関所守り十五年の勘が、警笛を鳴らした。
「オウ。久々によ。無信心の俺も、経が聴きたくなったな」後ろ手に、太田に非常のサインを出している。「ひとつ、詠んでくれや。読経請われて、断る坊主なんざ、いねえよな?」
場の気配が、びり、と張り詰める。
風が逆巻き、大粒の砂を巻き上げても、旅僧はまばたき一つしなかった。緑色の瞳がすっと細くなり、解けた包帯からわずかに見える口元から、犬歯がぎらりと覗いている。
「『つよい男の子に、なるように』……」
「……何だって?」
「おいしくて、強くなる、ビスコだ。」
旅僧の声がにわかに険を帯び、ざらついた殺意を滲ませた。
「温かい祈りが籠もった、強い名前だ……。てめえ如きに、笑われる謂れはねえ」
「てめえッ、坊主じゃあねえなァッ」
「ビスコさん、ゴメンナサイと言いやがれェッ」
すかさず髭面が抜き放ち、撃った拳銃の弾が旅僧の耳を掠め、包帯の結び目を弾き飛ばした。
ばらり、と。
赤い髪が、乾いた風に躍った。
僧の仮面をかなぐり捨てたその眼は鋭く。爛々と緑色に光る両の瞳が、岩を通すような意志を漲らせている。燃えるような赤い髪は、男の苛烈さを示すように逆立ち、砂漠の風に煽られてばさばさと揺れている。
銃に怯む様も見せず、不敵に腕で顔を拭えば、汗でぬめる肌化粧が剝げ、右目を囲む赤い刺青が、ぎらりと露わになった。
「ひ、人喰い……」髭面と太田、二人の役人が口をあんぐりと開けて、赤髪の男に慄く。
「人喰い、赤星!!」
「誰が、人喰いだァッ」
ビスコが背中の短弓をずらりと抜き放つと、エメラルド色のそれが陽光を照り返して、眩しく輝いた。懐の矢筒から抜いたドス赤い矢を素早く引き絞り、窓口に向けて撃ち放つ。
「おわぁっ!」と悲鳴を上げて屈みこむ髭面の頭を掠め、矢は水着グラビアのカレンダーを貫いて関所の壁に突き立ち、壁一面に、びしり! と、凄まじい亀裂を走らせた。
「な、なんつー弓だ!?」
「イノシゲさんっ! あ、あれ、あれっ!」
太田が指差す方向を見れば、壁に走った亀裂を中心として、関所小屋のあちこちから、ふつふつと真っ赤な──何か丸いものが芽吹き、膨れてくる。
そのゆるゆると回る赤いものはほどなく、ぼん! と音をたてて勢いよく伸び上がり、関所小屋の壁をへし割ってしまう。赤い傘をふわりと広げ、茎をなおも豊かに伸び上がらせる姿は、素人目にも容易に、それが何であるか知らしめた。
「こ、これって……うわあっ! き、キノコだあっ!」
「バカ野郎! 逃げろ太田ァ」
髭面は、私物の望遠カメラを必死に回収する太田を引っ摑んで、慌てて小屋から飛び出す。その戸をまたがぬうち、凄まじい勢いで膨れ上がった真っ赤なキノコの群れが、ばがん! ばがん! と轟音を立てて発芽し、関所小屋を粉々に打ち砕いた。
爆裂する関所小屋を振り返りもせず、ビスコは跳ね飛ぶように自分の犬車に駆け寄り、車を覆う麻布に向かって、大声で怒鳴った。
「ジャビ! 失敗だッ。壁沿いに逃げる! アクタガワを起こしてくれッ」
途端、麻布がぶわりと舞い上がり、宙を跳ぶ。布の中から姿を現したのは、巨大な蟹であった。高さにして、人の背丈の二倍はあるかというところ。大蟹はそのままくるりと回転して砂の上にどすんと着地すると、誇らしげに大バサミを上げ、橙色の甲殻を陽光に光らせた。
ビスコがひらりと背中の鞍に飛び乗れば、大蟹は勢い込んで走り出す。
「だーから言ったんじゃい」ビスコの隣で大蟹の手綱を取るのは、豊かな白髭を蓄え、幅広の三角帽を被った老爺である。「勧進帳の真似事するなら、経のひとつふたつ覚えんと。わしゃ言えるよ。ジャモンキンナラ、ホスヤクシャイ」
「関東なら纏火党は顔パスだって、てめえが言ったんだろ!」走る大蟹の上でビスコが老爺に怒鳴る、その声をかき消すように、砲弾が数発、走る大蟹の横へ着弾して砂を巻き上げた。
「……あの野郎、カバを出してきやがった!」
砂埃に目を細め、嚙み付くようにビスコが背後を睨むと、機銃やら大砲やらを背中に括り付けた軍用のスナカバの群れが、砂煙を上げて走り寄ってきていた。大小様々なスナカバの、速いものは大蟹まで並走し、背中の機銃をビスコへ向けてくる。
「邪魔だァッ」
ビスコの短弓から瞬速の矢が閃いて、スナカバに突き刺さる。「グモォッ」と悲鳴を上げるスナカバは、鞠のように転がりながら体表にふつふつと赤い傘を浮かせ、ぼぐん! とその場に巨大なキノコを咲かせる。追いついてきた後続のカバがまとめて吹き飛ぶ中、ビスコの二弓、三弓がそれこそ矢継ぎ早に飛び、ぼぐん、ぼぐん! と、続けざまに炸裂するキノコでカバ達を蹴散らしてゆく。
ただ、ビスコのキノコ矢がいかに強力であるとはいえ、なにしろ凄まじい数のカバ兵である。とうとう一匹のスナカバが大蟹に食らいつき、背中の機銃を足に撃ち込む。歴戦のテツガザミの甲殻はこともなげに弾を撥ねのけ、まとめて数匹を薙ぎ払ったが、着実に迫るカバの海を目の前にして、ビスコの額には玉の汗が浮いている。
「ジリ貧だ」
ごくり、と唾を飲み、決心したように老爺を見つめ、風の音に負けぬように叫んだ。
「エリンギで跳ぶ。ジャビ。十秒くれ」
「また、あれか」老爺はややうんざりしたように言ったが、ビスコの顔を見て、ぱちりと片目をつむってみせた。「ま、砂漠なら、腰にも優しかろ」
そこで老爺は手綱を取り、「ホイ、撃てい、アクタガワ!」言って大蟹に鞭をくれる。大蟹は反転しながらその大バサミをいきいきと掲げ、迫るカバの群れに大槌のごとく叩きつけた。
巻き上がるスナカバの身体と砂埃の中で、ビスコはエリンギ矢を番え、舞い上がった一匹に撃ち込む。落ちてきたスナカバの身体に耳を当てれば、ぶつ、ぶつ、と菌の発芽する音が快くビスコの耳に伝わってくる。
「ジャビ!」
「ほいさ」