錆喰いビスコ

3 ③

 ビスコは意識を失っている老人を、へたりこんでいるミロへ放った。思いがけないほど軽い老人の身体をミロが受け取る間に、ビスコは背中からきはなった弓にせきかつしよくの矢をつがえ、先のドアへ向けて一弓、続けて医院のあちこちへ向けて二弓、三弓とはなった。ほどなくして、かべに突き立った矢の付近からあざやかな赤色のものがふつふつとし、ばき、ばき、とてんじようや柱をくだき始める。


「おし。行こう」

「あ、待って! くるまがあります! せめて、この人を……」

「だめだ。もう

……?」

「「突入ゥ───ッッ!」」


 げんかんのドアを破って、じゆうそうふくめんの大男達がいつせいになだれ込んでくる。ビスコがまどうミロをひっかかえて窓をやぶり、医院を飛び出した、そのしゆんかん

 ばっ、がん!

 すさまじいごうおんとともに、医院から巨大な赤いキノコががって、建物ごとぶっつらぬいてほこった。キノコがすくすくとかさを広げると、その上から建物のれきがばらばらとあふれ、地面に落ちてくだける。突入してきたウサギ面たちは、キノコの咲く勢いそのままに、口々に悲鳴を上げて空へがった。


「き……キノコ……!」


 ビスコにかかえられていみはまの街の屋根をびながら、ミロは眼前の光景に、半ばとうぜんれた。つい先まで何もなかったその空間に、巨大なキノコが赤々とほこり、今なお天へがっている。この、死の風のきようおおわれた現代にあって、これほど強力な生のほんりゆうたりにするのは、ミロには初めての経験であった。


(きれいだ)


 不思議とのんにそんなことを思いながら、ミロはふと、空中にんだ「パンダ医院」の看板が、地面に吸い込まれていくのを見つけ……じよじよに、その表情を引きつらせてゆく。


「あ……ああ────っっ!」

「なんだよ。うるせえな」

「びょ、病院っっ!」

「うん」

ぼくの!」

「だから、そう言ったじゃねえか」ビスコは悪びれもせずに、首を一度こきりと鳴らして、ばたばたともがくミロを屋根の上へ下ろしてやった。


「悪かったけど、しょうがねえ。ああしなきゃ、お前だってくたばってた」


 あんまりにも尊大なビスコの物言いにミロも二の句がげず、ただぱくぱくと口を動かすのみだったが、ビスコがばやく自分の身体をたおして屋根へせさせれば、空中をうヘリのサーチライトが、あやうく二人の身体すれすれを通り過ぎる。


「動くな」


 するどささやきに、ミロはきように細かくうなずくばかりで、とても文句を言うどころではない。

 ビスコはかがんだまま数本の矢を口にくわえると、遠く東側の街へ向けて弓を引き、続けざまに矢をッぱなした。矢は特大のアーチをえがいて、遠くのビルのかべさり、ぼぐん! ぼぐん! とごうおんを立てて真っ赤なキノコを咲かせる。

 おとりのキノコへ、ヘリのサーチライトがいつせいに向かうのを、目で追って……


「すぐばれる。行くぞ」


 ビスコは一言つぶやき、老人とミロを同時にかかえて路地裏へ着地する。そして下水道へ続くマンホールのふたを持ち上げてミロをその中に転がし、自分も老人をかかえてそこへすべんだ。


「危ねえとこだ」


 マンホールの上を通過する無数の足音に聞き耳を立てて、ビスコがつぶやく。


めんどうだな。県庁の特務部隊みてえなのが出てきやがった」


 下水道の中は、ややカビくさにおいが鼻をつくものの、さほどのあくしゆうもなく、とうかんかくに設置されたはくしよくとうのおかげでけっこう見通しもきいた。ビスコは先ほどからやけに大人しい例のパンダ医師が気になって、その様子をうかがいに梯子はしごを下りていく。


(……。)


 ミロへ歩み寄ろうとして、ビスコはその少し手前で歩みを止め、目を細めた。がいとうと白衣が冷たい下水道の足場にかれ、その上に服をがされた老人が、身体を横たえられている。

 傍らでは、ミロがしんけんまなしでその身体を見つめ、脈を取り、身体をしよくしんしている。その表情は、先ほどまでビスコのうでふるえていた少年とは思えない、しんけんなものだった。


「どうだ」

「六発……二度、そくするりよくです、つうなら」ミロはやや興奮気味に、ビスコをかえりもせずに言う。「どういう人なんだ……!? この怪我けがで、呼吸も、脈も変わってないなんて……」

