錆喰いビスコ

13 ①

 雲間から陽がして、チョコレート色のあざやかなどろを照らした。

 わたす限りのぬまのあちこちには、こけむした岩が顔を出し、その上を青々とシダがって、ささやかな花をつけている。

 きたしもぶき湿しつたいは、しもぶき中央部にれる吹雪ふぶきの磁場からのがれて、かくてきおだやかな気候を保っている。永久とこしえの冬からのがしもぶき帰りのぎようしようにん達は、この羽虫のおどる一面のぬまを見て胸をなでおろすというのだから、聞く人間によっては、面白おもしろい話といえる。

 そこに。

 だおれた旅人のなきがらが、ひとつ、している。うつぶせにたおんだ身体はその大半をどろおおわれてしまっており、その表情をうかがることはできない。時折起こる静かな風に、思い出したようにがいとうがはためくだけである。

 ざばり、と、どろを泳ぐようにして、一匹のぬまブタがなきがらに近寄った。用心深く、その半身はどろの中にめたまま、せわしなく鼻を動かしてなきがらにおいをいでいる。やがて、もう一匹のぬまブタがどろけてがり、おたがいをけんせいしあいながら、ものの周囲を周りはじめた。

 一匹のするどきばが、ふとしたひようなきがらうでに引っかかり、その肉をうすいた。しゆつしたピンク色のぼうから、真っ赤な飛沫しぶきが飛び散り、ぬまに似つかない血のかおりが、いつしゆん、そこにふわりとただよう。

 そこでとうとうえたぬまブタ達は、一様に大口を開けてなきがらを食い千切りにかかった。

 どろう。

 食いついてきたぬまブタのきばをひっつかんで、なきがらおどがった。

 ぬまブタの重いはずの身体が、綿のように宙をう。ぬまブタの身体はそのままぐるりとえがき、手近にあった岩にかなづちのようにたたろされ、その頭をしたたかに打ってこんとうしてしまった。

 ブギィーッ、と、ぬまブタの悲鳴がひびく。はんきようらんになりすもう一匹へ向かって、なきがらだった少年が、すばやく背中へ手をばす。

 短弓が、ずらりと、少年の背からはなたれた。ぎりぎりとしなやかに、しかし力強く引かれる矢のその向こうで、青い眼がきらりと光った。


「しッ!」


 少年は短く息をいて、放つ。どろもぐろうと、ぬまブタがいつしゆんんだそのすき、そのどてっ腹に、空色の矢がせんこうのようにさった。ぬまブタはそのままどろの上をごろごろと転がってゆき、ぼぐん! と音をたてて、れつした。少年の放ったキノコ毒の矢が、ぬまブタの全身にまたたに回り、その肉をなえどこにして、真っ赤なかさほこらせたのである。

 少年は、矢を放った姿勢のまましばらく静止していて、鼻をひとつ「ず」とすすった。そうして、顔のどろそででぐいとぬぐって、そのパンダ顔に、元気いっぱいの笑みを見せた。


「やった! 二匹!」


 だにを出て数日。旅は結末の見えぬまま、じよじよにその終わりを近づけている。

 旅を始めたころと比べて、ミロの成長は目覚しいものがあった。弓、かにり、自然術、そのいずれも元より才覚を備えていたであろうかんの良さである。加えて、もともと持っている医術の才が、キノコ守りの中でもけつしゆつした戦士へとミロをへんぼうさせていた。


「これなら……かなり、ようがつくぞ。最近は、野菜ばっかりだったから……」


 ミロはったぬまブタをつなしばり、きよてんとしている旅小屋へ引きずっていく。ゆうこくからの帰り道では、細々と植物などを食いつなぐばかりで、ロクな栄養が取れなかったため、やっと相棒にようのあるものを作ってやれる、というのが、ミロの当面一番の喜びであった。

 ビスコの傷は、悪い。

 外見にほとんどその様子は見えないが、それはビスコのきようじんな意志力によるもので、ただでさえじゆうしようだった重油ダコ戦の後、つつへびからミロをかばってきばで背中をかれており、そこからつつへびの持つこうせいの毒がみて、今もビスコのはらわたをむしばんでいる。

