「誰が、礼なんか。言っても言われても、邪魔なだけだよ。借りとか、縁とか、余計なもんばっかり、付いてきてさ……くしゅん!」
「大丈夫? これ、蜜火酒。ゆっくり飲んで、そう……。すぐに効いてくるよ。……ねえ、僕たちできるだけ急いだのに、きみ、一体どうやって、ここまで抜けてきたの?」
少女はミロの真っ直ぐな視線に、シナを作る余裕もなく俯き、雪原のはるか向こうを顎でしゃくった。その方向に、地面に突き刺さって黒煙を上げる、小型のヘリの残骸が見て取れる。
「あの、ヤドカリ寺にひっついてたヘリを、直したの。そんで、宮城まで向かうつもりが……」ぐしゅん! と大きいくしゃみをして、少女が鼻をすする。「霜吹駐屯地の高射砲に撃ち落とされて、このザマ。荷物も、燃えちゃうし……ちぇっ。ぜんぜん、つまんないや」
「他人を騙くらかして、業の深い生き方してっから、そういう目に遭うんじゃねえのか?」
「他にどうやったら、生きていけたんだ、あたしが?」普段、小狡いばかりの金色の瞳が、この時ばかりは、きっと鋭くビスコを睨みすえた。「何でもやって生き延びた、汚いことも、情けないことも。子供二人に、想像つかないようなことだって! 望んで業を負うわけない。あるべきようにやって、あたしは、そうなんだ……!」
いつもの蠱惑的な振る舞いとは違う、震える声。ビスコは喉まで出かかった悪態を止め、俯くピンク色の髪を見つめた。ミロもその近くに寄り添い、少女の言葉を待っている。
「……でも、なんだかもう、疲れた。……これから先も、人を騙して、人に騙されて、どんどん重たくなってくあたしを、引きずりながら生きてく……そんな、つまんない人生なら、もう、いいかなって。……だから、余計なお世話だって言うんだよ。あんたたちがいなきゃ、キリよく、おしまいにしちゃえたのにさ……」
小柄な身体が小さく震えるのは、寒さのせいか。少女に、優しく自分の外套をかけてやろうとするミロの背後から、ビスコがのそりと歩み寄り……
ぎんぎんに熱した骨炭カイロの先を、そのうなじに、じゅう、と焼きつけた!
「あっぢいいい────ッ!」三つ編みを躍らせて飛び上がったくらげ少女は、呆気にとられるミロの周りをぐるぐる走り回り、にやつくビスコの眼前へ、思い切り怒鳴りつける。
「殺す気か、てめ───ッ! それが、女にやることか──ッ!」
「とりあえず、今んとこは死にたくなさそうだぞ」げらげらと笑うビスコ。
「あんな馬鹿力で俺にしがみついて、死にたくないって叫んだ奴の台詞と思えなくてよ。なんか憑いてんのかと思ったんだけど。違ったか?」
くらげ少女はビスコの言葉にはっと息をつめて、自分の弱気を振り返って真っ赤に顔を染めると、新しいカイロをビスコの手からぶんどって、金色の眼でビスコを下から睨み上げた。
「ちぇっ! パンダくんに、構ってほしかっただけだよ! お前はどっか行けっ!」
「だとよ」ビスコが呆れ顔で振り返ると、ミロは微笑みで返し、アクタガワから降ろしてきた革袋を一つ、少女の前にどさりと置いた。
「僕らも、あんまり備えはないけど……雪具とか、食料とか入ってるから。南に行けば商人キャンプだから、そこで何か必要なものと交換するといいよ」
眼をまん丸に見開き、慌てて懐を弄る少女を制して、にこりと笑いかけるミロ。
「お金なんかいらないよ! きみ、言ってたでしょ。こんな世の中だから、人情が大事だって!」
それで一応の始末はついたと、振り向くミロにビスコが頷き返し、雪の中をアクタガワへ歩き戻ってゆく。その懐から、折りたたんだ古い紙が、白い雪の上にぱさりと滑り落ちた。
「……待ってよ! なんか、落としたよ!」
声に振り返れば、ざくざくと雪を踏み分けて、くらげ少女が憮然と歩いてくる。そして雪にまみれたその古い紙を一度、しげしげと眺めてから、ぐい、とビスコに押し付けた。
「それ。白樺線の路線図でしょ。地下鉄で、北へ抜けようとしたの?」
