錆喰いビスコ

2 ②

「……およそそういう、ぜんの心、善行などというものは、金持ちのデブガキが、チーズバーガーのピクルスをそこらの犬に投げてえつに入るような、まがいの遊びに過ぎない」


 深い黒目の男は、かぶったつばびろぼうの位置を直しながら、言葉を続けた。


「だが君のそれはちがう、ねこやなぎくん。貧しい君が、君自身をけずって、所縁ゆかりない子供を助ける。映画なら、ありきたりすぎて退たいくつなほどに、美しいこうだ。このくさった街に咲く、一輪の花、といえる」


 その、つばびろぼうの男の周りには、数人の男達がぴったりと護衛し、周囲に目を光らせている。異様なのは、その親衛隊がかぶっている、いみはまマスコット『イミーくん』のふくめんであった。かたはばの広いおおがらなガタイに、作り物の笑顔を一様にへばりつかせたその様は、雑多ないみはまの下町においてもひときわ異様に見える。

 男がうつとうしそうに手をひらひらとれば、ウサギ面の親衛隊がわずかに引き下がる。


「いや、ていせいする。自分の管理してる都市を、くさった街と言ってのけるのもな」

くろかわ、知事……!」

にんぎようはよせ……くろかわさん、でいいじゃないか」くろかわはミロへつかつかと歩み寄り、フードをる。「いやはや美形だないつもながら。医者なんかめて、俳優になったらいい……いや、こっちの話だ。どうだ、その後……新しい調ちようざいは、役に立ってるか?」

「そのっ、調ちようざいの件は、に」


 ミロは、眼前の男が放つどす黒い気配にえかねて、一刻も早くそこをはなれたがった。


「医院に、姉を待たせていて。早く、帰らないと」

もちろんだ。いみはまきっての名医の時間をにはできん。ましてそれが、いみはまけいだんちようねこやなぎパウーのりようのためとなればな」


 くろかわは、視線を決してミロから外さず、その低く落ち着いた声で続けた。けいはくな口調とは裏腹に、全く、笑い顔を見せない。


「しかし、考え方の問題もある。どちらが、か? オレと、ナッツでもつまみながら、一番強い漫画の主人公について議論するか。それとも……どうやっても治らない姉のために、気安めにむなしく手をくすか?」

「……っ!」


 ミロは自分の聖域にずかずかとまれて、そのやさしい眼にありったけのぞうを込めてくろかわにらみつけた。しかし、ミロの中のうらみをいくらかき集めたところで、黒い海のように広がるくろかわしんえんに、もんひとつたてることはできなかった。


「いい加減、聖人君子の真似まねごとはよせ、ねこやなぎ……。」


 くろかわは、そこではじめてくちゆがめ、(それが笑顔と呼んでいいものならば)笑った。


「お前のこうは美しく、そしてだ。いくらお前が下町でふんとうしようが、金のない人間は死ぬ、さっきのガキもだッ! 無残に、この街にいたぶりつくされてな……!」


 ほとんど泣きそうに引きつるミロのむなぐらをひっつかみ、くろかわが顔を鼻先へ近づける。


「県庁に務めろ、ねこやなぎ……! お前の技術があれば、県外からいくらでもかんじやを呼べる。金が、いくらでも入る……サビツキの、アンプルも買える。そうすれば……」


 そこで、ミロのうるんだひとみが、わずかにまどったのを、くろかわのがさなかった。


「お前の姉も、助かる……」


 その、声の終わり際であった。

 ネオンかがやく大通りの映画館から群衆の悲鳴がひびく。それとともに大量の客が流れ出てきたかと思うと、ネオンの『CINEMA』のEとMの間あたりをやぶって、巨大なキノコが、ばがん! と、ほこったのである。


「知事!」

「何ぃ……?」


 ミロを押しのけて、とつくろかわの周りに群がる親衛隊達。

 キノコは映画館、ものくずしようかんと次々にその屋根をやぶり、色とりどりのかさからほうをそこらじゅうに降らせ、人々に悲鳴を上げさせた。

 そのキノコのかさの上を、ばやびながら、やみからやみけてゆくひとかげがある。人々は、ふとすればまぼろしのようなそれを指差して、


「き、キノコ守りだ」「キノコ守りが街に!」「ほうを吸うな、びるぞーっ」


 などと思い思いにさけらし、まどい、大通りはまたたに大混乱におちいった。

 その人混みをかきわけるようにして、おおがらなウサギ面が、そのわきすすまみれのどうりようかかえて、くろかわへ歩み寄ってくる。


「ちょっと! はなせよっ自分で歩くってば、ぎゃっ! 変なとこさわるなっ!」


 かかえられたひときわがらなそのウサギ面は、高く可愛かわいらしい声で、くちぎたなく周囲にぞうごんをがなり立てながら、くろかわの前にドサリと投げ出された。


「いってぇな! 少しは女の……あ、あはは、くろかわのおじさま……そのぼう、すてきですね」


 くろかわが感情のない顔で、そのウサギ面の耳をつかみ、乱暴にぎ取る。


「ぷあッ!」


 げるマスクとともに、三つ編みがねて左右の耳の前に垂れた。

 額とえりあしを短くそろえたももいろかみは、派手なくらげを思わせる。ずるそうな顔には、しかしねこのような金色の眼がきらりと光り、外見だけなら、なかなか可愛かわいらしい少女である。


