「赤星のジジイは、もう、長くないんだろ。きみのお姉ちゃんだって、錆びちゃったら、死ぬのは当たり前でしょ。どうして、そこまでして……誰かに、命を賭けられるの?」
「どうして、って……」
ミロは少女の問いかけに、不意を打たれたように考え込み……やがて、言った。
「……たぶん、愛してる、から……っていうのが、ひとつで。二つ目は──」先を言いよどんで、ミロがはにかんだ。「僕らが、すごく……不器用だから……だと、思う!」
「……バカだよ、あんたたち。ほんとにさ……」
ミロは笑って少女の手を引き、灯し茸を吹き散らかして進んでゆくビスコを追っていった。
「……見て、ビスコ! 列車が、たくさんあるよ!」
七、八車線はあろうかという広い線路を歩いていくと、さながら列車の墓場ともおぼしき場所に出た。巨大な地震でもあったものか、列車はいくつも折り重なってお互いを潰しあっており、まるで泣きじゃくった子供が壊したおもちゃみたいな有様になっている。
「興号、俊通、震風……全部、華北製鉄の車両だ」へしゃげた車両の字を読み取って、ミロが呟く。「この手の列車は、セルフサービスで動かせる筈だけど。もし、生きてるのがあれば……」
「おーいミロ。コースケの図が言うにはこの路線なんだが、こいつは動きそうか?」
洞穴の奥から、ビスコの声が響く。声の方へ走り寄ってみれば、比較的綺麗な形で、無骨な貨物列車がきちんとレールの上に乗っている。
「すごい、これなら動くかも! やってみるね……ええと、レバーを規定位置まで入れ……こうかな? 運行サインを出して。運行料金三百円を入れ、赤いボタンを……」
「高えなあ。まあ、仕方な……何、円だァ?」ビスコは懐に手を差し入れながら、思わずミロへ聞き返した。「円なんか、持ってるわけねえだろ! 古銭商じゃあるまいし」
「あー、もう! どいてどいて! 見てらんないよ、まったく!」
暗がりでも目立つピンク髪が、列車に飛び乗ってきた。少年二人を押しのけて懐のバールを抜き、料金ボックスの蓋を一発、ぶっ叩くと、凹んだ蓋を取り外して、中身を見回す。
「やれやれ。めっちゃシンプルな作りだなー。動きゃそれでいいやって感じ。まあ、いじりやすいから、あたしは楽だけど」
「こんな昔の、機械の仕組みがわかるの! きみって本当に、ただの旅商人?」
「ただの旅商人だよ。前職がメカニックってだけ」
少女は手早くボックス内の配線を切り、真っ黒い絶縁ガムみたいなものをくちゃくちゃ嚙んで、伸ばしたそれで付け替えた配線をくるんでゆく。少年たちも思わず顔を見合わせる、慣れた手付き、美しい手際であった。
「これ、プロの仕事だよ……! 前職、って、どこかの企業に勤めてたってこと?」
「……あの頃は、奴隷みたいな扱いだったけど、給料は悪くなかったよ。でも、ある時いきなり、出土したテツジンの補修工事を任されちゃって……」
「テツジン、ってのは、あのテツジンか? 東京に風穴を空けた、その元凶の」
くらげ少女は振り返らずに頷いて、作業を続けながらビスコへ言葉を返す。
「本物か知らないけどね。とにかくそれを復元しろって言われてさ。天下の的場製鉄が、どっかに滅ぼしたい県でもあったのかね? どうかしてると思うでしょ。でも、本気だった。どんどん、工員が錆び死んでって、一番下っ端だったあたしが、現場責任者になる頃に……命がけで会社のエスカルゴ、一台盗んで逃げてきたんだ。……もう、随分前の話だよ」
少女は呟くように言って作業を終え、煤まみれの顔でひとつ伸びをする。そして、先ほどミロが引いたレバーをもう一度入れ直し、料金ボックスの腹を、思い切り蹴り飛ばした。
『どるるるるん!!』
車体全体が震えた。燃料庫の骨炭が勢いよく燃える、ボスボスいう音が聞こえてくる。
「か、かかったっ! すごいよ、ビスコっ!」
「おーい! 来い、アクタガワ! 一気に、秋田まで行けるぞ!」
そこらへんで物珍しそうに、列車を摑んで遊んでいたアクタガワは、ビスコの声にどたどたと走り出す。だんだんと速度を上げる列車へ跳んで、大型の荷台にすっぽり収まった。