「まあな。でも、駅を探すにしても時間がねえ。もう探索は諦めて、このまま地上を……」
「知ってるよ、あたしが」
「……何い?」
「白樺線の廃駅。場所を知ってるって言ってんの!」
少女は、驚く少年二人の視線を気恥ずかしそうに受け、つんと視線を逸らす。
「蟹で、この吹雪の中を行くなんて。無茶もいいとこだよ! ……しょーがないなー。ほっといて死なれても、寝覚めが悪いし……」少女は三つ編みをいじりながら、ぼそぼそと言った。
「あ、あたしのこと、信用するなら。案内してあげても……いい、けど……?」
少女の案内に従って1㎞ほど進み、一見何もない雪道をかきわけて、厚く張った氷をアクタガワが叩き割ると、石造りの階段が地下の暗闇へ伸びているのを発見することができた。
「ここが、狐坂駅だよ。一時期は旅商人の間でブームになって、みんな使ってたみたい」
「なんだ、お前は使わなかったのかよ。お仲間は、ここで稼いだんだろ?」
「さあ? その後聞かないから。中で、骨になってんじゃないの?」
少女の言葉に顔を見合わせつつ、ひとまず少年二人が先行し、真っ暗な階段を下ってゆく。吹きすさぶ吹雪こそないものの、やはり刺すような冷たさが空間に漂う。空気はじっとりと湿り、何か苔むした青臭い匂いが、鼻をくすぐってくる。
「こう暗いと、アクタガワが怖がって、入ってきてくれないや」
「うーん。あんまり、明るくするのも良くねえんだが……」
ビスコは懐から、細かい金粉のようなものが詰まった袋を取り出すと、ざっと口に含み、天井に向けて霧のように吹きつけた。ほどなく、小さく発光する橙色のきのこがぽつぽつと生え出し、みるみるうちに天井一面に広がり、覆い尽くしていく。
「うわあ……綺麗!」
天井の小さなキノコから降る光が、駅のホームを照らした。砕け散った床、ひん曲がった時刻表付きの柱などの残骸は散見されたが、意外なほど綺麗な形で残っているのがわかった。
「灯し茸だ。そんなに、光量出ねえけどな」
二、三度、同じように霧を吹いたあと、ビスコは口に残った粉を不味そうに吐き捨てる。
「この胞子。壁に生えるのに、ビスコの口の中は平気なの?」
「コツだよ、こんなもん。俺を誰だと思って…………う。」
げほっげほ、と咳き込んだビスコの口から、びちびちと灯し茸が溢れ、駅の床で光った。
「生えちゃってんじゃん」
「行くぞ」
「コツ摑めてないよね?」
「うるっっせええんだよいちいちお前は! 黙って付いてこい!」
ミロは笑いながら、入り口のアクタガワに手招きし、地下鉄へ呼び込む。くらげ少女も、おそるおそるアクタガワに張り付きながら地下へ降り、二人へ走り寄ってくる。
「ひ、光ってる……! あんたたち、キノコだけで、何でも出来ちゃうんだね」
「万能ってわけじゃねえ。俺にはそれが精々だ」ビスコは答えを返す間に、額のゴーグルを下ろし、洞穴の奥深くを窺っている。「キノコ守りだってそれぞれ得意分野がある、とくに菌術はな。うちのジジイの菌術なんかは、凄いよ。地蔵ダケなんかは、傑作のひとつだろうな」
「ジャビさんの傑作? それは、どんなキノコなの?」
「名前のとおりだ。こう……発芽すると、そっから地蔵みてえなキノコが咲くんだ。それが、まあ、凄い出来でな。毎回、表情も微妙に違うからよ。皆、驚いて……」
「す、すごい……けど。でも、それ、何に使うの?」
「えっ?」ミロの返答を全く予想していなかった、素っ頓狂な声。ビスコは地下鉄の線路に耳を当て、気配を探りつつ、しばし考え込んでいたようだったが。
「そりゃ、お前、お盆とかに拝んだり。……便利だろ、すぐ地蔵が咲いたら」
ビスコはそれ以上の質問をかわすように立ち上がり、さっさと先へ行ってしまった。
「……よくわかんないね、キノコ守りって。賢者なの? アホなの?」
「あっはは! そうだね。ジャビさんや、ビスコを見る限り……きっと、両方だと思うよ」
「……パンダくん、あのさ。」くらげ少女はそこで俯きがちに、ミロに問いかけた。