「そんな真似、どこで覚えるんだよ。忌浜じゃ、花嫁修行に棍を振らすのか?」
ビスコの強弓は威力もさることながら、そのスピードも銃弾とほとんど変わるものではない。それを違わず叩き落としてみせる、その技、尋常のものではなかった。
ましてそれが、女となれば。
「忌浜自警団長、猫柳パウー」女にしては低めの声が、露骨な挑発にやや怒気を滲ませている。「投降して沙汰を待て、キノコ守り。次は頭をかち割る」
長身に白いコートをはためかせ、鉄棍を青眼に構えるパウーの姿は、さながら西洋の戦天使を思わせる勇壮さである。ただその、一見清廉に見える姿と、隠しきれない修羅の気配のギャップがビスコの興味を搔き立て、その犬歯をいたずらっぽく覗かせた。
「そういう事は、殴る前に言うんじゃねえのか?」愉快そうに笑うビスコ。
「お縄についても殺すって顔してるぜ。俺に親でも、殺されたかよ?」
「警告したぞッ!」
長い髪が一直線に伸び、鉄棍がビスコの足元を砕いた。風がパウーの前髪をかき上げ、その美しい顔の、錆び付いた部分を露わにした。
(ひでえ錆び方してやがる。くたばりかけで、この動きか)
ビスコは内心驚きつつ、連続で襲いかかるパウーの鉄棍を避けながら屋根から屋根へ跳び回り、先ほど蹴り飛ばされて転がっていたパウーの単車を、その膂力でもって、まるで四番打者がバットをかざすように、ぐわりと持ち上げた。
「しゃあァッッ!」
がうん! 振り下ろされる鉄棍を、ビスコが単車を大盾のように操って、弾く。二合、三合と合わすたび、単車は瞬く間にべこべこに凹み、ついにエンジンから火を噴き出した。
「キャァラァッッッ!!」
パウーの気合一閃、振り下ろされた鉄棍は凄まじい威力をもって、自分の愛車を真っ二つにへし折る。しかし、ここ一番のビスコの判断もまた、素早いものであった。ビスコは咄嗟に火を噴くエンジン部分をパウーへ向けて放ると、素早く弓を抜き、それへ放つ。
大きな爆発が、二人の間で起こった。
凄まじい衝撃に吹っ飛んだビスコは、背後にあった遊戯場の屋根の上、巨大なボウリングピンのマスコットにぶち当たって、そいつを轟音とともにぶっ倒して白煙を上げた。一方でパウーも鉄棍を杭のように屋根に打ち刺して衝撃を堪え、なんとか屋根の上で踏みとどまり、白煙の中で不敵に立ち上がるビスコを睨み据える。
掠っただけでも骨を圧し折る、必殺の棍。それの連撃をこうまで受け止められた経験は、パウーにはない。パウーの眼光に込められた殺気は変わらず鋭く、しかし驚愕を滲ませてもいる。
「その錆び方で、大したもんだと言ってやりてえが。あんまり動くと、回りが早いぜ」
「ぬけぬけと……! そうやって、これまでの街も、サビ塗れにしてきたか!」
「俺も言い飽きたが、キノコは、錆を撒くんじゃねえ。錆を食って育つ、唯一の、錆の浄化手段だ」ビスコは血混じりの唾液と一緒に、折れた奥歯を「べっ」とそこらへ吐き出して、パウーへ向き直った。「錆の気が濃いところに、通りすがりに生やしてやってるだけだ。感謝されこそすれ……そんなエモノで、こうまで滅多打ちにされる謂れはねえ」
まさに死線を続けざまに潜るような死闘の中で、愉快そうに言葉をつむぐビスコ。パウーは息を切らしながら、やや呆気にとられた風でそれへ答える。
「そんなおとぎ話を、信じると思うのか……!? 都市を手当たり次第キノコ塗れにして、キノコ守り迫害の復讐をしてやろうというのが、貴様の狙いであろうが!」
「違う。俺は、《錆喰い》を探してる」
ビスコはパウーの視線を正面から見返して、泰然と言い返した。
「錆び喰い……? だと……?」
鉄棍を構えながら、パウーの瞳が揺れる。相手は、隙だらけである。なのに、目を逸らすことができない。語るビスコの両目にゆらりと燃える、悪意とも殺意とも違う、何か強力な意志がパウーを捉え、その鉄棍を封じていた。
「人だろうが機械だろうが、どんな深い錆も吸い尽くす、そういうキノコだ。それで助けたい奴がいて……ずっと旅してる。棍を下ろして俺を通せ。忌浜に、用も恨みもありゃしない」
「……下らん妄言で、今更、煙に巻かれると思うか! 構えろ、赤星! 私の棍は、その位置まで届くぞ!」
(……赤星のこの余裕は、何だ……? 私の錆を見て取って、動揺を誘っているのか……いや。キノコ守りが、何を抜かそうと関係ない。次の棍で、私が、勝つ!)
