錆喰いの鮮やかな橙色は、青を基調とする子泣き幽谷において、荘厳なコントラストを作り出している。ビスコ達三人がそれへ近寄れば、肌に感じるわずかな温度が、錆喰いが微量の熱を帯びていることを伝えてくる。
「これが、錆喰いか……! その、あらゆる錆を喰い消すという……」
「そうだよ、パウー!」
呆然とそれを見上げる姉の手を取って、ミロが喜びいっぱいに声をかけた。
「僕ら、とうとうやったんだよ! これで、パウーを治してあげられる!」
「……? そのはず、なんだが。妙だ。何かおかしい」
ビスコは一度、舞い散る胞子の香りに首をかしげた後、傷だらけの身体も気にせず筒蛇の身体をはねとび、高く伸び上がった錆喰いの一房をちぎって、二人の前に落ちてくる。そして、まじまじとその橙色のキノコを眺めると、その傘に齧り付いた。
「……。だめだ。やっぱり、弱い」
「弱い……? ビスコ、どういうこと?」
「錆を喰う力はどのキノコにもある。それが群を抜いて凄まじいから、《錆喰い》なんだ。こいつは、錆を喰う力も、ついでに味も……そこらへんの、松茸と変わらない」
その錆喰いの一房をミロへ手渡し、ビスコは筒蛇に咲いた錆喰いの森を睨んだ。
「そ、そんな……僕ら、あんなに、苦労して……」
錆喰いを手に、ミロの表情が曇る。あれだけの大立ち回りが無駄骨では、さすがの意気も萎えようというもので、無理もない。一方でビスコを見ればその表情は険しく、ジャビの死期を思う焦りが一層燃え上がり、彼を焦がしていることは明白であった。
「外れだったんなら、それだけのことだ。陽が沈むまでもう少しある、次の獲物を探す」
「馬鹿を言うな、赤星! 我々の誰一人としてまともに動けん、お前も血塗れではないか」
「時間がねえんだ。ボロボロのお前らに無茶はさせない。俺一人で行って……」
「一番、ボロボロなのは、ビスコじゃないかっ!」
歩き出そうとするビスコの襟首をひっつかんで、強引に自分を振り向かせるミロ。
「そんな身体で、あんなのの相手をしたら、間違いなく死ぬよ! いつも心配ばっかりさせてっ……自信過剰も、大概にしろよっ!」
「ここまで来て、無駄足で終われってのかッ! 離せ、バカ野郎ッ!」
ミロの手がビスコの血でぬるりと滑り、ミロは勢い余って草の海に倒れこむ。唇を嚙んでビスコを見上げるその手の内に、何か煮え立つような脈動を感じて、ミロは飛び上がった。
「ビ……ビスコっっ! 待って! 錆喰いがっ!」
振り返ったビスコは、そこでびくりと足を止め、ミロの手に握られて、火の塊のように発光する、橙色のキノコに視線を釘付けにされた。
「……何だ、こりゃ!? さっきの、キノコだよな?」
「うん。……そうか……! ビスコ、血を貸して」
ミロは言って、ビスコの首筋を伝う赤い血を掬うと、それを錆喰いの傘へ数滴、垂らした。
「やっぱりだ……見てよ、ビスコ!」
ミロの手の中にある錆喰いの、ビスコの血が塗られたところだけ、錆喰いの傘はその橙色を燃えるように明るく光らせ、その模様を渦巻くように変化させ続けている。
素人目にも一目でわかる、キノコの『変質』であった。
「何だこりゃ……俺の血を、吸ったのか! どういう手品だ、ミロ!」
「話はあとだよ。ひとまず、向こうの洞穴に避難しよう。ビスコの手当てをしなきゃ……筒蛇の牙に、背中を裂かれたでしょう。ほんと、立ってるのが、不思議だよ」
「何を、眠てえこと言ってんだ、ボケ! 今、目的のブツが、目の前にあるって時に……!」
「治療が先。言うこと聞かないと、これ、捨てるから」
「わあああかったわかった! うわあっ、本気で捨てようとするなァッ!」
安堵するように息をつき、笑顔で自分を手招きする弟を見て、パウーも笑みで返す。
