身体の周りに、羽虫のように飛び回る戦闘機を、巨人の腕がけだるげに打ち払う。
ぶうん、と空を切る腕をかわした戦闘機はしかし、風とともに巻き起こる錆の瘴気にからめとられてその安定を失い、自ら巨人目掛けて突っ込んでゆく。
自分の身体のその粘性の錆の肌に、なすすべもなくずぶずぶと埋もれてゆく戦闘機を虚ろに見つめて、巨人がうめいた。
『……あか……ぼし……』
基地から出張ってきた何機もの戦闘ヘリが、巨人の背中目掛けて一斉に機銃を撃ち放つ。
その弾は、巨人の体表をごみのように覆うスクラップや鉄骨を砕きはしても、ほとんどがその錆の肌に飲み込まれ、巨人に傷ひとつ負わせることかなわない。
『あか、ぼ、しい────』
巨人は振り返りざまに錆の息を吐き散らし、即効性の滅びをそこらへばら撒いた。荒野の風も、土も一瞬にして錆びつき、ヘリは折り重なるように次々と墜落して爆煙を上げた。
巨人は、ものの数秒も持たずに消えていった目の前の脅威をしばらく眺めていて、それでどうやらもうそれが起き上がってこないことを知ると、虚しげに前進を再開する。
赤く焼けた砂の舞う荒野の、深く割れた谷から上半身を出すようにして、谷の間を緩慢に進む巨人。テツジンが歩みを進めるたび、谷の岩肌にへばりつくように暮らす霜吹商人のキャンプが、その巨大な身体でこそげ落とされていき、霜吹の商人達は口々に悲鳴を上げながら、あるものは家畜を、あるものを子供を必死にかき抱いて、雪崩れをうって逃げ出してゆく。
ふと、その目に。
巨人の胸ほどの丘の上、一人の人影が、風に外套をはためかせている。その手に緑色にきらめく弓を持ち、青い眼光は、ひとかけらの恐れも見せずに巨人を睨みすえている。
巨人は、深く淀み、ぼやけきった自分の思考の奥のほうが、わずかにざわめくのを、感じた。
「うすらでかいだけの図体手に入れて、随分、ご満悦じゃねえか、黒革ァ」
『う……お……』
「おれが、死んだと思ったか。あの程度で、お前ごときと。心中してやると、思ったのかよッ!」
ミロの空色の髪が風に逆巻いて、炎のように踊った。
「おれの名前を言ってみろ、黒革。死にたりねえなら、何度でも! 地獄へ送り返してやるぞッッ!」
『あ、か、ぼ、し────っ』
巨人はにわかに激昂し、その身体を大きく戦慄かせて、振りかぶった右腕を丘の上目掛けて叩きつける。岩が砕け、粉塵が舞う。砂煙を引き裂くようにして外套がはためき、飛び上がったミロの弓から、空気を引き裂く一弓が放たれる。
矢は、地面を叩きつけた巨人の指の一本に深々と食い込み、ぼぐん! と真っ赤な傘のキノコを咲かせ、岩壁へ巨人の手を縫い止めた。空中を飛ぶミロを、残った巨人の左腕が払うが、ミロは咲いたキノコを足場に跳ねとんでそれを躱し、肘、肩へ向けて二連の弓を叩き込む。
『お、───っ』
ばがん、ばがん、と続けざまに咲くキノコの威力に、巨人がうめいた。叩きつけられる巨大な腕を避けながら、ミロは縦横無尽に岩山を跳ね飛び、弓を引く。四弓、五弓、貫き咲かせたキノコで飛び散る巨人の欠片が、幾たびもミロの身体を打ち、肉を引き裂いた。それでもミロの表情は痛みに歪むことなく、ただ純然とひとつの意志のもとに矢を放ち続ける。
滅びの錆を、生命の菌糸に喰われ、キノコ塗れになってうめくテツジンは、半狂乱になって身体を撫で擦り、身体に生えたキノコを根こそぎもぎ落とす。そして、ひとつ大きく戦慄いて息を深く吸うと、巨大な口を大開きにして、錆び腐れの息をミロへ向けて吐きかけた。
