錆喰いビスコ

8 ④

 そういうところも可愛かわいらしいやつだった、と不思議な気持ちをみしめつつ、ビスコはゆっくりと、がんじがらめにされた手に、万力のように力を込め出した。


「こ、こりゃあ、一体……!」


 サメマスクを取り去ったナッツが、自分の口元をでると、そこには昔通りのつややかなはだと、うるんだくちびるもどっている。ナッツは信じられないといった風に、何度も鏡をのぞんだ。


いみはまが、きみたちに売ってた薬は、けんとうちがいのにせものだよ」


 ミロがやさしさの中に、いみはまへの静かないかりをにじませながら、荷物の中から黄色い薬管をいくつも取り出す。紙に何やら走り書きをしてそれにえると、手で軽くプラムを招いて、それをわたした。


「おいで、プラム。これが、かいしようの特効薬。特にしんしよくが深い子には、もつたいぶらずに治りきるまで使うこと。この量でしばらく持つとは思うけど、もし、薬が切れたら、ここに調ちようざい方法が書いてある。ここ周辺で採れる材料でできると思うけど、採取には気をつけてね」

「あんた、天使様かなにかなの……? うそみたい……ほんとに、みんなの病気を、治しちゃうなんて……」

「なあ、ナッツ。街の仲間、みんな治してもらったんだぜ。なんか、礼をしてやろうよ。カルベロの漁師には、仁義がなにより大事だって、大人達も言ってたじゃねえか」

「そうだよ、ナッツ! この人がいなかったら、あたしらいずれ、身体中かちかちになって、くたばってた! 何か、あたしらで、お礼しなくちゃ!」

「………。」


 ナッツは、周りの少年たちの声を聞きながらそのりよううでを組んでしばらく、しかめっつらで立ちつくしていて、ちんもくえかねるようにして口を開いた。


「……何か、望みのもんが、あるのかよ。ここには、大したもんは、ねえぞ」

「……あるよ。ひとつだけ」


 ミロは、それまでのやさしいひとみに、すっと策士の色をひそませて、すずやかに、言い放った。


ぼくの相棒、あかぼしビスコ。彼を解放して、ぼくわたしてほしい」

「!!」

「あっ!」「そうだった……!」「あかぼしを……!」


 そこで、周囲のかいぼうの子供達はおたがいを見回し、いつせいにざわめいた。この、いやしの使徒のようなやさおとこが、あの大悪党あかぼしの連れだということを、これまですっかり、忘れていたというふうである。とはいえ、


あかぼしがおとなしけりゃ、それぐらいは……」「恩人の言うことだもの」等々、子供達の反応はすっかりミロになついていて、その場はこうていてきなムードが大半をめるようではあった。

 うでを組むナッツに、プラムがそっと近寄り、「ね、ねえ」と、声をかけると……


「それは、できん」

「ナッツ!」

あかぼしは、手放すわけにいかん! 他のもんにせい、パンダ!」

(……あ、あれっ? そうきたか……ちょっと、ちがえたかな……!)


 子供の善性を信じ切っていたミロは、この返答にわずかにあせをかいた。りようの過程で、ナッツの強面こわもての内側に、なおで恩義に厚い部分を感じ取っていたのだが、今のナッツは何か別の使命感のようなもので、固く心を閉ざしてしまっている。


「ナッツ、このお医者の連れなんだから、あかぼしだってきっと、悪党じゃあないんだよ。ねえ、この人にとっちゃ大事な仲間なんだ、解放してあげなよ!」

「そんなこたあ、関係ない! 金の、話をしとるんじゃ!」


 ナッツはプラムの声を無理やりはらうように、乱暴に頭をった。


「八十万につちゅうたら、街全体の武装を、まるまる新調できる額じゃ。おれたちのじゆうほとんどがサビて、たまァだってない。冬までに、武器を新調できんかったら、トビフグの群れに、街全体がわれちまうんだぞ。そいでも、いいんか!」


