県庁の床に、革靴の音が慌ただしく鳴る。大型で黒ずくめのウサギ面が、早足でリノリウムの廊下を歩き、大量の書類を抱えた新人職員を肩で突き飛ばして、紙の雨を降らせた。
忌浜県庁。いまだ、赤星の残した大量のキノコの駆除、修繕にいそしむこの庁舎には、事務員、自警団員、科学者、建築業者と様々な人種が対応に追われ、忙しないことこの上ない。
その中でも一際焦りを滲ませたウサギ面の手が、ある一室の、黒塗りのドアをノックした。
「開いてるよ」
低く落ち着いた、にも関わらず不思議なまでに不安を煽る声が、ドアの中から答えた。ウサギ面は一度呼吸を挟み、ゆっくりとドアを開ける。
暗く、大きな部屋である。
正面の壁に備え付けになっているスクリーンには、点滅する映写機から、お世辞にも綺麗とはいえない画質の映画が写し出されている。映像の中で、スーツ姿の黒人の男がハンバーガーを貪りながらよくわからない説法を垂れ、目の前で怯える白人達を続けざまに撃ち殺した。
「天恋糖、という、菓子を知ってるか?」
スクリーンからやや離れて机に腰掛けた男が、映画もろくに見ずに、手元の、何やら果物のようなものをいじくり回している。
「天然のエゾマンゴーを、アザラシの糞に漬け込んで、発酵させたもんだそうだ。あまりの甘美さに全国から注文殺到、とか言うもんだから、取り寄せたよ、茨城から。いや、ミーハーを言い訳するわけじゃないが。知事たる人間、食っておかないと、知識階級の話についていけないんじゃないかと思ってな」
それで、知事……黒革は、そのマンゴーらしき果実の頭をスプーンで抉り捨て、中の蜜の香りを数回、嗅いで、まんざらでもない顔をすると、大きく掬ったその蜜を口へ放り込んだ。
「うん……うん」黒革は数回、その蜜を味わうように舌で転がしてから、なんとも言えない表情でウサギ面を仰ぎ見た。「なんというか……キリンの脳味噌吸ってるみてえな味がするよ」
それで黒革は、持っていた天恋糖をスプーンごと思い切りブン投げた。ガラス棚が割れ、マンゴーはべちゃべちゃに潰れ、甘く腐ったような臭いを部屋中に振りまいた。
「馬鹿にしやがる。茨城への経済支援は全面ストップだ」
「知事。お耳に入れておかなければならないことがあります。おそらく、赤星は」
「生きてるって?」机の引き出しから口直しのメントスを取り出し、ミント味をくちゃくちゃやりながら、黒革が答える。「あの、足尾鉱脈の大爆発に巻き込まれても……ターミネーターみてえに、炎の中から蘇ったと。そういうことか? ははあ。いいぞ、続編も気になる」
「あの起爆は、我々、特務隊員が行ったものでは、ありません」
無表情なはずのウサギ面の首には、汗が滝のように流れる。
「付近に、巨大な砲撃型の動物兵器が、キノコ菌によって倒されているのを確認しています。おそらくは、あの生物による……」
「誤射で、爆発した?」黒革はそこで、大口を開けてげらげらと笑い、デスクの上のコーラの瓶を倒してそこらへんの書類をぐちゃぐちゃに濡らした。
「は、は、はは。ふう、ふう。いやーなるほど。待ち伏せで、赤星一行を丸焼きにするつもりが……丸焼きになっちゃったわけだな? 特務隊員、およそ五十人」
「こればかりは、計算のしようがなく……人員の不足する中、まことに……!」
「どうせ爆発で死ぬ五十人だ、それはいいんだが。うーむ、足尾を張ったのは、読み通りだったんだがなあ」一度言葉を切り、倒れた瓶コーラを手にとって、一口呷る。
「運が、良い……? いや。それだけで片付かない、妙な星の力を感じるぞ。赤星……」
じっとりと、黒い瞳で虚空を睨む黒革。そこへ、
ずがん! と、鍵のかかったドアを蹴破って、白銀の女戦士がそのコートを翻し、ずかすかと部屋に踏み込んできた。黒革は無礼な態度に、むしろ機嫌をよくして女に語りかける。
「ノックを、しろ、ノックを。自警はやり方が荒っぽいよ。オレとこのウサギがもし、不倫関係にあって……熱い抱擁でもかましてたら、どうするつもりだったんだ?」
「失礼。しかし〝得体の知れぬ輩〟から知事を守るのも、自警の義務ですから」