テツジンの肩を蹴ってミロの隣に飛び降り、鉄棍を構え直すパウー。弟が弓を構える間、降り注いでくるテツジンの欠片を、その棍を振るって打ち払う。
見れば、南の空からは忌浜カラーのエスカルゴが飛来し、地上にはイグアナ騎兵が押し寄せて、混乱に惑う霜吹の商人達を救出し、谷を抜けてゆく。それを踏み潰そうとするテツジンへ向けて、エスカルゴのロケットが次々に炸裂し、その動きを食い止める。
もはや、人類の持てる力を結集して、ひとつの滅びへ向けて立ち向かうような、壮絶な戦場である。絶え間なく続く、キノコ守りの弓と近代兵器の波状攻撃に、テツジンもとうとう己を守るように両腕で頭を抱え、身を守る赤子のような体勢を取り始めた。
「やれるのか……!? もう一息だ、ミロ!」
「待って、何か……!」
駆け出そうとするパウーの腕を摑んで、ミロが息を飲んだ。
何か、テツジンの奥のほうでドス黒いものが渦巻き、噴き出そうとしているのを、本能の奥のほうで感じとったのである。
テツジンが、ひとつ、ぶるりと震える。
両胸の装甲板の一部が開き、中から無骨な、何やら送風機のようなものが露出する。爆煙にまみれながら、テツジンはその両胸のプロペラを、ゆるやかに回してゆき……
一瞬の静寂。その後に、ごお、と突風が巻き起こり、耳をつんざくような音が一帯を襲った。
テツジンの両胸から吹き出すとてつもない質量の錆び風が、自身の錆び肌すら抉りながら勢いを増して渦を巻き、竜巻となって、周囲の岩壁を粉々に抉り砕いてゆく。
その場一帯、すべてを錆び腐らせる、死の嵐であった。
それまでテツジンを囲み、優勢に押していたはずの人類の力は、そこで呆気なくも一瞬で打ち砕かれてしまった。エスカルゴはまたたくまに錆の塊となって地面へ激突し、霜吹県民を逃がして戻ってきた勇敢なイグアナ騎兵達も、悲鳴も許されずに錆び腐れて砕け散ってゆく。
ミロはパウーを押し倒して、その身体でできるだけ姉を庇うように覆う。その二人へ向けて、錆の嵐を突っ切り、向かいの谷から跳ね飛んできたアクタガワが、ジャビごと押し込めるように三人を自分の腹へ抱き込み、錆の暴風から守る。
「ああ……っ! しっかりしろ、ミロ!」
「おのれ、ここまでか!? もう、一息というところで!」
悲壮に胸中を吐き出す二人の前で、ミロが、ゆっくりと立ち上がる。よろ、と一度よろめき、アクタガワに寄りかかって少し笑い、そのすべらかな腹の殻を愛おしげに撫でた。
「ミロ……!?」
姉の声を背後に、ミロは腰のサックから真っ赤な強壮アンプルを取り出し、自らの首筋に打ち込んだ。劇薬が白い肌に染み入る強烈な刺激で、ミロはわずかに、苦しげに呻く。
「赤い薬管……ばかな、ビシャモンダケの毒か! そんな身体で、保つわけがなかろう!」
「ジャビさん、ごめんなさい。パウーを……お願いします」
「この錆の嵐が、見えんのか!? 今度こそ、死ぬるぞ、小僧!」
「僕が、ビスコだったら、止めますか?」
「むう……!」
「行ってきます!」
「やめろっ、行くな、ミロ───ッ!」
この、絶え間ない錆の暴風の中で錆びずにいられるのは、錆に耐性のあるテツガザミのアクタガワをおいては、錆喰いアンプルを投与したミロしかいない。それは、事実であった。
「小僧に賭けるほかない……!」
もがくパウーを必死で押さえ込みながら、ともすれば息子を日に二人失うような予感に、ジャビは心胆を凍えさせてわずかに震えた。
錆の嵐に瞬く間に舐め尽くされて、それまで自分を苛んでいた脅威が呆気なく滅び去ったので、テツジンはやや暇そうに首をぐるりと回す。
