「うお! なんだコレ!? アホみてえにうまいぞっっ!!」
「コラー! いただきますは!?」
ビスコはそれこそ、子供のように夢中になって、肝汁をよそっては啜り、またよそっては貪り食った。自分の作ったもので喜ぶビスコを見るのはミロにとっても嬉しかったが、とはいえ自分の分の飯まで持っていかれてはたまらないので、競い合うようにして汁をかきこんだ。
晴れ渡る貝砂海の夜は、昼とは違う趣があり、それもまた絶景と言えた。空の星座がそのまま静寂の水面に映り、星々を水の中に宿す。なんだかんだでお腹いっぱいにフグの肉を詰め込んだ二人は、さながら宇宙の中を漂うような、不思議な感覚にしばらく身を任せていた。アクタガワが、わしわしと残ったフグを食い漁る音だけが、平和に響いている。
「……ようやく、このうっとうしい貝の海を抜けられる。どんな化け物が出ても、弓さえあれば撃ッ殺せるけど。この潮風と腹の減り具合は、流石に堪えたな」
「堪えたなんてもんじゃないよ! 僕なんか、こないだまで壁の中にいたのに」ミロは大きくため息をついて、何やら感慨深げに、呟くように言った。「壁の外のことなんて、ぜんぜん、知らなかった……。あんな、大きな生き物とか、自然とか、文明の亡骸みたいなものも。僕一人なんて、風がひとつ吹いただけで、簡単にすりつぶされそうだった……」
「大袈裟言うなあ。心配すんな、この旅で姉貴が助かれば、もとの、都市の暮らしに……」
「違うんだよ、ビスコ!」ミロは暗闇で身を乗り出して、ビスコの膝に触れた。
「そうじゃ、ないんだ。楽しかった……きれいだった、すごく! 景色も、空気も水も、あの、大きなお寺のシャコだって、何て言っていいのか……命の力に、溢れてた! 忌浜の、強い人間が弱い人間を食い漁るような、そういう淀んだ空気と、ぜんぜん、違ってた……。」
「……お前……。」
「あんな、視界を塞がれた街の中で……僕はずっと、何を見てたんだろう? 僕が街に守られてる一方で、さっきの子供達は、知事の黒革に食いものにされて、ひどい目を見てる……」
「バカ。いろいろ考えすぎだ。お前は精一杯、医者としてそこでやってたんだろ。誰にでも限界ってもんがあるんだよ。押し通せる無茶はせいぜい、ひとつふたつだ」
「……ふっ、くく……あっははは! ビスコが、それ言うの!」
ミロは暗く沈みかけた表情をからりと笑顔に変えて、可笑しそうに笑った。ビスコ自身は、相棒が何を面白がっているかわからず、暗闇の中で少し、首をかしげている。
「いずれにせよ、まだ道も真ん中だ。すぐまた、キレイだなんて言ってられなくなるぞ。この湖を抜けてしばらく行けば、もう霜吹県だ。防寒も考えねえと、凍っちまう」
「ビスコ。さっき眺めた感じだと、コースケ君の地図は、本物だよ。たしかに、白樺線の中だったら、まだ動く車両があっても不思議じゃない。うまく駅を見つけられたら、一気にショートカットできるかも知れないよ!」
「うん……。そう思いたいけど、やっぱり子供の話だ。期待しすぎて時間を無駄にするのが、一番、怖い。地下鉄探しはほどほどにして、地上を行くつもりだ。博打より、やれるだけの力をかけたい。俺の、命の力の、続く限りは……」
「……。ビスコ、ジャビさんは……」しばらくの沈黙の後、差し込むように、涼やかな声がビスコに問いかける。「ビスコの、師匠なの? ……それとも、お父さん?」
暗闇の中で、ビスコの表情はわからない。ミロの問いかけを、自分自身に確かめるように……ぽつりぽつりと、言葉を紡いでいく。
「……何だろうなあ。師匠だし、親父だし……でも、ジャビはジャビさ」
夜の中に、緑色の瞳だけが、ぱちぱちと瞬いた。
「俺に、色々教えた……弓だったり、生き抜く術だったり。今でこそあんなひょうろく爺だが、昔は厳しかった。何度も、死ぬような目に遭わされた」
「あの、ジャビさんが?」
「信じられねえか?」ビスコは笑った。「何度も、思ったよ。俺がジジイより強くなったら、真っ先に叩きのめしてやるって。でも、今じゃ、失せちまった、そんな気は。卑怯なジジイだよ、俺が強くなったら、仕事は終わったとでも言いたげに、丸くなっちまいやがって……」
ビスコは一旦そこで言葉を切って、濃い藍色の空をじっと見上げた。
隣のミロにも、何か心中の深い所に想いを馳せている、ビスコの鼓動が伝わってくる。
「ねえ、ビスコ。……ジャビさんは、ビスコのことを、愛して……あ痛っ!」影が、すっと伸びて、ミロの額に見事にデコピンをヒットさせる。
「気味わりいこと抜かすな、ボケ!」悶えるミロを横目に、ビスコは笑った。「……まあ。あんな、クソジジイだが。俺にとっては、一人だけの……そういう、クソジジイなんだ」
わずかに、間を置いて。
「助けたい。」
ミロはビスコの、あまりにも静かな、澄んだ声に打たれた。
これまで意志を全身にたぎらせて、ただ目的へ向けて張り詰めていたビスコの、はじめて見せた、隙、であった。何を言っても、無粋になってしまう気がしたけれど、ミロはそれでも相棒を励まさずにいられなかった。
「助かるよ……ジャビさんは助かるよ、ビスコ。きみは、キノコ守りの一等星で……僕は、医者だもの。君と僕が頑張れば、きっと……」
「それを、お前に言われるとはよォ」
ビスコはそこで、普段の悪童の意気を取り戻して、大声で笑った。そして暗闇の中でミロを向き直り、緑色の両目でしっかりと見据えた。
「当たり前だ。助かる。ジャビも。お前の、姉貴もな」
「ビスコ……」
「もう寝ろ。明日も早いぜ」
ビスコはそれっきり、外套を引っ被って向こうを向き、一言も喋らなかった。ミロは、その星空の下でなかなか寝付けず、ただビスコの後ろ姿だけを、じっと見つめ続けていたのだった。