筒蛇の舌にアクタガワを絡め取られて、慌てて自前のシビレダケ毒の矢をその舌に打ち込んだまではよかったが、筒蛇は執念深く、麻痺した舌を大鋏に絡みつかせたままでいる。
ミロはなんとか筒蛇の体表を這いずってしがみつき、アクタガワに絡みついた舌に思い切り短刀を突きたてた。
しかし、分厚く巨大な筒蛇の舌は固く、刃すらろくに通らない。
(このままじゃ、アクタガワが、吞まれちゃう……!)
死線に、ミロの頭脳がきらりと閃いた。腰から銀色に光る薬の管を取り出して、ごくりと唾を飲むと、アクタガワへ語りかける。
「ごめんよ、アクタガワ……すごく、怖いかもしれない。僕を、信じてくれる?」
アクタガワは蟹である。表情など読めはしない。
ただ、いつもアクタガワが、ミロを抱きしめたときにそうするように、ひとつだけ「ポコ」と泡を吐いた。
ミロは頷いて、一度息を吸うと、アクタガワの鉄の甲殻の隙間へ、銀色の薬管を思い切り突き刺した。ほどなく、じゅうじゅうと白煙をあげて、大バサミの付け根が溶け出してゆく。
銀酸なめこの酸性に、重油ダコの粘液を調剤して威力を高めた、特製の溶解剤であった。ミロはすかさず弓を引き絞り、溶け出した大バサミの付け根を狙って、鉄矢を撃ち放つ。
ばづん! と、アクタガワの胴体と大バサミが切り離される。アクタガワは舌の束縛を逃れ、そのままくるくると回転しながら落下し、器用に身体を操って草原に着地した。
(よかった……!)
安堵に表情を緩めるミロとは裏腹に、筒蛇の舌は徐々に麻痺毒から立ち直り、絡め取った大バサミを飲み込んで、その円筒形の胴体の中に収めてしまった。ひとつ仕事を終えた長舌は、ぬらりと粘液をまとわせながら、ミロの眼前へ近寄ってくる。
ミロは、がちがちと鳴りかける歯を必死で抑えて、次の矢を番える。
恐れはあっても、それに吞まれてはいない。顔つきには、かつての甘さのかわりに、凜とした戦士の気風があった。
(ビスコなら……。)ぎりぎりと、矢を引き絞る。この短く、長い旅で、幾度となくと撃ってきた矢を、自らの全てを込めて、放とうとしていた。
(あきらめない。最後の、一弓まで!)
舌が躍り上がり、ミロへと迫る。渾身の一弓をミロがそこへぶつける、その、直前であった。
鉄の杭が板金を突き通すような、凄まじい衝撃が、めぎん! と走り、太い舌を筒蛇の胴へ縫い止めた。呆気に取られるミロの眼前で、その太い鉄杭は舌ごと厚い鱗を貫いて筒蛇の体内へ潜り込み、とうとう巨大な筒蛇をまるまる貫いてしまった。
「あっ……あ……!」
ミロは弓を構えたまま、固まっていた。衝撃を受けた手や頰が、まだ痺れている。そのミロの耳に、地上から、ミロの一番聞きたかった声が聞こえてきた。
「ミロ───ッッ!! 銛を撃ったッ!! ワイヤーで滑ってこいッ!」
ビスコが、その弓に番えて放ったものは矢ではなく、ナッツの『銛』であった。矢では、ビスコの膂力を伝えきれずに筒蛇の鱗に負けてしまうところ、銛の重量と貫通力にその筋力の全てを込めたのである。まさに常識はずれの、凄まじい一弓であった。
「な、なんだ、あの弓は……っ!」パウーは単車を巧みに操りながらも、驚きを隠せずに、筒蛇を突き通した銛を見つめている。「銛を、撃ったのか! 何故、弓であんなものが撃てる!?」
「撃てると思うからだ、カタブツ」ビスコはこともなげに言って、銛から伸びるワイヤーを自分へくくりつけた。「ミロ、谷に潜られたら終わりだッ、早く来ぉいッ」