 その上、くろかわ土産みやげのように放ったびのだんがんも、ったあとの傷口をさびむしばみつづけていた。動くたびに、相当の苦痛が彼の中にうずいていることは、側で旅をともにしているミロにも、痛いほどに分かる。

 ミロが料理をこしらえるたび、ビスコは美味そうに食ったが、夜中にミロに気付かれないように起き出しては、そこらで血混じりの飯をいた。ビスコにきたえられたミロのえいびんな感覚は、いやおうにも目を覚ましてそれを感じ取ってしまい、そのたびに胸をけられ、医者としての自分の無力を思い知らされるのだった。


退たいくつしてるかな。また、けてなきゃいいけど)


 ミロはゆうこく以降の旅路で、ビスコの身体の負担になるような作業は一切、させなかった。りや、キャンプの安全の確保、アクタガワの世話も自分でこなし、ビスコには一日四回のりようも欠かさない。

 流石さすがに、何もさせないというのもかえってストレスになりそうなので、ビスコには自分の調ちようざいを与え、ジャビが教育を断念したアンプル調ちようざいの基本を教えている。ビスコは算数ドリルを前にした小学生のようにそれをいやがったが、「一流のキノコ守りはみんなできるって聞いたけど」とミロがあなどるように言ってやれば、ムキになって調ちようざいの勉強にかかったりするし、ミロもビスコのそうじゆうは慣れたものであった。

 実際、ビスコとて、毒専門とはいえきんじゆつの達人ではある。

 さびいの調ちようざい自体は、ミロが突き止めた調合式(ほぼ、ひらがなで書いてあげている)をなぞって真面目に学べば、簡易なものなら習得できる技能のはずではあった。


「ただいま。ビスコ、ブタを二匹も取ったよ! 今日は、ぶたにできるよ」


 できるだけ元気な笑顔を作って、旅小屋をのぞむミロ。そこに、相棒の姿はない。手洗いや、物置をのぞんでも、気配はなかった。


(……まさか、留守に、ねらわれて……!)


 さあっ、と、自分の血の気が引いていくのがわかる。

 ぬまブタのつなを放り出し、はじかれたようにそうとする、ミロの背後から……


「おいおい。また行くのか? 二匹りゃ十分だろ」

「……ビスコ!」


 アクタガワの背にられて、ビスコがひようけするほど元気そうに現れる。

 一方でアクタガワには、いつもの冷静な彼に似つかわしくなく、ぜんとむくれたふんが(かにといえどいつしよに過ごせばそれぐらいの空気はどうやらわかるもので)ただよっている。


「こいつよー、ぬまガニのメス見つけて、勝手に走ってっちまって」


 ビスコは可笑おかしそうにげらげら笑うと、アクタガワの頭をはたいた。


まんおおばさみがねえから、フラれてたよ。ひやくにんりのアクタガワさんも……くく、さ、流石さすがに、短小バサミじゃ、おなごはつかまえられませんかあ」


 そこで、アクタガワにもビスコのちようしようが伝わったらしく、再生しかけの大(中?)バサミでビスコをひっつかむと、ミロの後ろのどろまりへと投げ捨てた。ビスコは笑いながらどろはらって、ふと、笑いもせずに自分を見つめるミロをかえった。


「……あんなに、身体を動かしたら、だめって! 言ったのに! どうして、言うこと聞けないんだよ!」

「なっ、何だよお前。しょうがねえだろ、アクタガワが勝手に動いたんだ。第一、あんな理科の実験、三時間も四時間もやらされてみろ。身体の前に、のうくされちまう」

「……心配、したんだよ、ビスコ」ミロは上目がちに、うらめしげな視線をビスコへ投げた。


「……どこかに、行っちゃったのかと思って……」

「あ──ん?」



刊行シリーズ

錆喰いビスコ10 約束の書影
錆喰いビスコ9 我の星、梵の星の書影
錆喰いビスコ8 神子煌誕!うなれ斉天大菌姫の書影
錆喰いビスコ7 瞬火剣・猫の爪の書影
錆喰いビスコ6 奇跡のファイナルカットの書影
錆喰いビスコ5 大海獣北海道、食陸すの書影
錆喰いビスコ4 業花の帝冠、花束の剣の書影
錆喰いビスコ3 都市生命体「東京」の書影
錆喰いビスコ2 血迫!超仙力ケルシンハの書影
錆喰いビスコの書影