「ねえよ、そんなの。どうせ、うまくいくからな」
二人の話の終わり際、武装して、それぞれの頭に思い思いの貝を被った、年若い少年の集団が、貝砂を踏みしめてアクタガワの前へ歩いてきた。先頭にいる、鮫のマスクのパンクなサザエ少年が、どうやら先ほどの声、一団の長のようである。
「……ほ、本当に、赤星じゃあねえか。なんで、こないなとこで、観念する気になった」
「賞金首になっても腹は減るってのを忘れててよ。この、蟹、パンダ、俺。三人にメシをくれ。その後、俺を忌浜に引き渡したらいい」
「お前は、縛り付けるにしても。その、白パンダが、暴れねえ保証は」
「おとなしい品種だ。もし暴れたら、三人とも撃て」ビスコは交渉ごとがいかにも面倒というふうに、焦れたポーズをしてみせる。「おら、縛るんだろ? さっさとしろ」
サザエ少年は、銃をつきつけられて平然とするビスコに多少、気圧されかけたものの、なんとか威厳を取り戻し、部下の少年達へ鋭く指示を飛ばした。
「プラム、コースケ! 赤星を縛れ、荷物も、取り上げろ。この、蟹は……うう、でかいな……縛ったりすると、暴れそうじゃ。キューピー呼んできて、世話させろ」
「ねえ、ナッツ。キューピーだけで、平気かな。こいつ、すごい強そう。やっぱり、しびれ毒かなんか、咬ませたほうが……」
「あっ、だ、大丈夫! アクタガワは、僕とビスコが言えば、ちゃんとおとなしくしてるよ!」
緊張気味に少年達の話すところへ、場違いなほど明るい、涼やかな声が響いた。ミロはぎこちない挙動で鞍から降りようとして、派手にすっ転び、カラフルな貝の砂にべしゃりとその顔を埋もれさせた。起き上がって犬のように顔を振ると、濡れた青い髪から小さな宝石が飛び散って、陽光にきらきらと輝く。
ミロは恥ずかしそうに一度咳払いをすると、アクタガワの腹に触れながら、静かにささやく。
「これから、ちょっとだけここでお世話になるからね。大丈夫。緊張しないで……」
その、ミロの穏やかな所作にあてられて、一人の構えた銃口が、知らず、下がってゆく。
「す……素敵な人ぉ……。」
「ちょ、ちょっと、プラム! な、ナッツに聞こえるよ!」
「全部、聞こえとるわ、このバカども!」サザエ少年の怒声が、二人のお供をびくりとすくめさせた。どうやら、そのナッツというのがこの少年の名前らしく、会話の一連の流れを聞くに、この厳しい生存競争の中で、まだ少年少女らしい情緒を失ってはいないように見える。
「は、はい、あ、赤星は縛ったよ。……き、き、きつすぎたかな。く、苦しくない?」
「バカ! 相手は大悪党じゃぞ、きつすぎるくらいで丁度ええんじゃ! おら、歩け!」
「くひひひ……。元気のいいガキだ。日本の未来は、明るい」
にやにやと笑うビスコに気圧されまいと、その腰を蹴るナッツ。一方でプラムと呼ばれた女の子は、ミロの差し出す両手に、うまく手錠をかけられないでいる。
「たぶん、その真ん中の穴に鍵を挿すんだよ。僕がこう、手の甲を上にして……」
「こ、こう?」
「うん、そこに、鍵を……。あっ、やった、できたね!」
ミロは、自分の腕にかかった手錠を掲げて、プラムに笑いかける。プラムは、そのクモ貝の帽子の下の可愛らしい顔を、ぼん! と真っ赤に染めて、俯きながら強引にミロを引っ張ってゆくのだった。
上階から、手動のハンドルを数人の少年が回していくと、ビスコ達五人の乗ったゴンドラがゆっくり上がっていく。文明自体が貧弱に退化したこの時代において見ても、ずいぶんアナログなやり方でこの街は成り立っているらしい。
「ねえ、この街、不思議な形をしてるけど……何をもとにして作ったの?」
ナッツに聞こえないように、ミロがコースケに囁く。
「て、テツジン、だよ」コースケは、自分の声のボリュームを操作するのが難しいらしく、気の毒なほど慎重に、ミロに答えた。「と、東京の、大爆発で、ふっとんできた、テツジンの。その身体を、くりぬいて、作ったんだって……昔、大人達が、い、言ってたよ」
(……これが、テツジン。テツジンの亡骸で、街を、作るだなんて……)
