「んう!? んむうーっ!」と、目を見開いてもがく少女をよそに、ミロが少女の気道を思い切り吸い上げれば、少女の白い喉に何かがせり上がり、膨れ上がってくる。
ミロは口中に何か動く異物を捉えると、それを奥歯でしっかりと捕まえる。そして思い切り首を捩れば、2Lペットボトルほどの白い虫が少女の喉からずろりと飛び出し、粘液と血にぬらりと光った。ミロがそいつを床に吐き捨てると、「ぴゅぎぃ」と悲鳴が上がる。
意外なほどすばやく地を這い、逃げ出そうとする虫を、ビスコの一蹴りがすっとばす。本殿の柱にべしゃりと打ち付けられたそれは、くたりと体を折ってそこで動かなくなった。
「何だァ、こりゃ?」
「膨れ蚕だ」額の汗を拭いながら、ミロがビスコに言う。「昔、奴隷に逃げられないために使った虫だよ。最初に卵を飲ませて、孵化しないように薬で飼い殺す。今だと、囚人とか……」
「忌浜知事の、特務隊とかに使うって?」げほっ、げほ、と何度も咳き込んで残った粘液を吐き出し、ようやく人心地ついたくらげ少女は、いまいましげに言葉を吐き出した。
「ど、通りで、いっつも、変な薬飲まされると思ったんだ。変なバイトするんじゃなかったよ、あの、インチキ知事……」
「ほら、水飲んで。しばらく吐き気があるだろうけど、もう、平気だから……」
貪るように飲む水で、青ざめた顔に徐々に血の気を戻し、落ち着いていく、商人の少女。それを見て、ミロが嬉しそうに微笑む。
(こいつ、昼間あれだけコケにされた相手に、よくまあこんな顔ができるなぁ)
ビスコは呆れていいのか感心していいのか、とにかくミロと目を合わせて頷いてやると、元気を取り戻した桃色くらげの背後から、その尻をばすんと蹴り上げた。
「ぎにゃッ! うわ、あ、赤星……! なんでまた、あんたが……」
「ぎにゃっ、じゃねんだよ。お医者様ありがとうございますの一言が、まず、先だろうが!」
「……く、くふふ、冗談言うよお。旅先で、女一人、助けるってことはさ~……」
くらげ少女は口元を拭い、はだけた白い肩を撫でながら、不敵に言ってのける。
「つまり、そーいうこと、でしょ? さっき、すんごいキスされたし。食べられちゃうかと思ったよお。あたし、結構高いけど……パンダくん、払えるのお?」
「……え、えええっ!? あれは、そんなつもりじゃ!」
「くふふ、かーわいい! じゃあ、治療だったらいいの? ねえ先生、さっきの虫ぃ……もう一匹おなかに、いるような気がするんですけどお」
少女にしゅるりと擦り寄られて、顔を真っ赤にして窮するミロ。呆れながらも相棒を庇って、ビスコが怒声を飛ばす。
「いい加減にしろ、コラ! てめえのそのカマボコみてえな身体触って、誰が喜ぶんだ!」
「赤星くんは、女を知らないなー。あたしの値打ちがわかんないようじゃ……くふふッ、人喰い赤星も一皮むけば、初心なチェリーくんってわけですか」
「……わあっ! 落ち着いて、ビスコ!」怒髪を立て眼を見開いて、本気で弓に手をかけるビスコにしがみつき、ミロが慌てて止める。「目が、目が本気だよ! うわっ、こ、怖!」
「お前は悔しくねえのか! こんな、性根の捻れきった女……!」
「しっ。……ねえ、きみ、行商に行くんでしょう」
自分の唇に指を立ててビスコを制し、ミロが笑顔で少女に問いかける。
「僕たち、食べ物が足りなくて。よかったら、何か分けてもらえませんか?」
くらげ少女は、予想しなかった展開に、大きな目をぱちくり瞬かせる。散々騙くらかしたはずのパンダ少年の屈託のない笑顔を、きょとんとした顔で眺め回して……
「……あんたたち、本当に、身体目当てじゃないの?」と、疑い深げに言う。
「だったらどうして、律儀に……あたしなんか、助けたのさ。品物が欲しけりゃ、あたしが死んだ後、そっくり持ってけばよかったじゃん」
少年二人はしばらく、びっくりしたようにお互いを見つめ合い、やがて言った。
「……言われてみりゃ、その通──」「損得の前に、身体が動いちゃうんだ、ビスコって! 目の前で死にそうな人、ほっとくなんて、できないよ。ね! ビスコ!!」