「助かるか」

「この、アンプルだいです」ミロは大事そうにかかえていた調ちようざいから、むらさきいろの薬液に満ちたアンプルを取り出し、それを明かりの中へかざした。


「切開して、たまと、しよくを取り除きます。その後……これを打って、この人の身体が持てば」


 ビスコはしばらく、ミロのその横顔をながめていて、どうやら何かになつとくしたようにひとつうなずいて立ち上がった。それへ、あわててミロが追いすがる。


「ま、待って! どこへ行くんです!?」

「ここにただ居るだけだと、すぐ囲まれちまう。ちょっと行って……連中をかくらんしてくる。その間に、ジジイをたのむ」

ですよっ!」


 女みたいなやさおとこが、予想以上に声を張ったので、ビスコも少しおどろいてその顔に向き直った。ミロはじろじろとビスコの顔、首をながめた後、そのほそうでがいとうりにかかる。


「な、な、何しやがる、てめえ!」

「そんな、ひどいケガで。自殺しにいくつもり!? 処置します、そこへすわって!」

おれはいいんだよ、バカ! ジジイを治せ、おいッ手をはなせ」

「よくない! こんなまみれの人、放っておけるわけないでしょう!」


 もみ合いの末にあらい息をつきながら、ミロはそのやさしい目に「ぎん!」とできる限りの意志をこめて、ビスコをにらんだ。


「じゃあ、せめて! せめて、顔のケガはいます! さっきから、血がずっと目に入ってる。それじゃ、出てっても、そのまま死んじゃいます!」


 そのみようはくに、思わずひるむビスコの返答を待たず、ミロは無理矢理そこへすわらせると、ふところから取り出したりようキットをそこらへ広げる。

 改めて見るビスコの顔は、その印象から元気そうには見えるけれども、切り傷やらきずやらでいっぱいで、額の深い切り傷から左目に血が入り続けていた。

 ミロは慣れた手付きで、ところどころの血ぶくれを熱メスで切って血をき、ひときわ深い額の傷をばやいとめる。なんこうって、包帯はビスコが犬のようにしていやがったので巻けずじまいだったが、それでも一応の処置を終えて、額にいたあせそででぬぐう。

 そこでようやく、その童顔をかがやかせて、にこり! と、笑った。


「はい! おしまいです!」

「……。」

「……あの、痛かった、ですか?」

「お前、名前は」

「あ、ねこやなぎ……ねこやなぎ、ミロです」

「ミロ。その」


 ビスコは、自分を不思議そうに見つめる、その丸い青色のひとみとしばらく目を合わせていて、そこで言うべき言葉を探して何度もしゆんじゆんし、


「ありがとな」


 なんとかぶっきらぼうにそう言い切って、さっさと立ち上がり、梯子はしごに足をかけた。


「あ、あの!」

「うるせえな、何だ!」

かんじやさんの名前を、まだ」


 ミロは、目の前の少年に命までおどされたことをすっかり忘れて、問いかける。


「それに……あなたの、名前も……」

「そこのくたばりかけは、ジャビ。おれは……」

「……。」

「……ビスコ。あかぼしビスコだ」


 そこでビスコは梯子はしごの上から、もう一度、ミロを見下ろした。

 緑色と、青色のひとみが、おたがいを引き合う不思議な何かを、さぐるようにして見つめ合った。しばらく二人はそうしていて、やがてふと、ビスコのほうからその視線をがし、そのままマンホールを開けていみはまの夜へ飛び出していった。


「……あかぼし。ビスコ……。」


 ミロは、その、けた赤いあらしのような少年の名前を口の中でつぶやいて、しばらく明かりにれる下水の水面を見つめていた。そしてほどなく、夢から覚めるようにハッと息をついて、あわててジャビの元へとっていった。



刊行シリーズ

錆喰いビスコ10 約束の書影
錆喰いビスコ9 我の星、梵の星の書影
錆喰いビスコ8 神子煌誕!うなれ斉天大菌姫の書影
錆喰いビスコ7 瞬火剣・猫の爪の書影
錆喰いビスコ6 奇跡のファイナルカットの書影
錆喰いビスコ5 大海獣北海道、食陸すの書影
錆喰いビスコ4 業花の帝冠、花束の剣の書影
錆喰いビスコ3 都市生命体「東京」の書影
錆喰いビスコ2 血迫!超仙力ケルシンハの書影
錆喰いビスコの書影