錆喰いビスコ

19 ③

 そして一声え、こしからいた短刀を、むき出しになった配線の群れに思い切り突き立て、巨大な身体をすべりながら、したたかにいた。


『お、お、あ────』と、巨人がひときわ大きくうめく。

 配電装置に加えて、太い配線を何本もかれた胸部の送風機がめぎめぎと音を立てて止まり、火花をらしてこくえんを上げた。


(やった)


 一帯をおおっていたさびぼうふうが、止まり、晴れてゆく。

 かすむ目で、かろうじて短刀でその身体を支えしがみつくミロ。いつしゆん、気をいてしまうと、もう、どんなにもがこうとしても、身体が動かなくなった。まばたきすら忘れてしまったように、目に流れ落ちる血がまって、なみだと混じってほおへ垂れてゆく。


(あ、だめだ、まだ……!)


 死ねない、その一念で、もうろうとしかける意識を必死でつなぎとめる。

 もはや、それがせいいつぱいであった。意識を押し流す激流の中で、かろうじて首の皮一枚とどまるのが、ミロにとっての限界であった。目を閉じれば、そのままってしまいかねないので、必死でその眼を開き続ける、

 その視界のすみに。

 そうこうげ、むき出しになった胸部のさびの中に、光るものがある。陽光をにぶく吸い込むようなテツジンのさびはだの中で、きらりとひときわかがやく、それ。

『ゴーグル』であった。

 ビスコの一番のお気に入りで、いつも彼の額からはなれることのなかったねこゴーグルが、さびはだに半ばもれるようにして、風にたよりなくれている。


「……ビスコ!!!」


 死にしずみかけていたミロの意識が、いつしゆんのうちにかくせいし、両目を見開く。

 ミロは身体のおくおくに残っていた最後の力をしぼって、もう一度テツジンの身体をよじ登り、そのさびもれたゴーグルをがすように手に取った。


「……ビスコ。……そこに、いるの?」


 ゴーグルのまっていた、さびかべへ向けて。うつろに、ミロがつぶやく。

 ほとんど理性というものを残していないミロの意識は、あるいはそこに相棒のなきがらまっている、その一念のみをもってくるったようにそこへすがりつき、厚いさびろうとして、何度もむしる。


「ビスコ。やっぱり、だめだよ……。一人っきりで。こんな、冷たいところで……。

 帰ろう、いつしよに。みんなのところに、帰ろうよ、ビスコ……!」


 分厚いさびの肉は、いくらけずっても砂のようにくずれ、またもとの厚いもどしてしまう。それでも、つめげ、指から血があふれてもなお、ミロの手は止まらなかった。


「返せよ……。ビスコを、返せ……! ビスコを、返せ────ッッ!!」


 のどから血をかんばかりに、巨人へさけぶミロ。巨人は返答がわりにミロをつかんで、遠くいわはだへぶん投げる。もう、あらがう力を持たず、そのままがんぺきたたきつけられるミロ。

 何か、つぶやこうとして口を開いても、ただ血だけがこぼれ落ち、もう悲鳴すらでてこない。

 必死に弓を構えようとするけれど、うでがもう、上がらなかった。せめて最後まで、自分の死を見つめようとして、ミロはありったけの力を込めて、テツジンを見つめる。大きなうでが、ゆっくりと、自分におおいかぶさってくるのを、青いひとみは最後までにらつづけていた。


 とうめいで分厚い、あたたかいまくのようなものに包まれて、白い海の中でただようのを感じる。

 けてゆく自分の精神のとなりに座り、それをながめるような。不思議なあんねいの中に、たゆうのを感じる。

 音一つしない、静かな世界だった。その中の、無限に広がる平和を持て余して、《それ》は心地ごこちわるそうにひとつもがいて、やがてそのもんも、平和のなかに吸い込まれていく。

