剣名鑑

序ノ一 豊穣の大賢人 ⑥

 横目にちらっとエカテリーナの様子をうかがう。小さい生き物は「なんじゃー! 妾に隠れてこそこそとー!」と頭の上に突き出した両手の拳をぶんぶん振り回している。ぞろっとした黒いローブの表面には金糸でとんでもなく細やかな魔術紋様がしゆうされ、随所に小さな魔力石が埋め込まれている。ただのローブではない。高位の魔術師のために用意された最高級品。それを小さな女の子が着ているものだから、お祭りの仮装か何かにしか見えない。

 じゃなくて。


「え? でもおかしくない? そりゃすごく偉い魔術師なんだろうけど、クララの家だって北方連邦国ルチアの大貴族だよね? なら、そんなにぺこぺこしなくても」


 返るのは、なんだか困ったようなため息。

 そういうことではありませんの、とクララが視線をうつむかせ、


「もちろん魔術師としても偉いのですけれど、ご実家がクラン家と比べても二つか三つは格上の大大大貴族……と申しますか、連王様の妹君のお孫さんにあたるお方ですの」


 なんだそれは。


「いや待って。それ、貴族って言うか王族……」


 言いかけて慌てて口を押さえる。クララに対しては実家のクラン家だけではなく北方連邦国ルチア王家からも捜索願いが出されていると以前に聞いた。フリッツ大使はどうやら話の分かる人物らしいが、エカテリーナの方もそうだとは限らない。


「心配には及ばぬぞ魔剣使いの娘!」


 と、いきなり割って入る甲高い声。

 王族という言葉を聞きつけたらしい女の子が駆け寄るなりクララの腰に両腕を回してぎゅーっと頰を押し当て、


わらわはクラン家の身内の争いになぞ何の興味もない! 誰よりも強いクララが山嶺モンストウルムの主に選ばれた。だからクララがクラン家を治める。当然のことではないか!」


 高らかにそう宣言して応接室の出口の扉をびしりと指さし、


「そんなことより街の見物じゃ。妾はセントラルが見てみたい。祭りが始まるのは明日からとはいえ、この街は名所名物の宝庫と聞いておる! そなた達のギルドホールも見てみたい。さあ、早うないいたせ!」


 黄色いドレスの腰を抱きしめたまま、ぴょんぴょんと飛び跳ねる女の子。

 クララはにっこりとうなずき、小さな両脇を抱え上げてこっちの目の前にすとんと落とし、


「それではソフィアさん。エカテリーナ様のお相手、よろしくお願いいたしますわね」


 何を言われたのかわからない。

 ん? と首を傾げるソフィアに、クララは唇に指を当て、


「役割分担というのが大事だと、わたくし思いますの」可愛らしく小首を傾げて微笑み「護衛と案内だけでしたらソフィアさんお一人でも十分。わたくしはグラノス様とアメリア様に別なお仕事をいただけないか相談して参りますので、そちらはお任せあれ」


 くるりと身をひるがえしたと思った次の瞬間には、華麗な黄色いドレスは応接室の扉の前。


「な、なんじゃと──?」エカテリーナが茶色の目をまん丸にして「クララはついて来ぬのか? いかん、いかんぞそれは! 妾はクララと一緒に祭りを見物するために!」

「そうだよ!」ソフィアも慌てて「グラノス卿とアメリア大使のとこならボクが行けばいいだろ! この子は君のお客さんなんだから、君が相手しなきゃ──」

「では! ごめんあそばせ」


 流れるように閉ざされる、応接室の扉。

 ぽかんと口を開けるソフィアの後ろで、フリッツ大使が深々と息を吐いた。



 屋台の軒先でぐるぐると回る子豚の丸焼きから、脂身の焦げる良い匂いが立ち上った。

 ソフィアは店主に礼を言って肉の切り身入りのパンを受け取り、長椅子の一つに引き返した。

 龍日祭の開催を明日に控えた街では、すでに気の早い商家が幾つも露店を開いている。北東地区の運河に面したこの広場もそんな場所の一つ。テーブルと椅子が幾つも並べられた広場は即席の食堂になっていて、幾人もの巡礼客が旅の疲れを癒やし、振る舞われた料理と酒にしたつづみを打っている。