外套の下でミロに手首をつねられ、唇をきゅっと結び、不服そうに黙り込むビスコ。
この奇妙な二人組の空気に毒気を抜かれたか、くらげ少女はひとつ大きく息をついて、しなを作るのをやめて乱暴に胡座をかくと、馬鹿らしそうに頰杖をついた。
「どーやら、天然物のお人好しに助けられちゃったみたいだなー。運がいいやら、情けないやら……。ちぇっ、子供相手に媚売って、損したよ!」
少女は首を振って、さっきまでの媚びた態度をすっかり放り捨てると……心機一転、自前のランプに火を入れて、赤い敷き布を広げる。荷物から手早く並べられる商品のその品揃えは、怒り狂っていたビスコをして興味津々にさせるほど、壮観なものであった。
「ま、いいや。そんなら本業でお相手すっかいな。魅惑のくらげ商店へようこそ、お二人サン」
「くらげ商店? おもしろいね、きみの名前から取ったの?」
「まー人がいいなパンダくんは。このご時世、商人が簡単に、人に名前なんか教えないよ」
くらげ少女は三つ編みをくるくると指で遊んで、楽しげに言う。「あたしの髪、くらげに見えない? この髪型だと、お客の覚えがいいんだ。店の名前は、そっからだね」
「……言うだけあって、見たことねえもんばっかりだな。うわっ、このワイン、2017って書いてあるぞ! これ、本物かよ!?」
「ほんとはうちは、武器や兵器図面が専門だけど。もちろん食べ物だって充実してるよ! どう? これなんか。純度百のさそり蜜、舌がとろけちゃうよ! 今はなきソロモン酒造の、バニラウォッカなんてのもあるけど……これはきみら少年には、ちょっと早いかな」
少女の手に商品がひらひらと踊るたび、ビスコの眼がきらきらと輝く。そこに、相棒の手でそっと外套の裾を引かれて、慌てて我に返った。
「おい、珍品とか高級品が欲しいわけじゃねえんだよ。腹が膨れりゃいいんだ、炭パンとか、塩餅とか、そういうのはねえのか」
「塩餅ぃー? そんな貧乏くさいの、いちいち背負ってないよ、あたしは」
景気の悪そうな顔でむくれる店主の前で、ミロは楽しげに視線を動かし、隅っこのほうに置いてある、お菓子の山に目をつけた。
「見て、ビスコ! ビスコのバター味がある! これ、貰おうよ! 好きでしょ?」
「……いや。食ったことない」ビスコはなんだか妙に恥ずかしそうに、視線を泳がせて答えた。
「見たことあるだけだ。キノコ守りはそういうの滅多に、手に入らねえからな……」
「……ビスコって、ビスコなのに、ビスコ食べたことないの!」ミロは一度大袈裟に驚いて、その後、弾けるように笑った。「じゃあ、なおさらだね! あの、これ、貰えますか?」
「なんだ、そんなのがいいの? ひとつ、四日貨だよ」
「はああ───っ!? この期に及んで、そんなに金とるのかよ!!」
「あったりまえだーッ! お前の力が弓矢なら、あたしは金なんだよッ!」ピンクの三つ編みを揺らして、少女がビスコへ額を近づける。
「たまたまお前に敵わないってだけで、こっちはお前の賞金まるまる損してんだ! ケチ臭いこと、抜かすんじゃねーッ!」
図々しいのもここまで来ると、説得力すら帯びてくるから不思議である。その迫力に顔を見合わせる少年二人の、手に持った日貨の札を二枚すばやく抜き取って、ビスコの箱を五つ放ると、少女はつまらなそうにさっさと商品をしまい、敷き布をたたんでしまった。
「あーあ。つまんない商売だったー。蟹乗り相手じゃ、燃料も売れないし……。あたし、もう寝るけど。触ったら、百日貨だかんね」
少女は不満そうにぼやいて、古くなった液状骨炭を、ポリタンクから外の地面にびしゃびしゃと捨てていく。
「触るだあ~? わざわざ、毒くらげにかよ?」
「パンダくんは、半額でいいからねっ」
「いいからもう寝ろよ、てめーはっ!」
空のタンクを片手に本殿の奥へ引っ込む少女を、憤然と見送るビスコ。その袖を、ミロがくいくい引く。
「ほらビスコ、怒ると、お腹減っちゃうよ。せっかく買ったんだから、これ、食べようよ!」