「黙れガキッ、それ以上動くと、こいつを……!」
その、一瞬の隙に、ビスコの身体が翻って跳ぶ。さながら猛獣が獲物に食いかかるようにして、大口を開けたビスコは黒革の喉元へ食らいつき、その歯を深く食い込ませる。そのまま、黒革もろとも、ビスコは赤く煮える炉の中心へ落ちていった。
「ビスコ────ッッ!!」
相棒の悲鳴を遠くに聞きながら、ビスコは思いのほか硬い、真っ赤に焼けた錆の泥の上に黒革を叩きつけると、歯を嚙み締め、その喉笛を思い切り嚙みちぎった。
「ぎゅばっ、ば、あ! ごぼ、かはっ! かほ───っ!」
喉から噴水のように噴き上がる血と、背中をぐしゃぐしゃに焼く炉の温度。黒革はその漆黒の瞳を目一杯に見開いて、この世ならぬ苦しみに雄叫びをあげる。なんとか空気を吸い込もうと喉を搔き毟るたび、新たな血が飛び溢れ、錆の海へ飛び散って白煙を上げた。
「映画的な、死に方じゃねーか、黒革」ビスコは食い千切った肉をそこらへ吐き捨てて、げらげらと笑った。「いつもの下らねえジョークはどうした。アイルビーバックとでも、言ってみるか、黒革よォーッ!」
ビスコの左手が、苦しみに悶える黒革の顔面に叩きつけられ、そのまま、ずぶずぶと燃える沼へ沈めていく。
「あかぼし……! あかぼしいいい……! お前を、殺すんだ、オレは……! キノコ守りを、殺して。おまえを殺して……。すきなだけ、眠るんだ……!」
「ゆっくり眠れ。てめえの作った、錆の海でな」
ビスコの腕が一際、力を増して、とうとう黒革の顔面を丸ごと錆に沈めてしまう。
「がばあああ──っっ!!」
黒革のくぐもった断末魔が、ごぽごぽと水面を波立たせ、狂ったように四肢が暴れのたくった。ビスコの腕半分まで頭が沈んだあたりで、そこでようやく黒革はくたばったらしく、火のついたズボンは燃え上がってそのまま灰になっていこうとしている。
ビスコは、燃える錆の沼からゆっくりと腕を引き抜き、もう、使い物にならないだろう左手を眺めて、何故だか、満足げに笑った。足は徐々に、ずぶずぶと錆に沈んでいき、間も無く黒革と死に場所を同じくすることはわかっていたが、それでも殺風景なこの景色が、不思議と納得のいく、自分の最期に思えた。
ふと。
炉の上、無数の機銃蜂が転がる、先ほどまでビスコの居た足場に、空色の髪が揺れている。
ミロが、青い眼に涙をいっぱいに溜めて、そこへ立ち尽くしていた。
大粒の涙が、後から後から、ぽろぽろと炉に落ちて、じゅう、と白煙を上げた。ビスコは、なんとか相棒を慰めてやりたくて、それで自分が口下手なことを思い出し、仕方ないので、ミロへ向けて少し、笑ってみせた。
「……約束したのに。僕を、相棒だって……ずっと一緒だって、言ってくれたのに!」
「……。」
「いやだよ……寂しいよ、ビスコ。僕を、置いていかないで……。」
「ミロ!」
ビスコはそこで、背中から抜きはなった自分の弓を、ミロへ向けて放り投げた。
エメラルドに光る短弓は、錆ひとつつけずにきらりと光を照り返し、ミロの手にパシリと収まった。
「俺の、肉が。骨が、なくなって、それが何だ? 魂は、死なない。地獄の底から這い上がって、必ずお前を守るぞ。……ミロ。俺達は相棒だ。ずっと、一緒だ」
「……。」
「だから、……だから、笑え。怖いとき。痛いとき。そういうときは、笑え。俺が、ずっとそうしたみたいに。お前が笑うとき、俺は、そこにいる」
そこでミロは、くしゃくしゃに崩れていきそうな自分の顔を、精一杯食いしばって。
「にこり」と、涙をこぼしながら、笑った。
ビスコはわずかに目を細めて、その泣き笑いのパンダ面を見つめていた。服に燃え移った炎が、自分の身体を舐めて、ゆっくり焦がそうとしている。ぐらり、と自分の身体が揺らぐのを、歯を食いしばって、かろうじてビスコはそこへ留めた。
「ビスコっ!」
「ミロ。俺の命を、喰え」ビスコは荒い息をついて、胸元をはだけると、そこを指差した。
「錆に俺を殺させるな。お前が、俺を仕留めて……吸え。俺の命を」
「……。」
「できるか?」
「うん。」
ミロは、泣き腫らした目を見開いて、エメラルドの弓を引いた。
番えたキノコ矢の狙いは、ぴたりと、ビスコの心臓へ合っている。
二人の瞳はずっと、お互いの姿を焼き付けようと見つめ合って、静謐の中で引き合い、星のように輝いた。
ビスコの教えた構えで弓を引き絞るミロの姿は、さながら神話の英雄のように美しく、悲壮で、雄々しかった。涙は止まらなくても、畏れはもう、ミロにはなかった。
「君、みたいに……。」
「……。」
「君みたいに、生きてみる。何度折れても、砕けても、立ち上がって笑って。そうやって生きてみる。それで精一杯やって、いつか……僕が引きちぎれて、粉々になって。魂だけに、なったら……」
「……。」
「君に、また、会える?」
「うん。」
「……。」
「また、会えるさ。」
一度だけ、まばたきをした。真珠のような涙が、するりと頰を伝って、顎から落ちていった。
(なにか、上手な言葉を……。)
(あたりさわりない言葉を、ずっと探してたけど。)
(ごめんね。)
(この気持ちを、ほかに、どう言ったらいいか、わからない。)
(愛してる。)
(ビスコ。)
(きみがいなくなっても、ずっときみを、愛してる……。)
『ばしゅん!』
ミロの放った矢は、風を切って、ドス、とビスコの心臓へ突き立った。ビスコは倒れそうになる身体を堪え、静かに、胸を射抜いた矢を見下ろした。
ぷつぷつと、自分の中に、キノコの菌糸が根を張り始めるのを感じる。
痛みはもうとっくに麻痺してしまっていて、自分の命を断つ相棒の矢の、その痛みを受けられないことは、ビスコにとっていささか残念ではあった。代わりに、何もかもをふわりと包み込むような、強烈な眠気のようなものがビスコを襲う。ビスコはなるべくなら、できる限り起きていたいと思ったけれど、視界が白く飛んだあたりで、とうとう眠気に身を委ねることにした。何か身体を燃え上がらせるような、菌糸が身体中に染み渡る感覚がビスコを包み込んで、そしてゆっくりと世界をオレンジ色に染めていった。