「錆喰い、って難しいだろ、書くの。……なんだその顔は。大体キノコ守りってのはな」
「だとしたら! やっぱり、これだよ! 『筒蛇』……通称、ちくわ虫、双頭のへびをばかでかくしたもの。とぶ。おおきなエサにしか反応せずヘリや戦闘機をよく食べる……」
「うん。助かったな。ジャビからは、そこらへんで一番でかいの、としか聞いてなかったから。現地のキノコ守りの図があれば、だいぶ違う」
進んでいく貨物列車の上でビスコの言葉に頷き、そのアバウトな情報群の中から、少しでも有益なものを拾い上げようとするミロの、開いたページの上に。
べちゃり!
「うわっ!」ミロが叫ぶ。何か、ヘドロのような黒い物体が垂れ落ち、ページを真っ黒に汚した。軟体の物体はその触手を蠢かせ、咄嗟にミロをかばったビスコの顔面へ飛びかかる。
「ごあッッ!」
「ビスコ!」
黒い飛沫が辺りへ飛び散る。ビスコは腰の短刀を閃かせ、自分の顔面を削ぎ払う。
「こいつッ」ぶん、と短刀を払えば、それはべしゃりと荷台の床へへばりつき、ぬめりと蠢いた。その身体に暗闇で黄色く光る眼球がいくつも光り、でたらめにまばたきを繰り返している。
「げえッ、ぺッ、重油ダコだ」ビスコが唸る。
「どこかで巣を通ったな。壁伝いに追ってくるぞ」
トンネルの幅が狭くなるにつれ、次第に周囲の壁が明るくなってくると、壁を覆う暗闇の正体が、闇ではなく、群れに群れた重油ダコのそれだということがわかり、ミロはあまりのおぞましさに総毛立った。列車はそれなりの速度で走っているはずで、それに追いつくほどとなれば、重油ダコの獲物を追うスピードは凄まじいものである。
「跳ねてきたやつだけ狙えッ、跳ねられねえやつは相手にするな」
「ビスコ、僕、弓はまだ……!」
「できるッ!」ビスコは顔に張り付いた真っ黒な油を拭って、ミロを両の眼で見据え、叫んだ。「お前なら撃てる。当たる! 俺にはわかる。お前に、背中を任す!」
「ビスコ……!」
「返事ィ!」
「はいっ!」と、ミロの返答、それを開戦の合図と捉えたか、そこで重油ダコ達は一斉に岩壁から跳ね飛んで、二人へ食いかかってきた。
背中合わせの二人の弓が閃光のように閃き、飛んでくるタコを次々に撃ち落としていく。ミロ手製の蜘蛛の巣矢がまとめてタコを線路へからめ落とし、それでも捉えきれないものが荷車へと張り付くが、ミロが咄嗟に腰のカエンタケ榴弾を叩きつければ、高熱を帯びた煙が残ったタコの触手を捲り上げて地面へ滑り落としていく。
「上出来だッ」ビスコは笑いながら、万力のように引き絞った矢を「シィッ」と一弓放つ。
凄まじい威力の太矢が岩壁すれすれを飛び、重油ダコを何十匹とまとめてこそげ落とした。
一方で先頭車両付近では、アクタガワが縦横無尽に暴れまわり、ハサミを振るってはタコを跳ね除け、むしゃむしゃと食いちぎっている。口から大きな泡をぶくぶくと噴き出せば、粘性のそれに包まれたタコ達が、まとめて車両から滑り落ちてゆく。
ただ、一同の奮戦にもかかわらず、重油ダコの襲撃は止む気配を見せなかった。それどころか、向かってくるタコの数は増え続け、今ではタコの上をタコが這い追ってくる有様である。
「キリがないよ!」
「仕方ねえ、帰り、この道は使えねえが……!」
ビスコは歯嚙みして覚悟を決めると、矢筒からぬらりと糸を引く銀色の矢を抜き、撃っぱなす。壁に突き立った矢は、暗闇の岩壁に次々にキノコを芽吹かせていく。
今度のキノコは、極めて粘着質の粘液を帯びた銀色のキノコで、それがおそろしい繁殖力で瞬く間にトンネルの壁一面に広がったのである。強烈な酸の香りが、辺り一帯に立ち込める。
