「血の気が多いってよく言われる。もう一本ぐらい平気だ」
「絶っっ対、だめ!」
やかましくビスコと話す弟の横顔は、自分に見せるいつもの顔とはまた違う、生き生きとした輝きに満ちていた。まるで、少年が、たくましく強い父を仰ぎ見るような。かと思えば、母親が、元気が過ぎる息子を心配するような。それらを併せ持つ、憧れと愛情の入り混じった感情を、どんな言葉より雄弁に物語っている。
(好き、なんだな。彼が)
言葉には出さなかった。寂しい気持ちと、なぜか、不思議と安堵するような気持ちが、同時にパウーの中に湧いてくる。
ビスコの顔を改めて眺めれば、いかにも狂暴そうな犬歯の覗く顔に、片目を囲む赤い刺青。どう考えてもカタギでないその風貌にはしかし、潑剌とした生命力が満ちている。先の、筒蛇戦で見せた神域の一弓が、この少年の、何物も貫く意志の強さを象徴していた。
(人喰い茸の、赤星、か)
口の中で呟いて、立ち上がるパウー。
「パウー、どこへ行くの? まだ、夜はあぶないよ」
「単車の手入れをしてくる。こっぴどく傷んだが、まだ動くからな」
「単車の手入れができるメスゴリラとは、さすが大都会忌浜、珍しいもん飼ってるぜ」
「はっ! 弓の撃てるサルほどではない」
「言ったかてめえコラァァ──ッ!!!」
「やめなって───っ! うわ、血ぃ噴いてるから、ほらぁ!」
パウーが笑いながら洞穴を出ようとした矢先、太いハイビームがカッと夜を裂き、巨大な筒蛇の亡骸を照らした。途端に強くなった風が草を薙ぎ、千切り飛ばすほど強く踊らせている。
「何だ、こりゃあ! てめえ、自警の差し金か!」
「そんな筈が、あるか! ……見てみろ、軍用生物重機だ。こんな、巨大な……」
走り寄ってきたビスコへ、目を細めてパウーが返す。目をこらしてみればそれは、巨大に飼育したエゾアンコウに各種装甲・兵器を取り付けた、通称フライファットと呼ばれる、大型の魚型航空重機である。
「宮城軍事基地のものか……? あんなものが、どうしてここに!」
「はじめましてだな、赤星ィ」大型機の拡声器から、パウーには聞きなれた声が響く。
「道中、動向を探ってはいたんだが、どうしても、お前を殺すチャンスがなくてな。困ったよ、正直。正面きって勝てる相手じゃないし。どうしよう、どうしよう……と、迷っているうちに」
フライファットの上部ハッチが開いて、漆黒の瞳の男が顔を出した。風に煽られる帽子を必死で押さえながら、拡声器を持って続ける。
「いや、優柔不断が、いい結果に繫がるってこともあるんだな。まさか、伝説の霊薬、錆喰いにお目にかかれるとは。生きててくれてよかったぜ、人喰い、赤星」
「何だァ、てめえは……」
ビスコのエメラルドの瞳が細く歪み、黒革の漆黒のそれと嚙み合って、ぶつかりあう。
「見たことあると思えば、忌浜の、知事だな。どうして俺の居場所がわかった! コソコソ、てめえの手駒に、尾けさせたか!?」
「バカ言うなよ。お前の旅路を尾けさせるなんて、八甲田山を裸で行けって言ってるようなもんだよ。うちはただでさえ、人手不足なんだからな」言いながら黒革は、とうとう風にふっとばされた自分の帽子を悲鳴とともに見送り、ひどく残念そうに続けた。「列車を使っただろうが。運行記録がよ、送られてくんだよ、県庁にはな。何十年も動いてなかった路線から急に信号がきたら、そりゃ、お前の線を疑うだろ」
「ビスコ、パウー!」駆け寄ってきたミロが、ビスコの袖を引く。
「洞穴の奥に隠れよう。特務隊相手なら、僕ら三人。負ける相手じゃないよ!」