それは、弟の確かな成長への安心感と、何かその、隣の赤いチンピラへの嫉妬のようなものをないまぜにした、パウー自身にも説明のできない、不思議な表情であった。
「忌浜を出るときに、ジャビさんから聞いた話がある。錆喰いは、ただ咲いただけじゃ、錆喰いたりえなかったって」
「何い……? 俺は、聞いてねえぞ、そんな……」
「こら、動くなってば!」ミロの叱責に、しつけられたドーベルマンのごとく黙るビスコ。
「昔、錆喰い狩りのとき、何人かキノコ守りが亡くなったんだって。ふつうは風葬にするんだけど、その人達は損傷が激しかったから、錆喰いの苗床にしてあげようとして、錆喰いを周りに植えた。そして、数日経って、最後のお別れをしに行ったら……」
「その、錆喰いが、変質していたと?」
パウーに頷き、ビスコの包帯を巻き終えるミロ。
「それがジャビさんの言ってた、錆喰いの話。キノコ守りの間では、英雄の死に際の祈りが霊薬を生んだ、ってことになってるけど……」
「そのカラクリが、血の調合、だと。お前は思ったわけだな。事実、そうだった」
「それも、僕らの血じゃだめなんだ。キノコ守りの血には、不思議な因子がある……ビスコも、ジャビさんもそう。僕らの血と違って、誰にでも輸血できるし、血を受けることもできる」
ミロは、少し痛む心を殺して、ビスコの首筋に注射器を当て、その血を吸い取った。薬管になみなみと注がれたビスコの血は、その生命力を誇示するかのようにドス赤く光っている。
「なるほどな。その理屈はわかる。じゃあなんでジャビはよ、俺にその話を黙ってた? これから取りにいくモンの正体も知らねえで、ずっと一緒に旅してたのかよ」
「だって、キノコ守りの血の秘密は、僕が突き止めたんだよ。もし、昔話のとおりにしようと思ったら、ビスコ、人の一人ぐらいさらって、生け贄にしてたでしょう」
「何ぃ! 俺が、そんな真似……!」
「するから、人喰い茸の赤星、なんではないのか?」
「メスゴリラは、語尾にウホってつけろや!!」
ぶつかり合う筋肉体質同士の視線をよそに、ビスコから採取した血液を、真新しい錆喰いに、慎重に注射するミロ。するとほどなくして、錆喰いは火の粉のような胞子をやわらかく噴き出し、その全身を燃える薪のように赤く光らせる。傘のマーブル模様は銀河のように渦を巻き、薄暗いはずの洞穴を、あっというまに、昼のように照らしてみせた。
「っ、す、すごい……っ!」
ミロのみならず、一同がその威容を、固唾を吞んで見守る。まさに、この世界に隠された秘密、秘宝のようなものを、目の当たりにしているという感覚であった。
ミロは呆然としかける自分を慌てて奮い起こし、用意してあった調剤機に燃えたぎる錆喰いをしかける。ほどなく、錆喰いは強化ガラス管の中で溶け、輝く橙色の液体になってゆく。
「この、謎解きのような、錆喰いの製法……間違いなく、意図的に仕組まれたものだ。不可思議だが、効果的な技術・薬学。キノコ守りは、やはり世間が言うような、ただの野蛮人ではない。むしろ、救世の科学の徒、と言って言い過ぎではないかもしれん」パウーは乾いた唇を親指の爪で搔きながら、しっとりと呟き、そして目線をビスコへやる。「それもこれも、こんな赤猿が世間で暴れまわっていなければ、いらん誤解が広がることもなかったものを」
「何だとォ、てめえ……! てめえの頭の硬さを、棚に上げて……っ」
痛みに顔をしかめるビスコを、慌てて助けるミロ。
「ちょっと! 喧嘩しないで! 二人とも、重傷なんだよ!?」
「おめーもぼさっとしてねえで、もっと血を抜けよ! 何本も作っといて、損ねえだろ!」
「バカ! それ以上抜いたら、ビスコが死んじゃうよ! そんなの、本末転倒だろ!」