鋼鉄と甲殻がお互いを砕き合う、凄まじい轟音。怪獣映画さながらの大迫力の一撃に、戦弔宮は白煙を上げてさすがに大きくよろめき、突っ張るようにその前脚を高く掲げた。
その、前脚を駆け上がって、白煙を切り裂くように飛び出す、赤い影!
「ビスコ!」
銀色の月をバックに高く跳ね、気絶した少女をミロへ放り、赤い髪と外套をはためかせたビスコは、そのまま逆さまの姿勢で弓を引き絞り、ぎらりとミロに笑いかけてみせた。
「言っただろが。お前、蟹の才能あるってよ!」
ミロがくらげ少女を受け止めると同時に、一弓。放たれた矢は真っ赤な直線を描いて、アクタガワが砕いた戦弔宮の甲殻の奥、その脳を深々と貫き……
ぼぐん、 ぼぐん、 ぼぐん!
凄まじい勢いでそのキノコ毒の菌糸を広げ、戦弔宮の身体のそこらじゅうから、巨大な赤い傘を咲かせはじめた。
落ちてくるビスコを鞍に抱きとめたアクタガワとミロは、苦しみに暴れ狂う戦弔宮から急いで離れ、小高い丘で、赤ヒラタケに覆われてゆくその最期を眺めた。
「……危ねえとこだった。あのまま、あいつをもう半キロも走らせてたら。あいつもろとも、炭鉱がふっ飛ぶところだった」
「はあ、はあ、はあ……、ねえ、ビスコ……」ミロはそこで、ようやく自分の疲れを自覚したかのように、ぐったりと肩を落とし、めまいを抑えながらビスコへ問いかける。
「ビスコはさ、いつも、こんなすごい相手と、戦ってるの?」
「いや。さすがに、寺ァまるごと相手にしたのは、初めてだな」あれだけの大立ち回りの後で、こともなげに笑うビスコ。「でも、明日はきっと、もっとすごい奴と戦う。そういう星なんだ、キノコ守りの……生き方っていうのは」
「……キノコ守りの、って言うより、ビスコの、星だと思うけどなあ……」
ミロが相棒に聞こえないように、控えめに呟く。それに少しも気づかない様子で、ビスコは眼前にそびえる足尾山脈の、その炭鉱施設を指差した。
「もう、鉱山の入り口がこっから見える。あれが骨炭の集積場で、そこからトロッコが出てるはずだ。明日には、アクタガワであそこまで登って、そこから……」
突然、どうん! と空気を裂く轟音が、ビスコの声を遮って響き渡った。音の出所を二人が振り向けば、どうやらキノコに覆われゆく戦弔宮の最期の咆哮か、一際巨大な戦車砲を、遠く夜空へ向けて撃ち放ったのであったらしい。
「……あ。」
その黒々とした丸い砲弾は、夜空に大きな弧を描いて、そのまま、足尾山脈の……今ビスコが示した炭鉱施設、その火薬庫へ、隕石のように突き刺さった。
『ずっ、どおおおおん!』
凄まじい爆音とともに、砂混じりの熱風が二人の肌を焼き、外套をはためかせる。
「うおお、畜生っっ! そんな、そんなん、ありかよっっ!」
「爆発で、岩が飛んでくる! 逃げよう、アクタガワ!」
走り出すアクタガワから眺める足尾骨炭脈は、積もった骨炭を吐き出すように存分に燃え上がり、その広大な山脈一帯を火炎の赤に染め上げようと、爆発を繰り返して燃え広がっていく。ビスコは振り返りながら歯嚙みし、炎に照らされた横顔に汗をにじませた。
「くそッ! もう一歩で、結局、こうなったか……! これじゃ、トロッコは使えねえ……!」
「ビスコ……」
安全な場所でアクタガワを止め、ビスコに何と声をかけていいかわからず、心配そうに覗き込むミロ。しかし、ビスコの逡巡は、わずか五秒ほどに過ぎなかった。
「……まだ、可能性が消えたわけじゃねえ。駄目なら、別の道を行くだけだ」