「でも、奴ら、錆喰いを!」
「そうそう、そのまま奥に引っ込んでてくれよなー」
黒革の間延びした声が、子泣き幽谷に響く。
「おれは二兎を追うことをしない主義だ。なにしろこれだけの量の霊薬だからなあ。中央政府にも、かなり媚びが売れるだろ」
黒革の言葉と同時に、フライファットから図太いアンカーが幾筋も発射され、筒蛇の体に突き刺さる。錆喰いの森と化した筒蛇は、そのまま徐々に宙へ浮き上がってゆく。
「くそッ、やらせるか、この野郎ッ!」
「ビスコ、危ないよっっ!」
堪えきれずに飛び出したビスコを、フライファットの機銃が狙い撃つ。
ビスコは山狗のごとき身軽さで跳ね飛んでそれをかわし、フライファットの眉間目掛けて、引き絞った強弓を撃ちはなった。矢は狙い違わず巨大な魚の眉間を捉え、そこから爆発的にキノコを咲かす……はず、だったのだが。
「……!? 毒が、咬まねえ!」
フライファットの眉間には、赤い傘のキノコがわずかに咲くも、ほどなく黒く変色し、枯れ腐れていってしまう。どんなものにも咬む、ビスコ必殺のキノコ毒が通用しないのは、人工物相手にはこれは初めてのことであった。
「うへえ。あんだけ抗菌加工して、あやうく咲くとこだ。何発も喰らえねえ。危ないよ、赤星……やはり、怖い。お前を相手にすると……震えが、止まらねえ」
黒革はぶるりと一度身体を震わせて、操縦席のウサギ面に声をかける。
「おい、いつまで撃ってんだよ。引き上げろ。ポロポロ落ちてんじゃねえかよ、錆喰いが」
「知事! 赤星は弱っているはずです。ここで仕留めておけば、後続の憂いが!」
「……そうやって、キノコ守りを、侮ると……」黒革の言葉が終わらないうち、真っ赤な矢が凄まじい威力で強化ガラスを突き破り、ウサギ面の頰を掠めて操縦席のシートへ突き刺さった。発芽するキノコが、ウサギ面をその勢いで弾き飛ばし、割れたガラスからはるか谷底へその身体を放り出してしまう。
「そうなるというんだ……バカが」黒革は落ちてゆくウサギ面を見送ってシートのキノコを払い、自ら操縦桿を握ると、機銃をばらまきながら、フライファットを大きく旋回させる。
「また会えるよな、赤星ぃ! こりゃ、誓いの指輪だ!」
去り際、黒革の構えた拳銃から硫黄色の弾丸が飛び出し、ビスコを襲う。度重なる怪我で、機銃をかわすのが精一杯のビスコの脇腹に、その黒革の弾丸が、深々と食い込んだ。
「ぐ、がァッ!」
「ビスコ───ッッ!」
姉の制止を振り切って飛び出すミロ。悔しさに歯を嚙み締め、目を見開くビスコの脇腹には、おびただしい流血と、粘着質の硫黄色の毒がこびりついている。
「野郎、錆び弾を……!」咳き込んで、血を吐くビスコ。錆び弾とは、文字通り錆を凝縮した毒弾で、被弾箇所から人を錆び腐らせる、外道の弾丸である。
「ああ、こんな傷が、また……ビスコ……!」
涙目で自分へ縋り付くミロ越しに、ビスコ自身は、奪われた錆喰いと、黒革の黒い瞳に想いを馳せ、飛んでいく大型機を延々と睨み続けていたのだった。
「ねえ、本当に、ここで打っていかないの?」
単車にまたがり、エンジンを吹かすパウーを、ミロが心配そうに見つめる。
錆喰いアンプルは、奪われた際に溢れた錆喰いの残りを集めて、ようやく二本分が調剤できた。ジャビと、パウーの分……本来であれば、目的達成というところだ。
そして、ジャビの寿命が尽きぬうちにアンプルを届けられるのは、忌浜自警所有の高速道を使用できる、自警団長のパウーしかいない。