「うえ──っ! 何、これ!」
「銀酸ナメコだ」ビスコも咳き込みながら、ミロへ叫び返す。「あんま息吸うな! 伏せてろ!」
強烈な酸が、追いすがるタコ達を焼き溶かし、その足を止めた。溶け出したタコはただの重油になって、目玉をぽろぽろこぼしながら線路へ溜まってゆく。あれだけ凄まじい数で襲いかかってきていた重油ダコの群れは、銀色のナメコの壁に阻まれて、遠くなっていく。
「や、やった! もう、追ってこないよ!」
「げぇっ、ペッ。畜生。毎度、ひでえ臭いだ」
ビスコは過ぎてゆく洞穴を眺めてひとつ息をつき、ふと、暗闇の奥に目を留めた。
何か、細長いものが、しゅるしゅると壁を這っている。それらは一瞬の後にその太さを増してぐわりと持ち上がると、しなる鞭のようにして、油断に呆けていたミロの身体を巻き取った。
「う、うわああっ!」
「ミロッッ!!」
ビスコはすかさず弓を引き触手に矢を射るが、その黒く厚く覆われた皮膜の前に、矢は食い込みはしても、肝心のキノコ毒が咬まず、咲かすことができない。巻き取られまいと必死に、荷台のへりに捕まるミロの肩と、締めあげられる胴が、みしみしと悲痛な音を立てる。
「がはっ、あ、がぁっ……!」
ミロの青い眼が、激痛に見開かれる。ビスコの判断は早かった。自らにも襲いかかるいくつもの触手を短刀で切り払いながら、ミロを捕まえる触手へ短刀を突き刺し、それにぶら下がるように摑みかかると、大口を開けて、その触手へ齧り付いたのである。
ビスコの全身の筋肉が限界を超えて漲り、腕と、顎、それぞれの渾身の力で触手を引き千切ってゆく。ぶぢぶぢぶぢ、という音とともに触手はその肉を裂かれ、とうとう二つに千切れて息絶え絶えのミロを解き放った。
「ミロ、アクタガワに頼れッ、子泣き谷を探すんだ、わかったなッ」
「ああっ! ビスコ────ッッ!!」
すでに、他のいくつもの触手に絡みつかれていたビスコは身動きままならず、そのまま水切り石のように地面を跳ね、洞窟の暗闇の奥へと引っ張りこまれていった。
ビスコは線路や壁に何度も打ち付けられて霞む頭を振り、なんとか意識を取り戻すと、暗闇の最奥を目の当たりにした。
太い巨木のような触手の根がいくつも生えそろったその中心に、地獄の釜のように開いた穴がどろどろと粘液を垂れ流し、収縮を繰り返している。穴にはのこぎりのような歯がびっしりと生えそろっていて、そこらじゅうに赤黒い重油ダコの内臓がこびりついていた。
(親玉って、わけか……!)
その重油ダコの大きさは、それまで振り払っていた人間の頭程度のサイズとは、比較にならないものであった。そもそも、そのあまりの大きさから、ビスコが見えるのはその口だけで、トンネル全体にその肉がぎっちり詰まっている状態なのである。ビスコは、その地獄の大釜の前で、左足を摑まれたままぶらりと吊り下げられている。
大蛸は、気絶していたビスコの様子をしばらく窺っていたが、どうやら動かないビスコが死んだものと判断したか、徐々にその口をぐわりと伸ばし、ビスコを丸吞みにしようとした。
(……内臓なら、毒が、咬む!)
ビスコの瞳がぎらりと輝き、背中から弓を抜き放つ。強弓一閃、必殺のベニテング矢が大蛸の口中目掛けて飛び込み、その内臓に深々と突き刺さった。ベニテングの毒は、豊富な栄養に喜び勇むようにして暴れまわり、ぐぼん! ぐぼん! とくぐもった音を立てながら大蛸の身体の中にむちゃくちゃに咲き誇って、その内臓を食い荒らした。