錆喰いビスコ

3 ②

 気絶した弟の美しい顔をながめて、そのまぶたでるパウー。ポケットの通信機から警報がすいに鳴れば、その内容すら聞かずにパウーはし、制服のすそをはためかせて、医院のげんかんから外へ飛び出していった。


「……弟に、当身くらわす、姉なんて。聞いたことないよ!」


 ミロが目覚めるまでに、さほど時間はかからなかった。開け放たれた医院のげんかんを見て、パンダ医院の院長はものげにため息をつく。

 確かに現状の投薬りようでは、姉のしようじようには気休めにしかならない。パウーはそれを知った上で、弟のために残りの命をささげているところがある。決定打になるような強力なこうたいアンプルがなければ、医院に姉を引き止めることもままならないのだ。


(……でも、今日は!)


 ミロは調ちようざいしつみ、二重にかぎをかけると、コートのポケットをあさった。

 先のキノコテロのすきをうまく立ち回って、目ぼしいキノコをいくつも採集してきたのである。色とりどりのキノコのかけらを机の上に並べて、ミロは目をかがやかせた。


「見たことない、種類ばっかりだ……! これだけあれば、きっと!」


 何やら使い込まれた、かわりの四角いかばんを机に置き、複雑なかぎを外してそれを開ければ、太い三本のシリンダから配線を複雑にばす、無骨な調ちようざいこうががしゃりと立ち上がる。

 加熱機に火を入れて、シリンダに手近なキノコとようざいを入れたミロは、そわそわとあわてたような手つきでそれをかき混ぜはじめた。


 県知事・くろかわからのきようはく通り、ミロが姉を救うためには、政府支給のサビツキアンプルをけいぞくとうする必要があり、ばくだいな金がかかる。とうてい、町医者のミロにねんしゆつできる額ではない。

 ただそれはあくまで、正規の手段で、としてのことではある。

 ミロが行っているのはまさにその『サビツキアンプルの調ちようざい実験』であった。国家機密製法の解明を無許可で試みることは、第一級の反逆罪であり、そもそも高度な薬学知識なしでできるものではない。

 ただ、このパンダあざの少年医師に関して言えば、これは天才である。

 ただゆいいつの肉親、姉のサビツキを治すその一心で行っている調ちようざい実験は、長い時間をかけて無数の素材をためし続け、とうとう、世間いつぱんきんさびげんきようとされる『キノコ』にそのヒントをいだしたのであった。


「……できた。これで、どうかな……?」


 薬管の中で、緑色にかがやねんせいの液体が、こぼこぼとあわを立てた。手のこうに垂らしたそれのかおりを、すん、と一度いで、ミロは満足げにうなずく。


(風を、ちょっと入れよう)


 湿しめっぽい七月末の夜である。そでで額のあせぬぐって、窓に歩み寄り、ふと。


(……開いてる……?)


 夜風が吹き込み、空色のかみでた。夜のわずかな光が窓からし、カーテンが風にれている。ミロはわずかなかんを覚えながら、静かにかえって、


『ぎらり』


 と、何者もすくませる殺気のようなものにすくめられて、総毛立ってそこに立ち止まった。


(……、……何か、いる!)


 くらやみの中に、ぎらりと光る二つの緑色の光が、じい、っとミロを見つめている。殺気と興味をないまぜにしたその視線は、ミロの目線を真正面からつかまえてはなさせず、くぎけにし続けた。


「……。」

(……。)

「……シメジなんか調ちようざいしても、大した薬効はない。食ったほうがマシだ」

「……っあ……!」

調ちようざいが、できるな? お前」


 ずい、と、おおまたで歩み寄ったそれが、夜の明かりに照らされ、吹き込む風に赤いかみおどらせた。まるで野生のけもののようなあつかんに、ミロは身動きひとつままならない。


