ぶつぶつと口の中で呟くチロルは、やがて電撃的な閃きに跳ね上がった。
「わ、わかった! 起爆トリガーはパイロットの脳だ! 頭部のあの外骨格は、操縦者を接続する機構を守ってるんだよ。頭をぶち抜いて、パイロットだけ殺せば、テツジンも自爆できない!」
「よし、ドタマを抜いてやりゃいいんだな!?」
「ビスコ、だめだよ! あの大きい頭のどこに、黒革がいるかわからない。ビスコの矢の威力で狙いが逸れたら、それこそ、その場でドカンだよ!」
腐れ息を吹き続けるテツジンの顔を全員が見つめる中、パウーは一度、目を閉じる。そしてひとつ大きく息を吐き、目を見開いて、その美しい顔で凜とチロルへ向き直った。
「あの、鉄仮面を、割ればいいんだな」
「パウー、まさか!」
「バカな! 死にに行くのと変わらん、ワシと、アクタガワで行く!」
「駄目です、蟹の力では、加減が効かない」
パウーは鉄棍をひとつ、がうん、と閃かせると、決然と立ち上がる。
「私の棍は、本来、不殺の術。刺激を与えず、鎧だけ割る術は心得ている。今、この時のために、あつらえたように……」
「不殺の術だあ!?」ビスコは素っ頓狂な声を上げて、肘でミロを小突いた。
「あんだけ人をボコっといて、よく言うよ。ミロ、お前の姉ちゃん平気で噓つくぞ」
「これから死にに行ってやるというのに、随分な言い草じゃないか」
物言いにさすがにムッとしたか、機嫌を損ねた風で、パウーがビスコへにじり寄った。
「欲の多い私ではないが。礼のひとつもなしで、死んでゆくのはつまらんな……」
「な、何だ、お前急にそんな」柄にもなく、しおらしく目を伏せたパウーに、ビスコが戸惑う。「生き残ったら、何でも好きなもんくれてやる! だから、そんなツラするな、忌浜の、栄えある自警団長様が!」
「……ふうん」
パウーの瞳がきらりと煌めいて、いたずらっぽく、凄艶に笑う。
「何でも、好きなものをか……」
突然、パウーは恐ろしい力でビスコの襟首を引っ摑み、ビスコへ覆いかぶさるように顔を寄せると、その唇へ向けて、嚙み付くように口付けた。ビスコが事態を把握する数秒の間に、パウーはまるで獲物を牙にかけた獣のように、食い漁るようにしてビスコの唇を貪り尽くす。
「んんぐ──────!!!」
どんな死地においてすら慌てふためくことのなかったビスコが、この時ばかりは、さながら命の危険を感じたハトのようにばたばたと身体をよじって、たっぷり時間をかけて……命からがら、パウーの剛腕から抜け出した。
「あっははははは!!」
パウーは引いた糸を啜って袖で唇を拭い、心の底から愉快そうに、涼やかに笑った。それは、弟のミロですら見惚れるような、飾り気も、寂しさもない、美しく純粋な姉の笑顔だった。
「先払いで、貰っておくぞ、赤星!」
流し目をくれて長い髪をひるがえす、パウーの後ろ姿。
それを茫然自失で見送るビスコの顔を、ミロが覗きこむ。きょろりと嬉しそうなその視線を受け止めて、ビスコはただ無力な乙女のように、わなわなと震えることしかできない。
「絶対、いい奥さんになるよ! 美人かつ、貞淑で……」
「けだものだろ!」
「Eカップっす」
「うるせえよ!」
眼を剝くビスコを見て、ミロも笑った。
死地にあって、不思議なほどに、心の底に希望が満ちてくる。死を覚悟した悲壮のそれではなくて。ただ無条件に自分達を、明日を信じぬくような、おだやかな確信の中にミロはいる。
それは、パウーも、ジャビも、チロルも、アクタガワですらもきっと同じであった。ミロの隣にいる、太陽のような男が、それぞれの心を覆う暗雲を払って、熱く照らすのを感じる。
「あたし、出来ることはやったからね! これで死んでも、化けて出ないでよっ!」
「チロル! ありがとう! 僕らのために、命まで、賭けてくれたんだね!」
