「俺を縛る気だったんなら、こんなもん、役に立たねえぞ」
陽光に照らされて、ビスコの腕で千切れた、鉄のチェーンが揺れた。
「あんなサビきった格子もな。ま、ガキのごっこ遊びにしちゃ、可愛かったよ」
「な、な、何ぃ!」
「ミロ、弓!」
「はいな!」
悔しそうに歯嚙みするナッツを横目に、ミロはビスコへ向けて、エメラルドの弓と矢筒を放った。ビスコが、ぎり、と弓を引けば、青い空に赤い髪がたなびき、戦旗のように踊る。
「コースケ。お前の地図、見たけどな。ありゃ、欠陥品だぞ」
「え、えっ。そ、そんなはず、ないよ!」
ビスコはそこで少し言葉に詰まり、気恥ずかしさを隠すように、憮然とコースケへ答える。
「……ふりがなが振ってねえんだよ、駅名に。俺は漢字読めねえからな。俺の弓と、お前の情報で、交換だ。凍武白樺線の、駅名ひとつにつき、一発、撃ってやる」
「え、え、えええっ!?」
自分の首にしっかり捕まらせたコースケに、悪童の笑みで呼びかけるビスコ。
「おら、どうした。お友達が喰われちまうぞ。順番に言え。全部、覚えてるんだろ?」
「わ、わ、わかったよ! 白樺線、最初の駅は、えっと、」
同族の死に様を見て、トビフグは一斉に対象を変え、ビスコめがけて食いかかってくる。
「あ、ああ~やばい、喰われる、食べられちゃう~」
「お、思い出した! ひとつめ、狐坂!」
「きつねざか。なるほど」
瞬間、ビスコの放った矢が閃光のように空を裂き、トビフグの身体を貫いた。
トビフグはびくりと痙攣して動きを止め、直後に、身体のそこらじゅうから、ぼぐん! ぼぐん! と。濃い鉛色のキノコを咲かせ、真っ逆さまに地面に落ちていく。
凄まじい重量を誇るキノコ、『錨茸』の毒であった。
「おら、一駅だけか? まだまだ、フグは居るぞ!」
「え、ええと! 二駅め、鏡星、三駅め、杖沖!」
閃光が、二筋。炸裂する錨茸と、地面に落ちてはじけるトビフグ。
「飛成山、亀越、生姜岩、兜橋!」
コースケの言葉に呼応し、ビスコの強弓が次々とトビフグを撃ち落とした。絶望的な大群であったトビフグの群れも、瞬く間に数を減らし、ついには最後の一匹を残すのみとなる。
「さあ、あと一匹だ」
「ちょ、ちょうど、さいごだよ……終点は、子泣き谷!」
コースケの声とともに、一弓。最後の矢で咲いた錨茸がフグを地面に叩きつければ、街のそこらじゅうから歓声があがり、ビスコの技を讃えた。ビスコ本人は、やや退屈そうに首を鳴らしていたが、首もとで目を輝かせるコースケには、悪童なりの笑顔を見せてやった。
「うん。勉強になった、コースケ。……まあ、どうせ、ミロに読ませるんだけど」
「ぼ、ぼ、ぼく、今日のこと、一生忘れないよ……! す、すごかったあ、お兄さん……!」
「もしまたこの先、キノコ守りが、お前の助けを欲しがったら」
ビスコは、興奮に頰を染めるコースケと目線を合わせて、言う。
「助けてやれ、今日みたいに。縁ってのは、そうしてつながっていくんだって……俺の、師匠も言ってたからな」
感極まって、声すら出さずに頷くコースケを、テツジンの喉のところへ下ろしてやって……
ビスコ自身は、そのまま、乾いた風に気持ちよさそうに髪を踊らせた。
「……アクタガワ────ッッ!」
そして、一声叫ぶと、テツジンの頭を蹴って、そのまま空中に飛びだしてゆく。少年たちが息を吞んで見守るそれを、地面から高く飛んだ蟹が抱きとめ、ごろごろと貝砂へ転がった。
「ミロ! 寄り道は終わりだ! 行くぞ!」
「うん!」
駆け出そうとするミロの裾をつかむ、たおやかな腕がある。ミロが振り返れば、プラムの必死な瞳が、縋るようにミロを見つめていた。
「お願い、ここにいて。この街には、あんたが必要なの。みんな、あんたを尊敬してる、あ、あたしだって……してる! だから、ここにいて、もっと、薬のことを教えてよ……」
ミロは、優しい目をプラムと合わせて、その手を取ってやる。
「プラム。この街に必要なのは、僕じゃなくて、きみだ。こんな、うらびれた世界で、人を思ってあげられる、優しい心を持ってる……医術の資質なんてものは、それで、十分だよ」
「ねえ、お願い、名前……。また、いつか、会える?」
「ミロ。猫柳ミロ」ミロは言って、静かにプラムの頰を撫でた。
「きっと会えるよ……僕より、ずっと素敵な人に。さよなら、プラム。元気で……」
ミロはそのまま、ビスコと同じようにテツジンの顎あたりを蹴って空中に躍り、ふたたび跳んだアクタガワに抱きとめられて着地する。そこでようやく、二つの鞍に、いつもの二人が収まることになったのだった。
「ぷはっ! すんごい濃い一日だったね、ビスコ! お腹もいっぱいで、大逆転だよ!」
「最初から言ってんだろ。俺がやることに、ハズレはねえってな」
「さすがあ! あとさ、ふふ! ビスコって、やっぱり子供には優しいタイプなんだね」
「やっぱりってのは何だ。別に普段通りだろ。特に優しいってことはねえ」
「すんごいお決まりの、不良漫画みたいだったよ。こう、目線まで屈んでさあ。もしまたべつの、きのこもりが、おまえの……あっ痛い痛い、悪口じゃないのにぃ!」
「赤星ぃ───っ!」
歩いていくアクタガワの横に、どすり! と、鋭い銛が突き立つ。それはまさしく、ナッツの部屋に飾ってあった、二本のうちの一本であった。
「お。何だよ。結局、寄越す気になったのか?」
ビスコが振り返れば、ナッツが憮然とした面で、ビスコを睨んでいる。
「勘違いすんな、それで、殺そうと思うたんじゃ、ボケ───ッ!」
ナッツの高い声は、晴れた貝砂海によく響く。
「こんの屈辱、忘れんぞ! おれが捕まえるまで、死ぬなよ、赤星──っ!」
「……街を救っていただいてありがとうございますと、どうして言えねえんだかな」
銛を拾い上げれば、いかにも強力そうなそれが、陽光にぎらりときらめく。
「かわいくねえガキだ、全く。ありゃ、早死にするぞ」
「あっははは! 素直じゃないなぁ」
「ほんとによ。…………ん? どっちがだ、おう」
いつになくやかましい飼い主たちの会話を上に聞いて、それでも満腹のアクタガワは、その足で元気に貝砂の海を走っていくのだった。