「ん」

「……え。え?」

「ヒソミタケだ。りよくはこれが一番強い。調ちようざいしてくれ」


 あかがみの男は、手に持ったむらさきいろのキノコをミロの胸へ押し付け、尊大に言い放った。


「名医なんだろ。三人おどしたら、三人ここをしたぞ」

「だ、だめですよ、無許可の調ちようざいは、は、犯罪でっ」

「今、してたろ」

「あ、う……!」

「時間がない。次、つべこべ言ったら、悪いけど、殺すぞ」


 ざらついた声ににじむ、ほんのわずかないらち。ミロはその語気にぶるりと、ふるえ……

 ふと、その男の背後に、別の存在のにおいをって、言った。


「サルモしよくだんにおい……エスカルゴに、たれた? ダメだ、じかに包帯なんか巻いたら……!」

「何だと……?」

「投薬だけで治そうなんて、考えがあますぎます!」先ほどまできようあえいでいたミロの表情が、じよじよしんけんな、医師のそれへ変わっていく。「サルモだんの処置ではんをすると、しよくが残るんだ。薬だけじゃだめです、すぐ、手術をさせてください!」

「つべこべ言ったら、殺すと言ったよな」

「殺されるまで言います。そのままじゃ、そのおじいさんが、死にます!」


 にわかに気勢をもどしたミロを見て、あかがみの男は眼を見開き、見た目にもなまちろいガキとあなどっていたであろうパンダ男のけいがんと度胸に、少しおどろいたようであった。光のない部屋で、かべぎわかせてある自分の連れが老人であること、わずかな火薬のかおりからたまの種類まで言い当ててのけたのは、やはり意外なことであったらしい。

 あかがみは少しの間考え込むようにあごき……やがて一度うなずいて、言った。


「……うん、わかった。でも調ちようざいが先だ。何分かかる?」

「材料によります、少なくとも、二十分は」

「十分でやれるな」あかがみは机にすわるミロを見届け、窓から医院の周囲をうかがう。「……県庁の方へ、陽動はしたはずだがな。みようけいかいが強い。こいつら、自警じゃないのか?」


 ばぎゅん! と、つぶやあかがみの言葉をさえぎるように、一発のじゆうだんが窓から飛びこんでドアに風穴を開けた。

 あかがみとつかべに寄りかかる老人をかかえて、ミロの居る机のほうへぶ。そのつまさきをかすめるようにして、無数のじゆうだんが窓付近のかべに穴を開け、はちにしてしまう。

 わあっ、と思わず声を上げるミロに、あかがみは人差し指を立ててみせ、軽く首をかしげた。ミロが、わけもわからぬままに口を結んで押さえ、とりあえずこくこくとうなずくのを見て、あかがみは何が面白おもしろいのか、不敵に表情だけで笑った。

 どうもうそうに光る白い犬歯が、どきりとするほどあざやかに、その時のミロの視界に焼きついた。


あかぼしィッ、あかぼしビスコーッ! キノコテロ前科二八犯をかんがみ、ていこうするなら殺せって、いみはま知事様のお達しだーッ! はちになる前に、投降しろ───ッ』


 外からの拡声器しのせいに、そのあかぼしビスコがかえす。


ひとじちが居るのに、考え無しでってんじゃァねーッ! ボケども!」一度、ミロへ目配せして、ビスコが続ける。「次、ちやがったら、このパンダ先生の首、もぎ飛ばすぞッ!」


 示し合わせたことといえ、その言葉に思わずぶるいするミロ。二秒、三秒。返答のない外の様子をうかがおうと、ビスコが身を乗り出したしゆんかん……

 ばががががが!

 無数のじゆうだんあらしのごとくかべつらぬき、調ちようざいしつに大小無数の風穴を開ける。老人と、悲鳴を上げるミロをかかえてんだビスコは、そのまま調ちようざいしつかぎきのドアをやぶって、その先の待合室に転がりせた。


「迷い無しでってきやがったぞ。医者のくせに、人望のねえやつだな」

「そっ、そんな……」


 しょげてうつむくミロの胸には、たんでも手放さなかった調ちようざいがしっかりとかれている。


「じき、んでくるな。悪いんだけど、病院、ちょっと、吹っ飛ばすぞ」

「はい、…………え!? い、いま、何て!?」

「ジジイ持ってて」



刊行シリーズ

錆喰いビスコ10 約束の書影
錆喰いビスコ9 我の星、梵の星の書影
錆喰いビスコ8 神子煌誕!うなれ斉天大菌姫の書影
錆喰いビスコ7 瞬火剣・猫の爪の書影
錆喰いビスコ6 奇跡のファイナルカットの書影
錆喰いビスコ5 大海獣北海道、食陸すの書影
錆喰いビスコ4 業花の帝冠、花束の剣の書影
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