錆び風が精密な鉄機械を食い荒らし、すぐにだめにしてしまう現代にあって、生体エンジンに異形生物を採用したいわゆる『動物兵器』を採用している県は数多い。自然進化した生物達の、錆び風に強い性質を兵器に転用して、企業が改造生産しているものをそう呼んでいる。
先のスナカバ兵にしてもそうだが、エスカルゴ空機はその中でもかなり大型の、白金マイマイと呼ばれる軟体生物をベースにした爆撃戦闘機で、無尽蔵の生体エネルギーを浮力に転用することで、かなりの重量の兵器を搭載できるというのが売りであった。
「来るぞ、ビスコ! あんな重装甲に矢は通らん。忌浜まで抜けて、街へ逃げこめい!」
旋回し、再度二人へ狙いを定めるエスカルゴから、白煙を上げてロケットが放たれる。ジャビの矢が素早くそれを撃ち落とすのを横目に見て、ビスコはその奥歯を、ぎり、と嚙み締めた。
「何の、恨みがある、俺逹に……! どこまでも、邪魔しやがってッ!」
ビスコは駆け出しざま、エスカルゴへ向け一矢報いようと、エメラルド色の短弓を引き絞る。
焦りと苛立ちに心を蝕まれ、百戦錬磨のビスコの心に、わずかに隙が生まれた。
ざばん! という音とともに、足に激痛が走る。
意識を完全にエスカルゴに取られたビスコの足首に、鉄の砂から飛び出した大ぶりのウツボが、その牙を思い切り突き立てたのである。
予想外の衝撃で思わず矢を取り落とすビスコに、エスカルゴが狙いを移す。すぐさま拳でウツボの頭を叩き潰すビスコだが、即効性の麻痺毒が既にその足首に染みてしまっている。
(くそ……あ、足が……!)
エスカルゴの両翼の機銃がビスコを捉えようとするその瞬間、小さな影が、砂上を凄まじい速さで跳ね、間一髪、ビスコの身体を横っ飛びに突き飛ばした。
「っあ……!」
機銃が、鉄砂にいくつも穴をあけて通り過ぎてゆく。轟音に混じって、肉がはじける生々しい音が響き、血の飛沫がいくつも砂へ飛んで乾いた音を立てる。
エスカルゴの影が通過した後、月の光に照らされて、倒れ伏した小さな影から、ぼろぼろの外套がはためいた。
「逃げい……ビス、コ……」
「うわあああーッ! ジャビッ!!」
戦慄き叫ぶビスコへ向けて、エスカルゴがまたも旋回を開始し、そのカタツムリの頭部をぬらりと月光に光らせる。
ぎらり、と。
ビスコの緑色の瞳が、一際強くきらめいた。怒髪を波打たせ、奥歯を砕かんばかりに嚙み締めた形相は、阿修羅も竦むような苛烈極まりない殺気に満ちている。まばたきひとつせずに強弓を引き絞れば、筋肉が鞭のようにしなり、有りっ丈の力をその一矢に溜めていく。
「おまえええ──────ッッ!!」
咆哮とともに、一閃。放たれた太矢は一本の直線となって、旋回中のエスカルゴの横っ腹を捉えた。鋼の毒矢は、エスカルゴの誇る装甲の、的場製鉄のロゴマーク、その星的の中心にその鏃を突き立てると、めりめりと装甲板を抉り抜き、ついには、がん! とくぐもった音を立てて貫いてしまう。さらにあろうことか、その勢いを殺さずに反対側を貫通し、夜空の彼方へ消えてゆく。
分厚い装甲を無理矢理抉り抜かれた軍用機の身体は「く」の字にひん曲がり、横っ腹は貫かれた風穴を中心として、巨大な鉄球で殴られたかのようにへこんでしまっている。
狙いが巧みであるとか、膂力が凄まじいとか、そういうレベルの一弓ではない。
およそ人間の業ではなかった。
横っ腹を貫かれたエスカルゴは「ぎびょお」と一声鳴いて、ピンク色の毒液を吹き散らかした。予想だにしないダメージと、キノコ菌に体内を食い荒らされる感触に、その首をぐるぐると振り乱して完全に制御を失う。
ぼぐん! ぼぐん! という轟音とともにキノコが咲いて、その装甲を食い破り、エスカルゴはその身体をキノコ塗れにして墜落する。そして跳び石のように何度も砂を跳ねた後、砂漠を50mほども削り抉って、そこでついに爆発した。
「ジャビ、ジャビっ! うあ、血が……おいっジャビ、死ぬな、しっかりしろォッ」
燃え盛るエスカルゴの明かりに照らされるジャビの小さな身体に、ビスコが駆け寄る。助け起こす手に、ぬるりと生暖かい鮮血の感触を認めて、ビスコは総毛立った。
「うへへへ……。逃げろ、っつったのに。あんなのを、一弓で、落としちまうんだからな……。やっぱり、お前は、ワシの……ゴホッ、がはっ!」
豊かな白髭に、鮮血がこぼれる。
「喋るな、ジャビ! すぐ、忌浜で医者を探す! ジャビをこんな……こんなところで、死なせてたまるか!」
「い~~い、弓だったァ~~……」
ジャビは夢見るような目で、うっとりと呟いた。
「あの矢はな、おまえだよ、ビスコ。なんもかんも、貫いて、飛ぶ……」
涙に潤む愛弟子の瞳と目を合わせて、唄うように続ける。
「……弓を、さがせ、ビスコ。お前を、放つ、弓を……」
ジャビの震える指が、ビスコの頰を優しく撫でると、指の形に血が線を引いた。
そこでとうとうジャビは全身の力を抜き、意識を手放した。その軽い身体を抱きしめて、ビスコは声を殺して泣く。二粒、三粒と涙をこぼして、そして四粒目で決然と涙を振り切り、瀕死の師匠を背中に縛って、すでに走り始めていたアクタガワの背に飛び乗った。
「絶対に、俺が、助ける……! 死ぬな、ジャビ!」
もう、先の一瞬に見せた感傷は、欠片もない。背中に師父の脈動を感じながら、ビスコはその両目に意志のほむらを燃えたぎらせて、ネオン瞬く忌浜の街へ向け、放たれた矢のようにアクタガワを走らせていった。