ミロはビスコの手に早速、袋から取り出したビスコを数枚、握らせる。自分を見つめる、星のような視線に抗えず、ビスコは、恐る恐るそれを口へ運んでゆく。
「どう? 自分の、名前の由来だよ! ……想像と違った?」
「……もっとこう、硬いのかと思った。強い子の、って言うからよ。味も、滋養のための……なんか、熊の肝みてえな味なのかと」
「あっはは! そんな筈ないよ、お菓子なんだから! ねえ、おいしかった?」
「うん。うまい。」ビスコは言葉少なにそう言いつつ、尋常でない速度でビスコを食い漁り、はやくも三箱目に手をかける。「……都市の人間は、毎日こんなもん食ってんのか……」
「ちょ、ちょっとビスコ! 食べすぎだよ、僕のも取っといてよ!」
「なんでだよ。俺のほうが身体でかいんだ。多少多く食って当然だろ」
「相棒は常に対等なんだって、赤星さんが仰ったんですけどお」
ビスコは悪戯っぽい皮肉に返す言葉を失ってぶすりと黙り込み、ミロの掌に半分、ビスコを出してやって、自分は大事そうに残りをちびちび齧り出す。ミロはその横顔をなんだか楽しそうに眺めて、一枚一枚をゆっくり咀嚼していくのだった。
深夜。ビスコを起こさぬようにミロは本殿からこっそり抜け出して、アクタガワが眠る中庭へ歩いてゆく。
まぶしいほどの月光が、夜にアクタガワの威容を照らしている。
「……すごい、回復力。アクタガワも、普通の蟹じゃないんだな」
あのビスコの兄弟分として今日までを共に生き抜いたとすれば、この強靭さも納得できる。ミロは静かにアクタガワの関節部分に触れ、筋肉の具合を確かめた。
ふと。眠っていたアクタガワが起き出し、その身体をずわりと持ち上げる。
「っあ……! ごめん、アクタガワ。起こすつもりじゃ……」
言いかけて、アクタガワの様子と奇妙な気配に、ミロは耳を澄ます。何か、地の底から響くような『ごごごご……』と唸る気配が、次第にしっかりと振動となり、足の裏に伝わってくる。
「地震……? でも、これって……!」ミロが、慌てて本殿を振り返った瞬間、轟音を立てて寺の石畳が割れ、幾筋もの蒸気が噴き出してきた。同時に、寺全体が大きく震え、どうやら地面全体が徐々にせり上がってくるようなのである。
思わず悲鳴を上げ、どんどん強くなる地震に耐えかねてアクタガワに倒れこむミロ。アクタガワはすばやくミロをハサミで摑み、自分の鞍へ押し込むと、そのまま戦弔宮の石畳を蹴って、藻の茂る地面へ飛び降りた。
辛うじて体勢を立て直したアクタガワと、ミロの目の前に。
夜の闇に二つ、黄色く光る電球のような巨大な目がまたたく。大木のような前足が轟音を立てて地面を叩けば、そこらに転がる廃車のスクラップが、紙切れのように宙に舞う。
「戦弔宮は、生きてる!」ミロはアクタガワに揺られながら、驚愕にわなないた。
「兵器を、ただ祀ってたんじゃない。寺そのものが、動物兵器だったんだ!」
やどかり、と表すのが最も近い姿形だが、その威容はじつに、人の二倍あるアクタガワの、さらに三倍以上もあるような巨大さ。まさしく、戦艦のごとき、怪物である。
土をかきわけて突進してくるそれを、アクタガワは辛くもかわす。『戦弔宮』はそれを気にも留めずに、何か明確な目的地があるのか、迷いなくそれへ向かってゆく。
「ビスコがっ! アクタガワ、ビスコが、まだ中にっ!」
ミロの言葉の終わらぬうちから、アクタガワが走り出す。