凄まじい突風、錆の奔流。腐れの息がミロを飲み込む。深い硫黄色に覆われて、その様子すら、窺うことができない、その、嵐の中に。
一本の矢がぎらりと瞬き、吹き荒れる嵐に逆らって、一直線に巨人の口へ向かい、その喉の奥へ深々と突き刺さった。
腐れの息は、喉からにわかに生え出したキノコによってそこで詰まり、吐き出す先を塞がれたそれが巨人の喉元を突き破って、蒸気のように吹き出した。
錆の嵐が晴れる。
ミロはくらりとよろめき、荒い息をついて、そこでついに片膝をつく。目尻に血涙を滲ませてこそいたが、その白い肌は錆びついていない。錆喰いアンプルの凄まじい効力を、まさしくミロは、自身の身をもって体現したのである。
「大袈裟に、鳴いてまあ……。キノコが、そんなに、痛いかよ?」
ミロは、ビスコが敵に向けていつもそうしたように、嚙みつくように笑った。
「キノコは、命だ。生きようとする意志そのものだ。おまえみたいな、理不尽な滅びを! 喰い殺すために、そこに、咲いたんだッッ!!」
首や頰を引き裂いて吹き出す自分の息に、くぐもった呻きを混ぜながら、テツジンは自分の口に手を突っ込んで咲いたキノコを搔き出す。回復を待たず、間髪容れずに弓を引き絞るミロはしかし、高台でテツジンへ向けてバズーカを構える、霜吹の武器商人達の姿を遠くに認める。
商人達は、集落の女子供を守ろうというのだろう、勇敢にも次々にテツジンへむけてぶっ放しはじめる。ミロへ向けて大きく手を振る一人に、ミロが必死になって叫びかける。
「無茶するなッ! そこから逃げろーッ!」
爆煙を上げるバズーカを何発も首筋に叩き込まれて、テツジンが忌々しげに唸った。一声吼えてぐわりと上体を捻ると、振りかぶった右腕を商人達へ向けて思い切り打ち下ろす。
ずうううん! 振り下ろされるテツジンの手元から、思わず目を逸らすミロ。しかし白煙が晴れると、何かオレンジ色の大きなものが、商人達の寸前でそれを支えているのを認める。
「アクタガワっっ!」
「小僧ォ───ッ! 撃てぇーいっ!」
アクタガワに跨るジャビの声を聞いて、ミロはすばやく強弓を引き絞り、テツジンの手首目掛けて撃っぱなす。矢は狙い違わず命中してキノコを咲かせ、その痛みに怯んだテツジンの腕を、アクタガワがその膂力でもって振り払う。
「撃ち続けろ、小僧! 錆に負けとるように見えて、菌糸はしっかり咬んどる! 踏ん張りきれば、わしらが勝つ!」
自身も弓を引き絞りながら、ジャビがミロへ向けて叫ぶ。
谷の両岸からテツジンを挟みこむように、二人のキノコ守りが矢を放ち続ける。
全身をキノコまみれにされた巨人は、狂ったように身体を撫で擦ってキノコを払いながら、溜めに溜めた腐れの息を、アクタガワ目掛け吐きつけた。
「ジャビさァ──んっっ!!」
高台を駆けずり回って錆の息をかわすアクタガワだが、執拗に追ってくるそれを、とうてい避けきれるものではない。とうとう巨人の息が、アクタガワを捉えようとする、その瞬間、
「けえええええりゃあああ────ッッ!!」
長い黒髪が、晴れた空に直線を描く。高台から隼のように滑空した白銀の戦士の、渾身の鉄棍がずわりと空を裂き、テツジンの横っ面を殴り抜いて、その錆びの息を食い止めた。
「パウーっ!」
「ミロ! 忌浜自警が来る、住人は彼らに任せろ!」