遠く、暴風の脅威を辛うじて逃れ、雪が覆う霜吹へ逃げてゆく商人達を見て、口を大きく開き、腐れの息を浴びせようとする、その横合いから、
暴れ狂う錆び風を引き裂いて、乾坤の一弓がテツジンの頰を貫き、そこを突き破って、ぼぐん! と青いキノコが咲く。
キノコに腐れ息を押しとどめられて、テツジンが「おお」と唸る。
「……脳味噌が小さくて、覚えられないか?」血塗れの顔で、嚙み付くように吠えるミロ。
「おまえの相手は、おれだと。言ったはずだ、黒革ぁっ!」
テツジンがその腕を振りかぶり、岩山の上で必死に風に刃向かう、ミロを薙ぎはらう。普段なら、持ち前の身軽さでそれをかわすことなど造作もなかったろうが、飛び上がろうものなら錆の嵐に絡め取られてしまうこの状況でそれは不可能だった。錆の塊をしたたかに打ち付けられて、ミロの軽い身体はすっ飛び、岩肌へと叩きつけられて白煙を上げる。
「ミロ────ッッ!」
パウーの悲鳴が上がる。身をよじって錆び嵐の中へ飛び出そうとするパウーを、必死で抱きとどめるアクタガワ、その背中へ向けて、またもやテツジンの左腕が振り下ろされる。
そこへまた、ぼぐん! と。
未だ白煙を上げる岩肌から、一筋のキノコ矢が飛び、テツジンの手首を捉え、アクタガワから引き剝がす。その身体中から滝のように血を零して、それでもその青い瞳をぎんと見開いたまま、ミロはずるずると身体を引きずってテツジンへ向かってゆく。
自分へ覆いかぶさるテツジンの手に向けて、一弓。テツジンは握りしめたミロの身体を持ち上げ、握り砕こうとするも、俄かに咲き出すキノコの激痛に耐えかねてミロを取り落とす。ミロは落ちざまに一弓放って、受け身を取り損ねて地面の上にべしゃりと叩きつけられた。
「離せえっ! ミロが。ミロが! 死んでしまうっ!」
「小僧……!」
アクタガワとともに必死でパウーを止めるジャビですら、気を抜けば飛び出していってしまいそうなほど、凄惨な光景であった。ただ、よろよろと起き上がる、血まみれのミロの表情からは、諦めや、自棄のようなものはない。亡き相棒へのなにか誓いのようなものだけが、その青い瞳に瞬いて、純然とテツジンに向かい立っている。
全く似ていないはずの愛弟子の面影を、ジャビはミロに見る。まだ、諦めるのは早いという漠然とした予感が、かろうじてアクタガワの内にジャビをとどめていた。
(何で、立てるんだろう?)
ミロは、何度も錆に打ち付けられ、撃ち返す、その中で、どこか他人事のように考えている。
自分の身体がもうぐちゃぐちゃで、とっくに限界なんか通り越していることは、よくわかっていた。それでも、ただそうあるのが当然とでも言うように、自分の腕が弓を引き、足が立ち上がるのに任せていると、無限の勇気のようなものが、身体の奥から湧いてくるのを感じる。
(ビスコも、こんな気持ちでいたんだな)
かつて、相棒が居たであろうところに立って、弓を引いている。
それが、ミロは嬉しかった。
そこで間一髪、打ち下ろすテツジンの手を横っ飛びにかわすと、一つ、大きく息をつく。
(今なら)
ビスコのエメラルドの弓を、強く引く。
(撃てるよ。ビスコみたいに)
血みどろの顔に、青い目がぎらりと光る。
引き絞った強弓が、ばしゅん! と放たれれば、それはテツジンの胸部装甲を貫いて錆の肉へ届き、そこでキノコを炸裂させた。ずがん! と、胸を覆う鉄板が弾け飛んで、プロペラの周囲に埋め込まれた無数の配線が露わになる。
苦悶にうめくテツジンの隙を逃さず、ミロはほとんど転がるようにしてテツジンへ駆け、飛びつき、その肌に張り付いて胸へよじ登ってゆく。
「くらええ─────ッッ!!」