パウーの逡巡を見て取ったか、愉快そうにビスコの口角が上がる。そして、自分に向けて構えられた鉄棍を睨み、何かの頃合いを悟ると、悪童の気風で、パウーに言い放つ。
「でもまあ、忌浜で収穫がないわけじゃなかったぜ。いい医者が居てな。世話になった」
ビスコはそこで言葉を切り、まじまじとパウーの顔を見つめる。
「……猫柳、っつったか? よく、似てるよ。お前、ミロの知り合いか?」
「ミロ、だと」
呪いが解けたように我に返るパウーの顔に、俄かに緊張が走り、その美しいブルーの瞳がふるふると揺れた。
「ミロに……ミロに何かしたのかッ。貴様、ミロをどうしたァッ」
「何か、したか、だと?」ビスコはそこで、その狂犬面に、にやりと犬歯を光らせた。
「何かしたら、どうなんだ。何したと思うんだ? 俺が何て呼ばれてるか、知らねえのかよ?」
ビスコの言葉を最後まで言わせず、凄まじいスピードでパウーがカッ飛んできた。修羅そのものと化したパウーの鉄棍は、大上段からぶわりと空を切り裂き、一直線に、がうん! とビスコの額へと振り下ろされ、それをスイカのようにかち割る、
はず、であった。
鉄棍は、ビスコの額の肉の少しを割っただけで、そこに留まっている。ぶしゅう、と噴き出す血に塗れて、ビスコは犬歯を剝き出しにして、にやりと笑った。
「っっ!?」
「バーカ」
ビスコを捉えたはずの鉄棍から、何か白い、丸いものがエアバッグのように膨れ、衝撃を殺したのだ。それは鉄棍の先端から、持ち手のほうにまでポコポコといくつも膨れ出し、
ぼうん! と、鉄棍を苗床にして、炸裂するように丸く咲き誇った。
すべらかな白い肌が美しい、球形のキノコである。
(鉄棍に、毒を……!)
鉄棍で鉄矢を正面から受けた時、強く咬んだフウセンダケの毒は、パウーが棍を強く振るうたび、その中で根を広げていた。ビスコが防戦に徹したのも、らしくない長話で時間を稼いだのも……パウーの鉄棍に咬ませた毒を発芽させる、布石であった。
キノコの衝撃に怯むパウーの隙を、ビスコは見逃さない。素早く懐に滑り込み、鳩尾を思い切り蹴り上げれば、パウーの体が空中へ高く浮く。
「鉄の表面に白く菌糸が浮いたら。それが発芽のサインだ」宙を舞うパウーの目に、弓を引き絞って笑う、ビスコの姿が映った。「世間話に付き合ってなければ、お前の勝ちだったな」
「赤、星ぃぃッ!」
「引退して嫁に行けよ。美人だから、殴りにくかった」
言いざまに放たれたビスコの弓を受ける術は、今のパウーにはなかった。毒矢が錆びた自分の右肩を深々と貫くのを見て、パウーの意識が激痛に歪み、白く飛んでゆく。
(ミロ……! あの子は、あの子だけは……!)
目を閉じ、気を失って落ちてくるパウーを、ビスコは一つ、二つ屋根を跳ね飛んで抱きとめると、やや体勢を崩しつつなんとか着地する。
「見た目より、重いぞ、コイツ」
ビスコは肩にパウーを抱えたまま路地裏へ飛び降り、駆け出そうとして……ふと、パウーの艶やかな黒髪が地面に擦れるのを忍びなく思う。しぶしぶ身体を前に、髪も丁寧に両手で抱えなおしてやって、そこでようやく、韋駄天のごとく裏路地を駆け抜けてゆくのだった。