逃げるようにバンに乗り込むチロルへ向けて、ミロが声をかける。チロルは、おずおずとそれへ振り向いて、三つ編みをいじりながら、モゴモゴと返事を返した。
「ま、前二回の、借りを返しただけだよ! そ、それに……」
ごくり、と一度唾を飲んで、顔を真っ赤に染めたチロルが言う。
「……と、友達が! 目の前で困ってたら。助けるのが、普通でしょっ!」
言い捨ててドアを閉め、全速で走り出す中型のバン。それへ向けて、流れ弾のように燃え立つ錆の塊が襲いかかるのを、老爺を背にずわりと跳んだ大蟹が、大鋏の一閃で弾き返した。
「ビスコ! 来るとこまで来たなーッ! ワシらもよぉーッ!」
「油断こくなよ、ジジイ! 最後の最後でくたばってみろ、地獄まで追っ掛けて、ブン殴るからな!」
「もう、十分、あの世の話のタネにゃ、困らんが!」
ジャビはかつての若さを取り戻したように、死線にその目を輝かせた。
「せっかくじゃ、勝って幕引きとするかァ! 行くぞい、嬢!」
「はい!」
パウーが飛び乗るのと同時に、ジャビがアクタガワに鞭をくれると、大蟹は素早く錆喰いの壁から飛び出して、テツジンの側面へ回り込んでゆく。巨人は虚をつかれたように火炎の息の噴出を止めると、首をぐるりと回し、走るアクタガワへ狙いを定める。
「もう、爆発寸前ってところよの!」
「ジャビ殿、私を、放れますか!」
「何ィ!?」
「火の息で、奴が自壊しかねない。ここから鉄仮面まで跳びます! アクタガワで、私をあそこまで、放ってください!」
「……わっはははは! 大した娘じゃわい!」ジャビは大きく笑って、きっと表情を引き締め、アクタガワへ鞭を振りかぶる。「あいわかった! 念仏はいるか!?」
「結構! 現人神の舌を、吸ったばかりです!」
「行けいッ、アクタガワッッ!」
ハサミでパウーを摑んだアクタガワは、ジャビの合図で地面を蹴って跳び、竜巻のように巨体を回転させる。そしてその恐るべき膂力の全てでもって、パウーを空中遠くブン投げた。パウーの長い髪が黒い流星のごとく青空に一本の線を描き、鉄棍が陽光にぎらりときらめく。
(私の、棍は、)
テツジンの口がパウーを向き、大きく開かれる。ぐつぐつと喉で煮える赤い息が、いまにも噴き出さんとして、蒸気を吐いている。
(命は、この、ために……!)
カッ、とパウーの目が見開き、かつての、阿修羅のごとき戦士の威風を取り戻す。空中で身体を捩り、大上段に鉄棍を振りかぶって、
「けえええりゃああああ─────ッッ!!」
すぱん、すぱん! と、弾けるような音とともに、パウーの鉄棍が二度、空を裂き、テツジンの鉄仮面の、その中心を十文字に切り裂いた。
びしり、びしりと音を立てる鉄仮面は、ほどなく亀裂を顔全体に走らせ、轟音を立ててぼろぼろと崩れ落ちてゆく。テツジンは雄叫びを上げて顔を振りたくるも爆発の兆しは見えず、どうやらパウーは本当に、テツジンの肉そのものには衝撃を与えなかったようであった。
「あいつ、マジでやりやがったぞ!」
ビスコはテツジンへ向かい走りながら、驚きを隠さずにミロへ叫んだ。
「……いや、やべえ、着地を考えてねえ!」
ビスコが叫んだとき、ミロは既に弓を引き絞って、遠く落ちてゆく姉に狙いを定めていた。ぱしゅん! と、淀みなく放たれた矢は、空気を裂いてパウーの鉄棍を貫き、ぼうん! と音を立てて、丸く膨れた巨大なフウセンダケを咲かせた。
パウーがなんとか意識を取り戻し、その白いパラシュートを操って漂うのを見て、すぐさま狙いをアクタガワへ。なおも暴れ狂うテツジンの、その火炎の息が吐かれる刹那、ミロの矢がアクタガワの眼前の地面に突き立って巨大な錨茸の壁となり、老人と大蟹を守り抜いた。
「多少は、やるようになったじゃねえかッ!」