 このまま、わずかに残った心のかけら、一粒のしゆんじゆんすら、この白い世界に吸い込まれて、永遠の安息の一部になるのだと、予感があまやかにささやいた。

 あらがう理由がなかった。ただ、《それ》の、おくおくのほうに残った、最後の感情のひとつが、白い海へすことを、やんわりとこばんでいるようであった。

 静かに、砂のように。さらさらと、その心の最後が、海へして……

《ビスコ》


 ぴたり、と、そこで止まった。

 何か、とても大切な、意味のある音が、せいじやくにヒビを入れるように、小さく聞こえる。

 その、よく知っていたはずの、何よりも大事だったはずの音の意味をたぐりよせるように、

《それ》は脈打ち、大きくもがいた。

《ビスコ……!》


 二度目の、そのひびきで、《それ》は、その音が、自分の名前であることをでんげきてきに思い出し、心の中で閉じた目を、かっと見開いた。

 名前をもどした《それ》の意思に、脈々と力が流れ込んで、まず、眼が。うでが、足が形となって、したそれの身体をもどしてゆく。自分を包む、あまりにも強大なまどろみの力に、意思のすべてを持ってあらがおうとする。

《ビスコ!》


 三度目のそれで、ビスコは、だれおのれを呼んでいるのか思い出した。

 全身に力をみなぎらせ、空気をふるわすようなたけびを上げると、白い世界に次々にヒビが入り、だれもが求めるはずの死のあんねいが、そこで完全にかいして、ビスコははじかれたように暗い世界へと放り出されていった。


「!!!」


 深い水の底から、水面にがったようにして、大きく何度も息をつく。

 していた全身の感覚が、にわかにもどってくる。ビスコはその全身にまとわりつくさびかんしよくを感じ取ると、その歯を食いしばって全身に万力のような力を込め、そのさびの肉を内側からいてゆく。

 もうじゆうのようなほうこうが、その口かられた。

 ビスコを閉じ込めていたさびおりは、その人ならざるすさまじいりよりよくかれて、とうとう白日のもとにビスコの身体をさらしだした。

 あれだけさびの中に閉じ込められながら、身体も、服もがいとうびていない。熱く燃え立つような自分の身体にビスコはまどいながらも、自分を呼んだ声の主を必死で探す。


「ミロ! ミロ────ッ!」


 ビスコの声に応えるように陽光がきらめき、岩山に、あざやかな空色のかみを照らした。

 息絶え絶えな相棒の姿を認めると、テツジンの身体をってだんがんのようにそこへび、ずうん! とごうおんとともにろされるテツジンの手を、その身体に、人外のりよりよくをもって受け止めた。


「うううおお─────ッッ!!」


 一声えて、ビスコがその身体をひらめかせ、まわりでけば、巨大なテツジンの手首がまるでおもちゃのように千切れ飛び、遠く岩山へげきとつしてすなけむりを上げる。


「お……おおっっ!?」


 テツジンがもんほうこうを上げる中で、ビスコは自身の内に燃え立つ力の加減がわからず、空中で勢いをそのままにくるくる回って、どさりと地面に落ちる。

 ビスコは立ち上がりながら、テツジンの全身に咲いた、無数のキノコあとながめる。その一つ一つが、自分の相棒のふんとうゆうそうさをたたえてかがやき、ビスコの胸中を熱くらした。


「……。これを……ミロが、やったのか……」

「…………。びす、こ……?」


 ビスコはふるえる声にかえり、きようがくに目を見開く相棒と、そこで目を合わせた。


「おう」


 ビスコが声をかける。

 ほとんど死の中にしていたビスコの意識をかき集めて、それにもう一度命を吹き込んだ、そのことが、当のミロ本人にはまるで理解できていなかった。目の前に立っているビスコの姿がとても現実のものと思えず、ミロはただ目を見開いたまま、ぬか喜びをこわがってわなわなとふるえている。


「聞こえたよ、あの世の手前で。」

「…………あ……!」

「呼んだだろ?」


 白い犬歯が、あざやかにのぞいた。

 何度もミロが横で見た、悪童ビスコの不敵な笑みが、陽光に照らされてそこにある。

 ミロはその眼に、みるみるなみだめて……

 今までの怪我けがなど全て忘れたように立ち上がり、ビスコへと飛びついた。


刊行シリーズ

錆喰いビスコ10 約束の書影
錆喰いビスコ9 我の星、梵の星の書影
錆喰いビスコ8 神子煌誕!うなれ斉天大菌姫の書影
錆喰いビスコ7 瞬火剣・猫の爪の書影
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錆喰いビスコ5 大海獣北海道、食陸すの書影
錆喰いビスコ4 業花の帝冠、花束の剣の書影
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