喜ぶビスコの横をすり抜けて、静かに列車を降りようとする細い腕を、ミロの手が摑んだ。
「……ねえ、お礼が言いたいのに、まだ名前も聞いてない」
驚いたように目を見開く少女と目を合わせて、ミロが切実に言う。
「僕はミロ。猫柳ミロ。そっちの怖いのが、赤星ビスコ! きみがいなかったら、僕らはここで終わってたかも知れないんだ。ねえ、名前を教えて」
「く、くらげでいいよ。あ、あたし、名前は言わないんだ。いつも、笑われるから……」
「僕らだって、不思議な名前だもん、大丈夫! 絶対、笑わないよ!」
ミロの輝く瞳に射竦められて、くらげ少女は息を詰めて俯き、上目でミロを窺うように、ぼそぼそと言う。
「チ……、チロル。おおちゃがま、大茶釜チロル。……な、名前なんか、しばらく、呼ばれたことないけど。パンダくんが……ミ、ミロ、が、知りたいってんなら……」
「ありがとな、チロル。お前のお陰で助かった」
口を開いたのがビスコだったので、チロルは尚更びっくりして、ビスコと目を合わせた。
「確かに、妙な縁があったから、早く名前を聞くべきだった。旅先でお前がくたばってても、墓に何て彫っていいか、わかんねえもんな」
「うっさい! 先に死ぬのはお前らだよ! 見つけたら二人、上下逆に埋めてやるから!」
「チロル、きっとまた、会おうね!」走り出す列車を飛び降りるチロルに、ミロが叫ぶように言う。「きっと僕ら、たくさんチロルのことを話すよ。友達がどこで何してるかって、いつも想ってる! きっと、元気で! また会おうね! ありがとう、チロル、さよなら!」
「……と、友達、って……」
精一杯に叫ぶミロと、自分を見つめるビスコの瞳を遠く見送りながら、チロルは何かに操られるように一歩踏み出して、自分でも意外なほど声を張り、その声に叫び返す。
「あ……赤星ぃっ! ミロ──っ!」
「あ、ありが…………!」
「…………ありがとう……。」
二人へはもう届かないその言葉を、チロルは、鍵をかけた箱から取り出すように大切に呟いて、自分が確かにそう言ったことを刻むように、ぎゅっ、と小さな胸元を握りしめた。
そして……。
やがて、一時は萎えかけた金色の眼の輝きを暗闇にぎんと光らせて、革袋を背負い、一度だけ線路を振り返って……。チロルはまるで野兎のように、もと来た道を跳び駆けていった。
「焦げ百舌……も、たぶん違う。乾き虫、オニゲラ……ここらへんも、違うだろうなあ」
「何読んでる? 霜吹の物売りから、買ったやつか?」
先に蜘蛛の巣矢で仕留めたウサギを苗床にして、大ぶりの灯し茸が灯り、それの近くへよって、ミロがなにやらぼろぼろの本をめくっている。
「子泣き谷の生態図鑑だって。見てよ、ぜんぶ、手書きで……書いてあることがすっごいアバウトなんだ。ほら、この、『体長』の欄、でかい、としか書いてないし」
先に取引した霜吹商人が、興味を示したミロに、捨てる手間が省けるからとくれたものだった。ミロからすれば、錆喰い狩場の生態系がわかることほど有難いことはなかったが、何だか子供の自由研究みたいな内容で、その信憑性については疑問を抱かずにいられなかったのである。
「……いや。たぶん、信用できるぞ。キノコ守りが書いてるな、これは」
「ええっ! そ、そうか、それなら! でも、どうして?」
「ジャビがそんな図を描く。形式が同じだ。それにその絵……独特の、絵心があるだろ。なんか、アートの心が入るんだ、図鑑なのに。キノコ守りが図を描くと、そうなる」
つくづく、キノコ守りの不思議な人種性に困惑しつつもミロは妙に納得し、その遊び心に溢れたキノコ守りの動物図をまじまじと眺めた。
「東北のキノコ守りが、書いたのかも。キノコの種類が、書いてねえかな? この手の図鑑には必ず書くんだよ、その動物が何の因子を持ってるか。シメジとか、キクラゲとか」
「あっ、あるよ、ある! 右下に、スタンプ押してある! それなら、えっと」
ミロは手早くページをめくって、先ほど目星をつけていた一体の動物のページを開く。ページの右下には、キノコの名前が可愛らしいシメジのキャラクターを添えて書かれている。
「……さびくい。……ひらがな?」