錆喰いビスコ

15 ②

 ミロの右手は、くろかわのどの寸前で、うでごとこおったかのように止まっていた。たきのようなあせと、口からあふれる血をあごからぽたぽたとこぼしながら、ミロは全身の力を突っ張るようにして、うでに込める。それでも、短刀はあと一歩のところで、くろかわのどへ届かない。


(……何、か、毒を……!)

いとだけ……というキノコがあって」くろかわは静かに、ミロの見開いた目をやや冷めた目で見つめながら、言う。「名前通りのキノコ毒だ。お前の筋肉に根を張ったきんに対して、オレの脳にめたチップが電気信号を送ると、思考を反映してその通り動く……オモチャみたいにな」


 くろかわが、何気なく取り出した小さなたんまつをいじると、ミロのみぎうでじよじよに降り、やがて自らののどへ切っ先を突き当て、わずかに血をこぼした。


「う……あ……!」

すさまじい技術だろ? だれめてくれないが……。そこに転がってる、オレのごまもこれで作った。こんな便利な技術を、あの、キノコ守りどもはほうだと言って認めなかった」


 くろかわはミロへ向けてたんまつをひらひらとり、何か考え事をするように部屋をうろつき回る。ストーブがこつたんを燃やす音と、ミロの小さくあらい息だけが、部屋にしばらくひびいていた。


「……ねこやなぎ」やおら、くろかわはぐいとミロのあごつかみ、その顔をのぞむ。「お前を尊敬するよ。オレから腹を割ることにする……まず、オレは、本当を言えば、さびいの薬効などというものには、興味はない。ただ、ひとめは、したいんだよ……。今、日本中の行政機関が、何の収入を当てにして予算を組んでるか、きみ、わかるか?」

「……っ」

「そうだ。政府支給の、サビツキアンプルだよ……。世界と金は、びた人間の、延命への欲求で回っているんだ。そこへ、君の作る夢の新薬が現れて、あわれな人々を救ってしまったら……。オレのような、うましるを吸って生きてる悪人どもは、どうなる? 困っちゃうよな? 当然ながら」

どう……!」

「よーしよし元気がもどってきたな。そうでなくてはつまらん」くろかわは、話の中でじよじよいかりをもどし、痛みを殺してもがくミロを見て、うれしそうに「くく」と笑った。


「本物のさびいアンプルがオレの手にあれば。オレも中央政府のごま、便利な悪徳知事ってだけじゃなくなる。さびいによって、いみはまが、政府と同等以上のこうしようりよくを持つことになる……。いや、すまん、退たいくつだよな? 仕事の話は。まあいい。この際、あかぼしの首はかんべんしようじゃないか……。ひとつだけでいい、教えてくれ。さびいは、どうやって、変質する?」

「根こそぎ、くす、つもりだな……!」

「聞いたことだけ答えろッッ! でなきゃ生きたままぶたに食わす。言えッッ、ねこやなぎぃッ」


 ミロは歯を必死で食いしばり、ふるえかける身体をおさえて、ありったけの意志を込めてくろかわにらんだ。やや青ざめたミロの表情は、それでも決然と、死に向かっておのれささげるような、せいれんな気風に満ちている。

 それが、くろかわの、げきりんれる。


「姉貴と、同じ顔を、しやがる」それまで、ゆうくずさなかったくろかわの口元が、いらたしそうにひん曲がる。くろかわは、自分の弓を構えて、ぎりぎりとミロの頭へ向けてしぼった。


「では、人形になってもらうか。のうに毒をませれば……案外、うまくしやべるかもしれん」


 ミロは口を結び、矢をえる。自分の生き様が、ちがったとは思っていない。ひとつだけ……大切な友達と、あんな別れ方しかできなかったこと。それだけが、心残りであった。


(ビスコ……)


 最後に、できるだけ、ビスコの姿をおもえがこうとして、ミロは目を閉じる。

 ずがん!