なるほどよく見てみれば、巨大な胴から上、露出した脊椎から横に伸びる肋骨に引っ掛けるようにして、テントやらハンモックやら、思い思いの生活空間が築かれ、その頂上には、すっかり表情のわからなくなったテツジンの顔面部分が、やや傾いて口を開けていた。
かつて大東京の中心で爆発した、錆び風の元凶、テツジン。一度日本を滅ぼした忌むべき象徴として、長年日本人からは忌避されてきたが、今や東京爆災を体感しない世代の人間にその意識は薄れ、その存在は歴史の教科書を飾る一ページ程度のものでしかない。
かつての人類の墓標が、今また人類の街として息づくその有様を眺め、ミロは不思議な感慨に浸り、しばし瞬きも忘れてその街に魅入った。
「白パンダは、プラム、お前が面倒みぃ。赤星、おまえはこっち。コースケ、一緒に来い」
「飯を、食わしていいのかい?」
「そういう約束じゃ。……キューピーにも、伝えとけ」
ゴンドラが足場につくと、ビスコの縄を引いて、さらに階段を上るナッツ。コースケは、タニシの帽子を揺らして心配そうに何度か振り返り、やがて慌ててナッツについていった。
「……こっち。なんか、作るから」
プラムはおずおずと言って、ミロを簡素な調理器具のあるテントの一角へ連れていき、そこへ座らせた。ほどなくして、昨晩の残りものみたいな、貝のミルク煮が皿に盛られてきた。
「うわーっ! すごい! し、シチューだ!」
「大げさだよ、バカ貝の乳煮ぐらいで……ああ、ほら、こぼれるよ!」
「んぐ、ん、ん……ぷはっ! うわあ、これっ、美味しい!」
手錠のまま、不器用にスープを啜り込んだミロの喜びの表情に、全く噓はない。何しろ、飲まず食わずの行軍がずいぶん続いたのだ。ただでさえ瘦せたミロの身体はいまにも折れんばかりだったが、この一杯のスープがどれだけ彼の身体に染みたか、目の前のプラムにも十分に伝わったようであった。
プラムはミロの不器用さを見かねて、少し迷い……結局、ミロの手錠の鍵を外してやる。
「あ、ありがとう……えっ、これ、大丈夫!?」
「し、仕方ないだろ、あんまり危なっかしくて……ねえ、そんなに腹が減ってるなら、ウミウシの刺身もやってやろうか。ちょうど、今日、腐りそうなやつがあるからさ」
「まだ何か、作ってくれるの?」
「待ちなよ、すぐ、さばくから……」
カラフルなウミウシを冷蔵庫から取り出して、包丁を入れるプラムの後ろ姿を見ながら、ミロは街の様子を見渡していた。少年達は一様に、物騒な銃器で武装してはいるが、見たところその半数ほどは錆にひどくやられており、ちゃんと機能するかは怪しいところだった。
「ねえ、この街のみんなは、どうして武装してるの? 盗賊が出たりするのかな?」
「……昔は、忌浜からよく軍隊みたいなのが来て、大人ともめてたけど。今は、人間相手にぶっぱなすなんてことは、ほとんどないよ」
「じゃあ、何か、生き物が湧くんだね」
「うん。トビフグの群れが、冬に湧くんだ。すごい数で……それで毎年、あたしたちも数が減ってる。……銃も、もう、古くなってるし。今年も、越せるかどうか、わからない……」
トビフグは、体内に溜めたガスで宙を舞う空遊魚の一種で、大きく可愛らしい外見とは裏腹に、強靭な顎で人間ぐらいなら嚙み砕いて食うという、凶悪な進化生物のひとつである。
「……大人たちが、いれば。帰ってきてくれれば、この街だって、きっと……あ、痛っ!」
激情から手を滑らせたプラムが、指に包丁を走らせてしまう。ミロはするりと側へ寄って、こわばるプラムの手を取り、その指に、懐から出したクラゲ油を塗りこんでやる。
そしてその際、プラムの指の股の部分に、灰色に乾き、ひび割れた皮膚が広がっているのを見逃さなかった。
「あ、ありがと……」
おずおずと見上げるプラムと、ミロの眼が合う。先ほどまでの弱気が噓のような、真剣なまなざし。星のような瞳に間近で見つめられて、プラムの頰が燃え上がるように赤くなる。
「っ、も、もう、大丈夫だから……手、はなしてよ……」