錆喰いビスコ

8 ①

 風のない、八月はじめの、静かによく晴れた早朝である。

 細かいかいうすく張った水面みなもは日差しを照り返してきらきらと光り、まるで鏡面のように空をそのまま写し返している。色とりどりにあざやかなかいの美しさと相まって、さながら宝石の空を歩くようである。

 カルベロかいかい

 いみはまほくへきより北へ50㎞ほど。ばらければ、とちけん北部からしもぶきけん南部にかけて、美しい貝の砂でめられた広大な湖が見えてくる。

 もとはカルベロジュエリーとかいうふくしまの大会社が、りつくされた天然鉱物の代わりに、合成された美しい貝を使って新世代の宝石とした、その工業地域がこのあたりであったらしい。

 それらが例によってあとかたもなくかぜけずられ、宝石貝だけが細かい砂となって地表を成し、時折ぽつりと、高いビルのなきがらかいの上にかたむく、そういう土地であった。

 さいたまてつばくと異なるのは、かいはいしゆつするさいな塩分と水分が、絶えず一面に水のはくまくを張っていることで、それが期せずしてこのほろびの地に、えも言われぬ美しさを体現していた。

 とはいえ。

 それを行くおおがにの背にられる、二人の若いキノコ守りは、そうした景色を楽しむゆうもなく、空腹としようそうにその身をがされているようであった。


「アクタガワ、なんとかえさを見つける……たのむ、がんってくれ」


 あし鉱脈のトロッコルートをふさがれた一行は、かいかいかいせずに、しもぶきけん方面にわたりきるルートを選んだ。ジャビの残り時間を考えれば、他に方法がなかったのである。


(うう、お、おなか、減った……)


 口の中で、ミロがつぶやく。見た目の美しさと裏腹に、かいかいを行く行程は厳しい。一面に広がる美しい水面みなもには、およそ人間の食料になりそうなものは何一つ見えない。

 食用のキノコを生やすにしても、キノコそのものはほぼカロリーを持たないので、結局腹の足しにはならない。歩きながら何でも食べて栄養にするテツガザミも、この地形ばかりはえさとなるものがないため、流石さすがけんきやくにぶり、速度を落としてしまうのである。

 期せずして、ばらでくらげ少女に押し付けられた保存食が役に立ち、二人の命をつなめたが、それもほとんどはアクタガワのえさとなり、しばらく前に底をついてしまっていた。


(……ビスコ……。)


 ミロは横目で、ただえさえするどい眼をさらにしようそうにぎらつかせた、相棒の横顔をうかがう。

 空腹のことももちろんあるだろうが、何より・ジャビの命の刻限が、彼の心をがし、火傷やけどするような熱をただよわせているのだろう。

 旅慣れないミロもまた、厳しいえに苦しんでいる。ただ、そんなビスコを横に見て、そうそう弱音をけるものでもなく、なんとかじようふるってみせてはいた、が。


「……。ミロ。腹、減ったか?」

「……う、うん!」


 べちん! と、後頭部に一発。


「次言ったら、二発だからな」

「聞かれなきゃ、言わないよっっ!」

「……おい、ありゃ、何だ……?」


 ビスコが指差す先に、かいから大きな葉を広げた背の低い植物が、その葉を水面みなもにくねらせていた。

 中央部には、大ぶりの真っ赤な果実が四つほど、みずみずしくかがやいているのが見える。


「す、スイカだっ」

「スイカ!」


 先ほどまでの、死体みたいな顔を一気にかがやかせて、ミロが喜んだ。ビスコもようやく、まともなものをアクタガワへ与えられる喜びで、づなあやつる手に力を込める。

 そこへ。

 何か、小さなかげがちょこちょこと走り、その、スイカ……ベニダマウリに近づく。

 呆気あつけに取られる二人の前で、その小さいやつは器用に大ぶりの四玉をると、背負ったカゴにぽいぽい放り込んで、そのまま、てくてく来た道をもどろうとする。

 何か大きな巻き貝のようなものをメット代わりにかぶって、簡素なシャツとズボンに身を包んだちは、どうやら、としもいかぬ子供である。


「子供だ、こんな所に。近くに街があるのかな? ねえ、ビス……」


 くミロが、相棒のぎようそうに思わずぎょっとし、固まる。


「おらガキぃぃ───ッッ! カゴ置いてけェェ────ッッ!!」


 えたしゆとなったビスコはアクタガワを思い切りて、その子供を追いかけた。

 巨大なかにまたがった、真っ赤なおにみたいなやつが、すさまじい勢いで向かってくるのであるから、子供の側からすればたまったものではない。子供は「きゃーっ!」と悲鳴とともに一度ねて、だつのごとくかいの上をしてゆく。