 ごうおんひびき、かべをぶち破って、何かが一直線に部屋をつらぬいた。

 それは放たれたくろかわの矢を横合いにって、かべに備え付けのストーブに風穴を開け、外から吹雪ふぶきを部屋に呼び込んだ。

 ごうきゆうである。

 そして、そんな矢を放つ人間を、ミロもくろかわも、一人しか知らなかった。


「お前が、ミロにもういつ放つ前に」


 くずれたかべやぶって、ぬう、と、あかがみの男が部屋へ入ってくる。吹き込む風に、がいとうがばさばさとれた。


おれは、お前を矢ダルマにしてやることができる。今、ミロをこっちへよこせば、歯ァ全部折るぐらいで、かんべんしてやる」

「ビスコ……っ!」

「出たぞー。タキシード仮面様が」


 くろかわは、ミロがそれまで見たこともないような、興奮とかんきようの入り混じった表情で、ミロとビスコの間に立ちはだかった。


「こないだより顔色が悪いな、あかぼし。毒にまれてるのが、遠目にわかるぞ」

「それが、何か関係あるか? 怪我けがしたサメになら、イワシが勝てるとでも言いたいのか?」


 ビスコは、こともなげに首を一度、ごきりと鳴らしてみせる。

 確かにやや青ざめた顔をしてこそいたが、その眼光は決してえることなく、すいの色にかがやいている。その身体が毒に食われていようとは、はたには信じられないであろう。


(だが……!)くろかわの黒い目が、興奮にゆがむ。


「今なら。今のお前になら、勝てるかもしれん……キノコ守り最強の男に、正面きって……!」

「なんだよ、その目のクマは。そくになるほど、おれきらいなのか?」


 ビスコが不敵に笑った。


「理由はどうでも、好きなだけうらめよ。でもおれのほうは、すぐにお前を忘れるぞ」

(こいつ……!)


 相棒を人質に取られながらもくずれないビスコのゆうに、くろかわうなる。主導権をにぎれないいらちが、ひとあかぼしへのおそれとなってふくれそうになるのを、食いしばっておさえる。


「ここ十年来の、キノコ守りはくがいの原因が、オレだと言ったらどうだ……?」


 あせばみながらも、にやぁ、と笑みを作って、くろかわはとっておきの言葉をした。


「キノコがさびをばらまくなんてめいしんを、日本中にばらまいたのが、オレだと言ったら。国に、キノコ守りそのものを、売って。何の罪もないお前達をみつけて、美味うまい飯を食ってるのが、オレだと言ったら! それでも、お知り合いになれねえか、あかぼしぃッ!」


 ミロは、もうほとんど心臓をわしづかみにされたような気持ちでそのきをながめ、ビスコに視線を移す。

 ビスコの表情は、何ら変わらない。

 しばらく間を置いて、吹き込む風に寒そうに鼻を「ず」とすすり、やや鼻声で、こともなげに答えた。


「そうか。助かったぜ、言ってくれて」あごを上げて、わらうように口を開ければ、犬歯がぎらりとのぞいた。「知らねえうちに、片手間であだちするとこだった」

「……シカの首、みてえに! かべかざってやるぞッ! あかぼしィーッ!!」


 くろかわは、ビスコの言葉の終わらぬうちに弓を構えていて、それでもなお、ビスコの一弓が早かった。ビスコの矢はさながら真空のドリルのように空気ごとけずりえぐって、くろかわひだりうでかたぐちからまるごともぎ飛ばし、そのまま部屋のかべをぶッつらぬいていった。


「ぎゃ、ああ、ぐおああーッ!?」

「気が済んだか? おれに勝てそうかよ、くろかわ。ええッ!? どうなんだコラァッ!」

「ビスコ、けてッ!」


 どすん、と。にぶかんしよくが、ビスコのみぎももとらえた。

 ミロの言葉にとつに反応して退すさったが、その動きを読んだ一弓である。


「あ、うあ……うわああああ──っ!!」


 ミロは、この世の全てのきようが自らに降りかかったかのごとく、おののき、さけんだ。

 ビスコのももつらぬいたのは、まさしく、自分のった矢だったからである。




いとり……!)


 もとより、矢の一本でひるむ男ではない。ビスコはとつに体勢を立て直そうとするが、みぎももおそかんに、思わずバランスをくずし、ひざをついてしまう。

 その、逆のももに、どすん、と、もう一本の矢が突き立つ。


刊行シリーズ

錆喰いビスコ10 約束の書影
錆喰いビスコ9 我の星、梵の星の書影
錆喰いビスコ8 神子煌誕!うなれ斉天大菌姫の書影
錆喰いビスコ7 瞬火剣・猫の爪の書影
錆喰いビスコ6 奇跡のファイナルカットの書影
錆喰いビスコ5 大海獣北海道、食陸すの書影
錆喰いビスコ4 業花の帝冠、花束の剣の書影
錆喰いビスコ3 都市生命体「東京」の書影
錆喰いビスコ2 血迫!超仙力ケルシンハの書影
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