「えっと、そのお……例の、あかぼし、なんですけどお」


 上目づかいにあいきようを作るも、くろかわの圧によってしたあせが、細い首を伝ってゆく。


「あの、えへへ、し、仕留めそこねちゃいまして……街に、入られちゃって」

「見りゃわかるよ、バカ。軍用機使って、人の一人もれないのか?」

「あ、相棒のじじいは、仕留めたはずですっ、じゆうちよくげきさせた……げほっ、げほ!!」


 くろかわあごで合図してやると、ウサギ面の一人が水のびんわたしてやり、ももいろがみのくらげ少女はむさぼるようにそれを飲む。


「……げふっ。問題はあかぼしのほうですよ。あんなの無理、話がちがうもん! たかが弓相手って言ったって……エスカルゴの、どてっ腹に穴開けてのける弓ですよ。あんなの、もう、弓って言わないでしょ。かみなりとか、いなずまって言うんじゃないですか?」

「……おい、本気で言ってるのか? あかぼしの矢は、エスカルゴを落とすりよくがあるのか?」


 興味深そうにあごひげでるくろかわへ、近くの親衛隊が耳打ちする。


「あの様子では県庁から北へけるつもりです。追って仕留めます」

「自警に先をされるとめんどうだ。パウーにつかまる前に殺せ」くろかわは言いながら、ふと言葉を止めて、やや考えた後、つぶやくように続けた。「……県庁へ、ねえ? ……。二隊へ分ける。県庁方面は七割、残りの三割には、下町を探させる」

「下町を、ですか」


 くろかわに、ぎろり、といちべつくれられて、ウサギ面はひるんだように一礼すると、曲芸師のごとき身軽さで大通りの建物にがり、点々と続くキノコの後を追っていった。


「あのお。保険は、出るんですよね? あたしのエスカルゴ、あれ、私物なんですけどお」

もちろんだとも。こうでんえて出す」くろかわふところからけんじゆうを取り出して、少女へ放ってやる。「お前はそのまま下町のほうの指示へ回れ。二十人ぐらいつける」

「え、ええッ!? あ、あのあかぼしと、生身で、やれってのお!?」

「おいおい。給料は受け取っただろ。けいやくはんこうしゆけいより、マシだと思うんだがなあ」


 くらげ少女は一度強くくちびるんで、「ゴロツキめ……!」と小さくつぶやき、その身体をふるたせて下町へ走ってゆく。数人のウサギ面が、通行人をばしながら後を追っていった。


「人事も、考えて人をやとえよ、全く……で、オレのお気に入りは、どこ行っちゃったんだ?」


 くろかわの言うそのミロはといえば、くろかわの注意がれたのを幸いに、まどう民衆のすきをすりけ、すでにそのしゆからのがれていた。去り際にミロは一度だけかえり、遠くからでも黒く吸い込むようなくろかわの視線をあわててがして、大通りの突き当たりを右に折れていった。


「知事。追いますか」

「んや。ほっときな」口元を楽しげにゆがめながら、くろかわが言った。


「すこおし、からかっただけだ。にしても、あーあコレ」


 くろかわかえって、今やキノコまみれで屋根がめちゃくちゃの、お気に入りの映画館のさんじようながめ、「くくく」とのどおくで笑った。


「やってくれたよなァ。明日から『スターウォーズ』の、シリーズ連続上映だったのに」

「……SF映画、ですか?」

「まあ、いいよ」げんを取って話を合わせようとした親衛隊にいちべつもくれず、くろかわぼうかぶりなおし、歩き出した。「しばらくは、仕事のほうが……楽しくなりそうだしな」



刊行シリーズ

錆喰いビスコ10 約束の書影
錆喰いビスコ9 我の星、梵の星の書影
錆喰いビスコ8 神子煌誕!うなれ斉天大菌姫の書影
錆喰いビスコ7 瞬火剣・猫の爪の書影
錆喰いビスコ6 奇跡のファイナルカットの書影
錆喰いビスコ5 大海獣北海道、食陸すの書影
錆喰いビスコ4 業花の帝冠、花束の剣の書影
錆喰いビスコ3 都市生命体「東京」の書影
錆喰いビスコ2 血迫!超仙力ケルシンハの書影
錆喰いビスコの書影