慣れない新人キノコ守りと、歴戦の大蟹の目的意識が、ここで初めてビスコを助ける使命に一致したようであった。その、凄まじいスピード! ミロは自分が蟹に乗れないことすら忘れて、ジェットコースターのように手綱にしがみついているしかない。
並走してくる大蟹へ向けて、『戦弔宮』に弔われていた戦車の亡骸が、次々と砲を向ける。どがん! どがん! と連続して打ち出される戦車砲を、横へ、前へ避けるアクタガワ。
「アクタガワ、上っ!」ミロの声に、自慢の大鋏で撥ね飛ばした一弾はそのまま戦車へ跳ね返り、そこで爆発して複数の戦車を沈黙させた。
「ぎゃあーッ! やだやだーッ! 置いてかないで! あたし、死にたくない──ッ!」
「バカ野郎ッ、離れろてめーッ! こ、こいつ、なんつー力してやがる!」
「ビスコ!? どこにいるの、ビスコ────ッ!」
本殿の屋根の上、月光に照らされて、ビスコの赤い髪と外套がはためく。
その足に、荷物を背負ったくらげ少女が、全力で縋りついているのが見てとれる。
「ミロ! こいつの本体は炭喰いジャコだ、骨炭を食う! さっきくらげが捨てた燃料で、目を覚ましたんだ。このまま足尾の鉱脈に突っ込まれたら、鉱脈が爆発して、トロッコが使えなくなる!」
ビスコの声に呼応するように、戦車の機銃が次々に火を噴き、ビスコを狙う。ビスコは叫び散らす少女を抱えるようにして跳び、その全てを跳び避けるも、ビスコに抱きつく予想外の力にバランスを崩し、屋根から転がり落ちてしまう。
「だめだ、こっちはくらげが始末に負えねえ! お前がなんとか、こいつの足を止めろ!」
「止める!? 止めるって、こんなの、どうやって!」
「眉間を、ぶち割るんだ!」ビスコは声を張りながら、自分を狙う主砲のひとつに矢を撃っぱなし、咲かせたキノコでもって自爆させる。「脳味噌を揺らしてやれば、この戦車どもも止まる! アクタガワだ! アクタガワの鋏で、眉間を割らせろ!」
「いきなり、蟹乗りビギナーにっ、無茶言わないでよっ!」
そこで何か言いかけるビスコへ向けて、戦車砲が振り向く。間一髪、少女をかばったビスコのあとには白煙が残り、ビスコの声も様子も、すっかり隠してしまう。
「ああっ! ビスコ──ッ!!」
この危機に、相棒の姿が見えないことほど、心細いことはない。それでもミロは、心を殴りつけるような不安を抑えつけて、一度大きく息を吸い、吐く。
(お前が、こいつの足を止めろ、って。言ってくれた。僕に、できると思ったなら。信じてくれたんだったら……やるよ、ビスコ。きみの言う通りに、してみせる!)
ミロが両目を見開けば、その瞳には決然と意志の火が灯る。走るアクタガワの背に頰を当て、指で大蟹の眉間を、すーっ、と撫でて、静かに囁いた。
「アクタガワ。……ここが、あいつの弱点。眉間を狙って、足を止めるんだ。そうしたら、きっとビスコがやってくれる。ねえ、アクタガワ。きみ……うまく、できるかい?」
アクタガワの吐いた泡が、ひとつふわりと宙へ浮き、ミロの目の前で弾けた。それが、アクタガワの何かの意思表示だったか定かではないが、とにかく……
どがん! と、着弾する砲弾の爆発、それを利用してミロが手綱を操れば、アクタガワが巨大な身体を跳ねさせる。そのまま、戦弔宮の本殿の屋根をぶち抜いて盛大に着地すると、猛然と戦弔宮の入り口めがけて駆け、そびえ立つ巨大な鳥居をその大鋏で千切り取った。
「いけえっ、アクタガワ───ッ!」
アクタガワはせり上がった崖の先、まさに炭喰いジャコの眉間めがけて飛び上がり、振り向きざまに、振りかぶった大鳥居を大斧のように操って、思う様、その眉間へ叩きつけた!