そこでビスコは、大人五人がかりでようやく持ち上がるようなスナカバの身体を引っつかんで、まるでそいつがぬいぐるみでもあるかのように、軽々と振りかぶった。
「げええッ!? バケモンか、あのガキ!」
役人の驚愕の叫びをバックに、さながらスサノオのごとき豪烈さで、ビスコはエリンギ毒を潜ませたスナカバの死骸を、腰を低く屈める大蟹の足元に、思い切り叩きつける。
ぼっぐん!
おびただしい砂塵を巻き上げて、巨大なエリンギがとてつもない勢いで膨れ、30mほどもある城壁と同じほどに高く咲き誇った。ビスコ達二人と一匹はその勢いに乗って、撥ね上げられたテニスボールみたいにして舞い上がり、そのまま壁の向こうへくるくると落ちていく。
ビスコは空中で姿勢をなんとか整え、帽子を押さえるのに必死な老爺の身体を脚で摑むと、そのまま番えたアンカー矢を大蟹へ向けて撃っぱなす。大蟹はそのハサミでアンカー矢を器用にくるくると巻き取り、空中で二人を八本の足で抱え込むように抱きとめると、球のように丸くなり、そのまま壁の向こうへ着地してごろごろと砂漠の上を転がっていった。
「で、でっけえ……」
太田が呆然と呟くのを、やはり呆然と聞いていた髭面の役人は、眼前にそびえる巨大な一本のエリンギを目の前にして、絶句するしかなかった。
やや、壁側に弧を描いて、白い柱のようにそそり立ったエリンギは、傘に積もった砂を滝のように零しながら、なおも伸びあがろうとして緩慢にその白い肌をくねらせている。
砂と錆だけの死の大地に、生命が力強く芽吹く、荘厳な光景であった。
「キノコ守りは、死んだ土にも、キノコ生やしちゃうって。本当だったんですねえ……」
多種多様のキノコを操り、それとともに生きる『キノコ守り』の一族。
胞子をばらまくことによって錆を広げるとの噂から、現代人はキノコを極端に忌避しており、それに伴う迫害によって、キノコ守り達は世間からすっかり姿を隠している。
その謎に満ちたキノコの技を、一般人がこうして目の当たりにすることは、稀であった。
首から下げたカメラでエリンギを撮る太田に、口を開けたまま頷きかけて……慌てて頭を振ると、髭面は太田の頭を引っ叩き、耳元で怒鳴った。
「バーカヤロウッ! 何感心してやがる、キノコの胞子はサビのもとって、常識だろうが! あんなバカでかいキノコほっといたら、ここら一帯、すぐサビまみれになっちまうわッ」
「お───い、ヒゲブタ───ッ!」
壁の向こうから響く声を聞いて二人の役人は顔を見合わせ、慌てて管理エレベータから高台へ登り、声の主を見下ろした。
「エリンギには、週に一回、カバの糞を撒いてやれ! 砂だけじゃ、育ちが遅い!」
真っ赤な髪に、猫目ゴーグルの賞金首が、蟹の上から高台に呼びかけた。隣には、三角帽の老爺が手綱をとりながら、ぷかぷかとパイプを吹かしている。
「き、キノコに、肥料を撒けだとぉ!?」
「いいから聞け、ブタ野郎っ! キノコは、錆を食って育つんだ!」ビスコはムキになって叫び返す。「ちゃんと育てれば、ここらもじきに、砂漠じゃ……」
ばぎゅん! と、ビスコの必死の説得を遮るようにして髭面の銃弾が飛び、ビスコの肩口を掠めた。ビスコは、やや呆気に取られた表情を徐々に修羅のそれへと変えてゆき、赤髪をゆらめかせて両目をぎらりと見開いた。
「人の親切を……。どいつも、こいつも! どうして、聞きやがらねえんだァッ!」
怒りのあまり弓に手をかけるビスコを見て、さて潮時と思ったか、老爺が笑いながら大蟹に鞭を入れる。大蟹は鞭を待ちわびたように元気いっぱいに走り出し、群馬の南壁関所から砂の向こうへみるみる遠くなっていく。
「面ァ、覚えたぞォ、赤星ィーッ! 次はその舌、引ッこ抜いてやッからなァーッ」
風が大きく、叩きつけるように吹いて、砂を巻き上げた。蟹の上のビスコは砂嵐の中で瞬きもせず、ゆっくりとその声に振り返り……
『びッ』と中指を立て、その翡翠色の眼光で、思い切り睨み返した。
そのビスコの顔を、太田の望遠レンズが捉えた。吐き出された写真には、意志の匂い立つような、羅刹の形相。
「……目線だけで、ハエぐらい、落ちそうだな……」
この写真が群馬県庁に採用されて新しい手配書になり、太田が本気でカメラマンを目指す切っ掛けにもなるのだが、それはとりあえず、砂塵を巻き上げて砂漠を駆け抜ける、赤星ビスコのこれからとは、あまり関係がないのだった。