 ナッツのいつかつに、だまんでしまう少年たち。

 ナッツとしても、人並みの以上に情を持ち合わせる少年にちがいない。ただ、その、仲間の命を守りたいといういちおもいが、非情な決断を彼に強制していた。


「話が終わりなら、もう、行く。……カニには、たらふく食わせておいた。早めに、出てけ」


 ミロの顔を見ないようにしながら、きびすを返すナッツ。ミロはくちびるを親指のつめきながら、何か次の手を考えている。

 ナッツの足が、階段にかかった、そのしゆんかんに。


「フグだぁ─────っっ! フグが出たぁ────っっ!」

「!? コースケ! 上か!」


 テツジンの街全体にひびくコースケの悲鳴が、再び少年たちをどよめかせた。台所の階段をがり、テツジンの胸ににせり出した広場へ登るナッツ。

 見上げる視界の先、テツジンの頭部あたりに、いまにも食いかからんばかりに口を開いた、トビフグのふくれた体が大写しになった。


「何で、この夏まっさかりに! はぐれフグの、一匹か?」

「な、ナッツ……」じゆうを構えるナッツの耳に、プラムのふるえる声がむ。


「はぐれじゃない……こ、こいつら、群れで。きょ、去年の、何倍も……!」


 ぎょっとしてナッツがプラムの視線を追うと、低い雲の間から、トビフグの太った体がいくつも降ってくるのが見える。気象の変化でえさが減ったのか、その因果はともかく、先までの平和な事態は急転し、テツジンの街はめつぼうの危機にひんしているようであった。


「わ、わああ、ナッツ! すげえ数だっ! おれたちの、じゆうより多い!」

たまが、たまが出ねえ! くそっ、こんな時に、ちくしょうっ!」


 仲間たちの悲鳴を受けて、ナッツの顔がゆがむ。いつもなら、落ち着けといつかつするが、このじようきようでそれはほろびを待てと指示するに等しい。ナッツをおそう深いのうが、とうとう彼の口から、「うう、どうすりゃいい……!」と、弱音をさせた。


「……みんなを助ける、すごく簡単な方法が、ひとつだけ、ある」


 ちがいなほど落ち着いた声に、ナッツとプラムが、同時にミロをいた。ミロは今度こそしんけんおもちで、ナッツの視線を正面から受け止めた、


「な、なんじゃ、どこに、打つ手がある!」

「この程度の動物の、百や二百、朝飯前にたおす人を知ってる。任せちゃえばいい。このぐらいの数、十分もかけないで、退治しちゃうよ」

「だ、だれじゃ、そいつは。どこに、そんなやつがおる!」

つかまってるでしょ。きみの部屋に」ミロは不安げなプラムににこりと笑いかけた後、ナッツにずいと近寄って、わずかに語気を強めた。「ナッツ。ビスコを解放して! このじようきようを打破できるのはビスコだけだ。八十万につえに、仲間たちを、フグに食べさせる気!?」


 ナッツが、額にしゆんじゆんあせをにじませた、そのいつしゆんの後、

 ずがん! とひびごうおんとともに、テツジンの頭部の一部が食い破られる。飛び散るへんに空を見上げれば、フグの厚ぼったいくちびるに、小さいひとかげが引っかかっているのが見える。


「わあ────っ! ナッツ─────っ!」


 コースケの悲痛な悲鳴が、上空から一同の耳にさる。コースケはフグのくちびるにジャケットのえりからられてすべもなく宙にき、今まさにそのえさになろうとしていた。


「コースケェ──────ッ!」じゆうねらっても、親友をってしまいかねないプレッシャーにその手はふるえてしまう。ナッツの指が引き金を引ききれず、思わず目をつぶる、そこへ、

 ず、ばん!

 晴れた空に、赤くなびくかげおどり、コースケをくわえるトビフグめがけて、流星のようにさる。着地ざま、手に持った何かやりのようなものをフグのけんへ突き立て、そのままそのすさまじいりよりよくでもって、尾のほうまで一息にいてしまう。

 トビフグをつらぬいたのは、ナッツ秘蔵の『もり』であった。


『ぼええええええ』


 間のけたほうこうとともに、トビフグの身体がしぼんでゆく。赤いかげはすばやくコースケを背負うと、トビフグの背をってび、再び、テツジンの頭頂部へ着地した。


「サザエ。もりの使い方がわかったか?」ビスコのひとみが強く、どこかやさしくナッツをき、手にしたもりを放りなげてよこした。「おやじの形見なら、なおさら。うらみでかべかためてねえで……さっさと使つかつぶして、あの世に届けてやるんだな」

「あ、あかぼし……!」もりを受け取ってよろけながら、ナッツがおどろく。


こうそくはどうした、てつごうは! かぎは、おれしか持っとらんのに!」


刊行シリーズ

錆喰いビスコ10 約束の書影
錆喰いビスコ9 我の星、梵の星の書影
錆喰いビスコ8 神子煌誕!うなれ斉天大菌姫の書影
錆喰いビスコ7 瞬火剣・猫の爪の書影
錆喰いビスコ6 奇跡のファイナルカットの書影
錆喰いビスコ5 大海獣北海道、食陸すの書影
錆喰いビスコ4 業花の帝冠、花束の剣の書影
錆喰いビスコ3 都市生命体「東京」の書影
錆喰いビスコ2 血迫!超仙力ケルシンハの書影
錆喰いビスコの書影