一度、大きく息を吐いて、憤然と胸を張り、燃える山脈を睨む。
「それに、あのデカブツにあれだけキノコが咬めば。ここいら一帯からも、サビがそのうち消える……てめえの命より、そっちに、ジジイは喜ぶ」
今や、すっかり絶命して自然の一部となった戦弔宮に視線を移し、ビスコのエメラルドの瞳が、数回、瞬いた。ミロはそのビスコの横顔を眺めて、胸を打つ悲壮さに、なんとか彼を励まそうとしたけれど……結局、気の利いた言葉を、思いつくことはできなかった。
朝の日差しが瞼の裏を焼く。ビスコは鼻にかかった声でうめいた後、不承不承むくりと起き上がった。寝惚け眼で、腹をぼりぼりと搔きながら周りを見渡せば、一面の草原と、ふよふよと宙を漂う浮き藻が、夏の陽を照り返してきらきらと光っている。
「あ。ビスコ! おはよう!」
虫除けの香炉を片付けていたミロが、寝惚け眼のビスコへ走り寄ってくる。
「傷はどう? ……うん。ちゃんと塞がってるね。もし腫れたら、すぐ教えて」
「あの、くらげはどうした。あいつには、怪我はねえのか?」
「うん、元気だよ。擦り傷しかなかったし、処置もしてあるから。今、見てくるね!」
ミロの巻いた包帯の慣れない感触が気になり、困ったように首を撫でるビスコ。その耳へ、「ああ──っっ!」と、もはや耳慣れてしまった相棒の悲鳴が聞こえてくる。
「あの子、逃げちゃったみたい。バッグのお金、全部取られた!」アクタガワの革袋を漁るミロの、呆れ返ったような声。「ひええ……ビスコと財布わけといて、よかったよ」
「まだ遠くまで行ってねえはずだ。捕まえて、蒸し焼きにしよう」
「あっ、ビスコ、ちょっと待って!」
革袋を漁るミロが何かに気づき、お菓子やら煎り豆やらの保存食を次々と取り出し……最後に、一枚の紙をビスコに見せて、困ったように笑う。
『人喰い赤星御一行様 各種食料品代として 八十七日貨七十銭 正に頂戴致しました』
丸っこい文字で書かれた領収書の隅っこに、『パンダくん 赤星が死んだら あたしと組もうね♡』との文言と、可愛らしいハート形のチョコレートが添えてある。
「あの子、僕らに、いろいろ見繕ってくれたんだね。泥棒かと思ったよ」
「要は押し売りじゃねえか。似たようなもんだろ!」
ビスコは笑うミロの後から、憤然とアクタガワに飛び乗り……ふと、ミロがすっかりアクタガワに慣れ、振り落とされずに座っていることに気がつく。
「……?」ビスコは不思議そうに相棒の顔を覗き込み、無遠慮に観察する。
ミロの顔は、自分自身で処置こそしているようだったが、地面に擦れてできた無数の生傷だらけで、またその両目の下には、わかりやすい寝不足のクマが刻まれている。
「お前、その傷……」
ミロはそこで、自分の顔についた傷を見咎められていることに気づいたらしく、はっと息を詰めて、つい、と視線を逸らしてしまった。
ミロが早朝からアクタガワと格闘し、何度も投げ飛ばされた挙句、ついに手懐けたらしいことはビスコにもわかった。本来誇っていいようなその傷を、恥ずかしそうに隠すあたりが、かえってミロの妙に意固地なプライドを覗かせ、ビスコの腹をくすぐってくる。
「く、くひひひ……」
「な、何だよっ!」
「べっつにィ」
ビスコがひとつ、アクタガワに鞭をくれる。機嫌よさげに笑う主人とは裏腹に、アクタガワは新米との早朝トレーニングに付き合わされてやや不満げではあったが、それでもその八本足を元気に動かして、夏の浮き藻原を悠然と駆けていった。