「はい、これ。こっちの皮のところがさ、かりかりのさくさくでしいよ」


 勢いよく長椅子に飛び乗り、パンの片方を隣のエカテリーナに差し出す。

 しばしの沈黙。

 エカテリーナはこっちの顔も見ずに、ふんっ、とパンを奪い取り、乱暴にかぶりつく。


「ねー……君ってば、そろそろ機嫌直してよ」思わずため息。女の子の茶色い髪を横目に「クララはボクがちゃんと叱っとくし、明日は絶対連れてくるからさー」


 反応なし。エカテリーナは運河の水面を睨み付けたまま、握りしめたパンを親の敵か何かのようにどんどん口に押し込む。諦めて自分もパンを一口。厚めに切られた肉は汁気がたっぷりで、脂で揚げ焼きみたいになった皮の硬い食感が良いアクセントになって面白い。肉汁とソースを吸って柔らかくなったパンとも相性抜群。こんな状況じゃなければもっと美味しいのに。


「とにかく、せっかくの観光なんだから楽しもうよ。この近くなら『百手ヘカトンキレスのアルルメイヤ』の像とか見られるよ。……それか、大聖堂とか行ってみる? すごいんだよ。今なら教導騎士団が演舞の練習とかしてるんじゃないかな」


 どうにかもっともらしい言葉を続けるソフィアを無視して、エカテリーナが長椅子から飛び降りる。空になったパンの包み紙をくしゃくしゃに丸めて運河に放り投げ、参道に向かって大股にずんずんと歩き出してしまう。

 慌てて小さな背中を追い、心の中でもう一度ため息。

 振り返って広場の反対側をそれとなくうかがうと、巡礼客に紛れて遠巻きに見守っていた北方連邦国ルチア大使館の兵士達が揃って深く頭を下げる。


いか! 護衛はこの者一人、他は絶対についてきてはダメなのじゃ! もし見つけたら、妾は何もかもすっぽかして王都に帰る!』


 フリッツ大使に向かってやけっぱちな口調で宣言するエカテリーナの姿を思い返すと頭が痛くなる。大賢人マギアスなんて立派な肩書きを持っているからには自分の身くらい自分で守れるのだろうが、それにしたって王族、それもあんな小さな女の子がふらふら街を散策していいはずがない。護衛が自分一人というのもたぶんあんまり良くない。いくらとして正式に依頼を受けたと言っても、クララはともかく自分は今日初めて会ったばかりなのだ。

 だいたい、子供の扱いなんてさっぱりわからない。

 物心ついてからの長い時間を貧民街で物乞い同然に過ごしたソフィアには、同年代や年下の子供と接した経験がほとんどない。

 ……姉さんは、どんな感じだったかな……

 東方大公国エイシアの公都から遠く離れた森の奥のしきを思い出す。大きな屋敷には身の回りの世話のために置かれた自動人形達の他にはソフィアと姉の二人きり。組織の幹部として四大国を飛び回っていた姉はどんなに忙しくても月に一度は必ず帰ってきて、そのたびに山のようなプレゼントをソフィアにくれた。小さな自分を膝に乗せ、放っておくとすぐぼさぼさになってしまう髪を丁寧にくしでとき、姉はいつも、ソフィアが知らない言葉でソフィアが知らない歌を歌ってくれた。


『次のお土産は何がいい? ソフィアちゃんは何が欲しい?』


 出立はいつも帰ってきた日の次の朝で、姉は名残惜しそうに自分を抱きしめてそう聞いてくれた。自分はそのたびに一生懸命考えたけど、美味しい食べ物と汚れていない服と虫がいないベッドがあるだけで十分すぎるくらい幸せだったから、結局、姉が喜ぶような答えは一度も返すことが出来なかった。

 全知オムニシアを貸してもらって、魔剣使いの技を教わって、十三位階の称号を授かった。姉は自分を結社に関わらせたくなかったみたいで、どこかにあるという本拠地には結局一度も連れて行ってくれなかったし、姉が組織の中でどういう地位で、どのくらい偉いのかも本当のところは教えて貰えなかった。

 離ればなれになってしまった今、あの人のことをどう思ったら良いのかソフィアには実はよくわからない。世界に戦乱を巻き起こし、たくさんの人を不幸にした結社の幹部。だけど、自分にとっては救い主で、たった一人の家族で、大好きだった人。

 ……ボクが結社の『根』を潰して回ってるって知ったら、怒るかな……


『ジェレミアに指示を出してた奴がいるって、それほんとなの?』


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