自警団長パウーの、その美しい双眸が、ぎっ、と黒革を睨みつける。摑みかかってくるウサギ面のその片腕をひっ摑み、軽々と放り捨てれば、ウサギ面はそのまま黒革の漫画コレクションの棚にぶちあたって、ぐったりとうなだれてしまう。
「赤星の、場所がわかっていながら!」パウーの声が、凜と部屋に響く。「何故、追跡隊の派遣許可を頂けないのです! 放っておいて、いい男ではありません!」
「どこで聞いた、それ。うちのウサギ、殴って吐かせたか?」
黒革はお気に入りのファンタグレープを冷蔵庫から取り出し、うち一本をパウーへ差し出す。パウーがぎろりとひと睨みくれれば、つまらなそうに肩をすくめて言葉を続けた。
「何にしろ、ダメだ。キノコ除去だってまだ人手がいるし、キノコ守りはもう一人いたって噂もある。県内がまだ落ち着いてない状況で、自警団にこれ以上割ける人員がいるのか?」
「だからと言って……!」
「つまらん駆け引きはやめろ、猫柳」
ずるり、と、場の空気が一気に黒く淀むような、黒革の低い声がパウーを捉えた。その、隈の深い、真っ黒く沈むような両目が、じっとりと重い気を孕んでパウーを見つめている。
「何故、簡単に言えないんだ……? 助けに行きたいんだろうが。攫われた、愛しの王子様を……」
黒革が手元のボタンをいじると、映像が切り替わり、壁の向こうへ跳ね飛ぶ赤髪の男と、空色の髪の男を映し出す。キノコの発芽力で跳ね飛ぶ二人を、壁に備えつけた監視カメラが捉えたものだ。ハッと息を吞むパウーを横目に、黒革はぐびりとファンタを呷る。
「本人には何度も言っているが、つくづく美形だよ、お前の弟は」黒革は手元のボタンで、ミロの顔を大写しにする。「この痣がなければ完璧なんだが。勿体ない。しかし……くく、何だな。とても、攫われてゆくお姫様の顔には見えんな」
それは、まさに、パウー自身が強く感じていることでもあった。ビスコに抱えられて壁を跳んでゆくミロの表情は、若干の不安こそあれど、隣の人喰いテロリストを信じきり、身体を預けているような安心感を滲ませている。
(何故だ……ミロ……!)
「ことによっては、お前の弟には、テロリスト幇助の疑いもある」黒革は声を落として、突き放すようにパウーに言ってのけた。「弟のことは自己責任だ。何度来ようが追っ手は出さん」
「知事っ!」
「大丈夫だって。そのうち見つかるよ……全身、キノコ塗れでかもしれんが。ま、それはそれで、いいオブジェになりそうじゃないか?」
パウーはそこで、堪えていた怒りが沸点を超えたのか、危うく振り上げかける腕を押さえ、震えるほど強く唇を嚙んだ。嚙み切れた唇から血が顎を伝い、ぽとぽとと床へ垂れていく。
それを見て、これまで軽口を叩きながらも、一度も微笑すら見せなかった黒革の口角が
『にぃぃぃ』
と、吊り上がった。あまりにも邪悪な、見るものを底冷えさせる、悪魔の笑みであった。
「っ。失、礼」
よろよろと部屋を出て行くパウーへ向けて、黒革は笑い混じりに言った。
「猫柳ぃ。忌浜自警の姫将軍様に、もし出て行かれちゃったら、うちも困るんだ。お前にも同罪を着せなきゃならなくなるぞ。わかってくれるよな?」
ばたん! と、強かに締められたドアを見つめて、黒革はいかにも可笑しそうに、なんとか声を殺そうと苦心して、しばらく笑った。そして、はあはあと息をつきながら、今度はビスコの顔を画面に大きく映して、しげしげと、半ばほれぼれとそれを見つめた。
「あの、ジャリガキが……。でかくなったもんだよなァ、赤星……。見ろよこの面構え。強そうだ。強えんだろうなあ。きっとオレなんざ、足元にも、及ばねえ」
黒革の、深い隈の奥の黒い瞳は、ビスコのその弾けるような若さを放つ顔に釘付けになって、まんじりと動かなかった。一人呟く声は、憎悪とも、陶酔ともつかぬ響きを帯びている。
「最強の、キノコ守り。よく現れてくれた、オレの前に。きっと殺すよ、赤星……。オレが、ちゃんとお前の首を刎ねて。脇をくすぐって、笑わねえか確かめて……それから……」
黒革は震える手で、卓上の瓶をひっ摑むと、錠剤をがらがらと口に流し込み、嚙み砕いた。
「それから、眠るんだ、ぐっすりと。こんな、ションベンの赤くなる安定剤無しでな……」
しばらくの間、黒革は先ほどまでのことなどすっかり忘れて、ビスコの写真を見つめ続けていた。
「待っててくれ、赤星……」
ともすればそれは、好きな女の子の写真を眺める、少年のそれにすら似ていた。