「わかったよっ、今、行くっ!」
ミロはワイヤーに捕まり、風に煽られながらも、素早く滑って降りてくる。
「ああ、ミロ……!」パウーにわずかな安堵が生まれた、その瞬間。
双頭の一つを封じられた筒蛇が、空中でいきなり、身体を振り回すように体勢を変える。そして空中に躍るミロへ向かって、その空洞のような大口で食いかかったのだ。その、あまりのスケールの大きさに、人間達は為す術もなく、空中を振り回されるしかない。
「ミロ! 絶対、手ェ離すなッ!」
くねる身体にワイヤーをぶん回され、ビスコの身体が単車から浮く。玩具のように空中を振り回されるミロとビスコ、その二人へ、鞭のようにしなる筒蛇の舌が襲う。
二人を庇うように跳ね飛んだパウーの鉄棍が、筒蛇の舌を捉えるも、鉄棍は強引に絡め取る舌の力に負けてパウーの手を離れ、その大口に飲み込まれてしまう。筒蛇は、ぶうん、と頭を振ってパウーを撥ね飛ばし、返す刀で、宙を舞う少年二人をすっぽりと飲み込んでしまった。
「が……あっ……!」パウーは地面に打ち付けられて咳き込み、空を舞う筒蛇を見上げる。そして悠然と空を泳ぐ筒蛇の姿から目を逸らし、声にならない嗚咽を漏らす。
そこに。
「ぼおおおおおおお」
巨大な咆哮。それが、どうやら筒蛇の悲鳴であることに、パウーは気づく。次いで、
ぼぐん! ぼぐん!
宙を飛ぶ筒蛇の身体のあちこちから、巨大なキノコが生え出し、筒蛇の身体を貫いた。筒蛇は空中でのたうち苦しみ、徐々に高度を下げて滑空してくる。
その、筒蛇の頭頂部から、何か長いものが突き出し、皮膚を一文字に引き裂いた。
パウーの、鉄棍である。
「ミロ!」
筒蛇の皮膚を引き裂き、ずるりと粘液の中から現れたのは、ビスコとミロである。二人は筒蛇を突き破った鉄棍を摑み、お互いを支え合うようにそこへ立って、声を合わせて叫んだ。
「「アクタガワ────ッッ!!」」
声に応えるように、大蟹が谷の間から飛び出し、猛然と走ってくる。二人が空中へ飛ぶのと、筒蛇が力尽きて地面に激突するのはほとんど同時であった。空中を舞う二人を、飛び上がったアクタガワがその身体を抱え込んでぐるぐると転がり、あわや谷の直前でようやく踏みとどまると、アクタガワを追いかけるように崩れる谷の淵をようやく振り切って、さすがのアクタガワも力尽きたようにそこへ転がった。
「ミロ───ッッ!!」
パウーは怪我によろめきながらも大蟹の元へ懸命に走り、愛する弟を抱え上げた。ミロの身体は筒蛇の体液にまみれてこそいたが、健康そのものに鼓動を脈打たせていた。
「ミロ、ああ、ミロ! よく、無事で……」
「見て、パウー!」
ミロは、自分のことなどなんでもないというふうに、姉の手を引いて立ち上がり、遠くを見つめるビスコの隣へ並んだ。ビスコの視線の先には、大口を開いた谷に橋をかけるようにして、巨大な筒蛇の死骸が横たわっている。
「ビスコ! これって……!」
「《錆喰い》、なのか、これが……!」
そしてその長く滑らかな筒蛇の胴からは、眩しいまでに橙色に輝く、巨大なキノコの群れが生え揃い、今尚すくすくと伸び上がっている。それはさながら、白い地平から太陽がいくつも昇ってくるような、あまりにも荘厳な光景であった。
三人は、そのこの世ならぬような眺めに圧倒されて、怪我の痛みも忘れ、しばらくその場に立ち尽くしていた。