「普段から、そうやって褒めてよ!」素直に感嘆するビスコの後を走りながら、ミロが叫び答えた。
「……ビスコ、あれ!」
ミロの視線を追ってテツジンを見上げたビスコは、そのむき出しになった頭部に、見覚えのある姿を認める。
眉間の部分に塗り込められた、一人の人間の姿。その身体はもうほとんど錆に溶け出して、骨が露出していたが、その黒々と光る眼光は、死んでなお執念をその身に宿す、男の本質を雄弁に語っていた。
「黒革ッ!」
ビスコの叫びが、黒革へ通じたか。傀儡のように虚ろだった黒革の顔が、わずかに動き、その黒い瞳でビスコを認める。およそ、理性というものがその身に残っているか定かでないにせよ、黒革は色めき立つように動き出して、その口を歪めた。
『あかぼしい──────ッッ!』
黒革の叫びは、そのままテツジンの口を通して野太い咆哮となり、びりびりと大気を震わせた。ビスコのエメラルドの瞳と、黒革の黒い瞳、双方の視線が斜めにぶつかり合って、壮絶な火花を散らす。
ビスコが引き絞った矢と、テツジンの火炎の息が噴き出されるのは殆ど同時であった。テツジン自身すら燃やし尽くすような獄炎の息を、ビスコの乾坤の矢が迎え討ち、まるで大気圏を突き破るロケットのように、その炎を破り散らしてゆく。
『オレも、お前と同じだ、赤星! お前が強くても、正しくても。はいそうですか、って、死ねねえのは! オレも同じなんだァ─────ッッ!!』
黒革の、腹の底から絞り出したような執念が、獄炎の勢いを増す。叫ぶ黒革の肉が裂け、骨を溶かし、眼球が溶けてそこから炎を噴いても、膨れ上がる妄執はなおも熱を上げて留まることを知らなかった。
黒革の崩壊に呼応するように、テツジンの錆びた肉のあちこちが裂け、マグマのように炎が噴き出す。そして獄炎はついに、何物をも貫くはずのビスコの乾坤の矢を、黒革の手前、すんでのところで焼き尽くした。
『消えてなくなれェ─────ッッ!!』
獄炎の息が、一気に勢いを取り戻して二人を燃やし尽くす、その寸前、
ぼぐん! と、凄まじいスピードで伸び上がったエリンギが、二人のキノコ守りを空中に跳ね上げ、その外套を風にはためかせた。ミロが先読みで放ったエリンギの矢は、見事にその炎の息から二人を救い、自らは身代わりとなって燃えつきてゆく。
「いけえっ、ビスコ────ッ!」
ミロの声を背に、息を吸って、弓を強く引き絞るビスコ。眼下に見下ろすテツジンの頭部は、炎の息に力尽き、やや俯き気味に動きを止めている。千載一遇、ここが必殺のタイミングに間違いない。
はずであった。
力尽きたはずの黒革の顔が、溶け果てた目でなおもぐわりとビスコを向き、その腕を大きく振りかぶってなぎ払ったのだ。黒革の腕は千切れ飛びざま、煮え立つマグマの鞭となって、ビスコの両目を強かに打ち据えた。
「がッッ!」
一瞬のうちに、射手の命、鷹の眼を塞がれたビスコは、それでも執念で弓を引き絞る。ビスコは、ここが死域の瀬戸際であることを知っている。どうあっても、ここで黒革を射抜かなければならぬ、その一心で、ぎり、と歯を食い縛る。
その、右手に。
暖かい手が重なり、重圧に震えかけるそれを、ぴたり、と押さえた。矢を引く手にも、同じように。ビスコは、眼を塞がれた暗闇の中で、失いかけていた確信を取り戻すのを感じる。
「弓に、大事なのは、ふたつ。」
「ひとつは、「よく見ること」」
「もうひとつは?」
「信じること。」
「僕が、」
涼やかな声が、ささやいた。
「僕が、きみの眼になる」
ミロの手が静かに、ほんの少しだけ、照準を動かした。萎えかけていた力が、意志が、ふつふつと燃え上がり、ビスコの心に火を灯す。
「だから、きみが信じて。
引くんだ。
強く……」
ビスコは暗闇の中で、強く引き絞られた矢が、二人の命を吸って、輝くのを感じた。
「当たるよ、ビスコ。」
「うん。」
『ぱしゅん』
矢が、きらきらと光を纏って、不思議なほどゆっくりと飛んでいくように、ミロには映った。それは、真正面から捉えた黒革の腹に、吸い込まれるように飛んで行き、
とす、と、突き刺さって、
ばずごん!!! と、凄まじい轟音とともに黒革を跡形もなく消しとばし、テツジンの頭に満月のような大穴を空けた。そのままカッ飛んだ矢は、胞子を撒き散らしながら、テツジンはおろか背後の岩山をぶっ貫いて、その腹に風穴を空けてしまう。
ばがん! ばがん! と、連続的に咲き誇る錆喰いが、テツジンの身体、地面、岩山と、およそ矢が裂いた空気がかすめたすべての場所から生え出す。
テツジンは連続して咲く錆喰いの圧力に抑えこまれ、とうとう潰されるようにしてその錆喰いの山に埋もれてしまう。
『お─────────』
細く長く、テツジンが断末魔に吠え、徐々にその声も、咲き誇り続ける錆喰いの爆発音に圧し潰され、聞こえなくなってゆく。
かつて日本を滅ぼした破壊兵器の、それが最期だった。
滅びの錆は、無限の生命の力に食い荒らされて、今その苗床になって倒れ伏したのである。
落下した衝撃を、錆喰いの傘に辛うじて受け止められて、二人は脈動を続けるその上に転がった。爆発的に膨らむキノコの群から、すぐにでも逃げ出さないといけないのだけれど、もう、二人ともとっくに身体の限界を越えていて、指一本動かすのがやっとの有様だった。
「動けるか! ミロ!」
「むり!」
「俺もだ!」
満身創痍の中で、それでも、二人のキノコ守りは、大きな達成感の中で高らかに笑った。
「ビスコ!」
「おう!」
「僕、役に立てたかな。きみの相棒に、なれたかな!?」
大きくなっていく轟音に負けないように、ミロはあらん限りの力で、ビスコへ呼びかけた。
ビスコは最期に、ぎらりと犬歯を光らせて、高らかにミロへ答える。
「俺が矢で、お前が弓だ。俺達は弓矢だ! そういう、二人だった!」
キノコの脈動が一際大きくなり、爆発の予感に震えだす。ミロは最期の力を振り絞ってキノコの上を転がり、眼を塞がれたビスコににじり寄って、その腕を強く胸に抱きしめた。
『ばぐん!』