「び、ビスコ! やめなってば! あんまりおどろかしたら、かわいそうだよ!」

「メシを取り上げられたおれは、かわいそうじゃねえのか、コラ!」


 ミロがいさめても、なおさらいきおんでづなを取る、ビスコの、その目の前に。

 ばぎゅん! と、一発のライフルだんが空からかいさり、アクタガワの足を止めた。


「……!」


 ビスコはさすがに表情をめ、げる子供から、じゆうだんの飛んできた方に視線を移す。


「子供でもお構いなしに連れてく気かよ、ヤクザども!」高所から、声がひびく。力強くに満ちてはいるが、その声は高く、どうやら年若い少年の声である。


「今日こそ、お前ら穴だらけにして。くろかわんとこへ、送り返しちゃるからな!」


 眼前にそびえる、巨大な人形を思わせるみような建造物のそこらじゅうから、じゆうこうがビスコとミロに向けられている。空腹に周りが見えなかったあかぼし一行は、期せずして、いつしよくそくはつじようきように飛び込んでしまったらしかった。


「そのガキをどうこうする気はねえ。メシが欲しかっただけだ」ビスコは、青ざめてすっかりおびえるミロの頭を、かくすようにくらへ押し込む。「言ってることはよくわからんが、おれはお前らのかたきじゃないぞ。ここだって、ぐうぜん、通りかかっただけだ」


 少し、間を置いて、少年の声が返ってくる。


「なら、そんまま回れ右して、帰れ、よそもんが。変な真似まねしよると、脳天、ぶちぬくぞ」

ぶつそうなガキだな。何か、食うもんが欲しいんだよ。ゆずってくれ」


 ビスコが食い下がる。


「このかにと、こいつ、医者なんだが、とにかく二人に飯を食わせたい。多少の金は、出せる」

「いいから、さっさと、帰りゃがれ! カルベロの漁師は、つったら、つぞっ!」

はんこうらしいぞ」ビスコはややあきれたように、ミロに背負わせていたポーチから、何か紙きれを一枚、取り出した。「まあいい。一枚取っておいて、よかった」

「一枚、とっといて、って……」ミロが、おそるおそるビスコのその紙に目をやると、あろうことか、顔の横にかかげたそれは、ビスコ自身の、賞金首の張り紙であった。


あかぼしビスコ。ひとあかぼし! 今、一番ホットな賞金首だぞ。生きたまま、いみはまに持ってきゃ、八十万につの大金だ。こんな、へんなとこじゃなくて、かべの中に家が十けん建つぞ!」

「わ、わ、わあああっ、なにしてんの、ビスコっ!」


 ミロはきようもどこかへ吹き飛ぶほど色を失い、ビスコの首根っこをつかんでりたくった。


「何、考えてるんだよっ! もし、つ、つかまっちゃったら! 旅もなにもないよ、全部だめになっちゃうじゃないか!」


 一方、穴ぼこ人形の街もそれはそれで、ずいぶんとさわぎになっているようである。


あかぼし?」「ひとだけの、あかぼし!」「本物なの?」「八十万につだって」


 等々、街のそこらじゅうから声が飛んでいる。気になるのは、それら声のほとんどが、おそらく少年少女のものであるということだった。


「アクタガワに飯を食わせるには、他に手はねえ」


 先ほどまで、悪童の笑みを見せていたビスコが、このすきを見て、ミロにささやいた。


「街を構えるぐらいだから、食糧のちくはあるはずだ。アクタガワの腹が満ちたら、ころいを見て、げよう。あるだけ持ってければいいが、見たとこ、ガキの寄せ集めの集落だ。あんまりりすぎてやるのもな」

「……うん、わかった」


 一度ビスコと目を合わせてしまうと、無茶が無茶でなくなってしまう気がするのが、ミロは不思議だった。


「ねえ、ぼくはどう動けばいい? 何か、作戦はあるの?」


刊行シリーズ

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