巨大なキノコの炸裂は、殺風景な荒野に、ものの一分で錆喰いの森を築いてしまった。
かつてのテツジンの身体の跡には、一際大きな錆喰いがキノコの神殿のようにそびえ上がり、ほの暖かく輝く胞子をちらちらと撒いている。
その場にいる誰もが、そのこの世ならぬ光景に見惚れ、言葉のひとつも発しなかった。
「……。綺麗だ……」
降り注ぐ胞子の中、立ち尽くすパウーが、知らずつぶやいた。鉢金をゆっくりと外し、そこらへ放り捨てると、長い黒髪が静かに降りる。
(勝ったのか、私たちは)
美しく燃える巨大なキノコの城を、その瞳が映して、睫毛の奥でふるりと揺れた。
「嬢────ッ、無事だったかーッ」
砂煙を巻き上げてアクタガワが駆け、パウーの横へつけてブレーキをかける。興奮冷めやらぬジャビは、転ぶようにしてアクタガワを飛び降り、パウーに駆け寄ってその肩を揺さぶった。
「よく、よく無事だった。やあ。大した女じゃわい」
「ジャビ殿も。よかった……。」
「……お前さん、顔が!」
ジャビの驚きを受けて、パウーは掌で自分の顔に触れてみる。錆び付いていたはずの顔の半分は、降り注ぐ胞子に拭い溶かされて、今やすっかり白磁の肌を取り戻していた。
「あ……!」
「なンとまァ、綺麗なことよォ」ジャビはうっとりとパウーに見惚れ、ため息まじりに言う。
「すっかり、錆の取れちまって。棍を持たしとくにゃ、勿体ねえよお」
「あなたの、息子のお陰です」
パウーはジャビから目を離し、もう一度、キノコの城を見つめた。
「彼が、救ってくれた……あなたを救う、旅の終わりに。あなたや、私だけでなく、皆を。人間を……」
「あ。あの、バカ!」パウーの言葉を聞いて、ジャビは途端に慌てふためく。
「まさか、くたばったんじゃあるまいな! あんたの、弟もじゃぞ!」
パウーは、穏やかにくすくすと笑って、はるか上空、キノコ城の天辺を指差した。
ジャビが、その指の先を追って、高く、雲に届かんばかりのキノコの傘を見上げると、そこからこちらを見下ろす、小さな人影をふたつ、認めることができた。
「ああっ。ビスコじゃ。ビスコじゃーッ! 生きとった、あんの馬鹿者、一日に二度も、死んだと思わせおってーッ」
ジャビは年甲斐もなく、手まで叩いてはしゃぎ、喜びに跳び回った。
「いやまて。あいつら、降りれんのじゃないか。こうしちゃおれん」
アクタガワに飛び乗ろうとするその首根っこを、パウーが捕まえて、ひょいと引き寄せた。驚いて怪訝そうに見上げるジャビと目を合わせて、パウーはいたずらっぽく、唇に指を当てる。
「もう少し。もう少し、待ってあげてください。今、あなたを行かせたら……弟に、口を利いてもらえなくなる」
「な、何を言うとるんじゃ!?」
「わかるんです。姉弟だから……。」
パウーはジャビを抱きすくめながら穏やかに笑い、はるか上空の弟を見上げた。二つの外套が風にはためいて、陽光が照らすキノコの森に、影となって伸びていた。
「……人間ふたり、救うつもりがさ」
そのまま晴れた空に溶けてしまいそうな、空色の髪を風に煽られて、ミロが言う。
「とんでもないことになっちゃった。これだけ錆喰いがあったら……忌浜どころか、日本中のサビツキが、治せちゃうよ」
「俺はスケールがでかいんだ」
「それ、めっちゃ不器用ってだけじゃないの?」
「俺は小器用な男でもある」
「こちら側のどこからでも切れます、ってやつ、どこからも切れないじゃん」
「お前、日本を救った男に、言う言葉か、それが! オウ!」
「見て! ビスコ。みんな、手を振ってる!」
地上では、錆の嵐を生き残った自警団の面々が、英雄を讃えるように歓声をあげ、手を振っている。もうキノコを恐れる者はおらず、誰もが顔いっぱいに勝利の笑みを浮かべている。
ビスコもミロの横で地上を覗き込むが、黒革の最後の一撃で焼けた目は、まだ視力を回復してはいなかった。それこそ遠い地上の様子なんて、雰囲気ぐらいしかわからない。
「まだダメだ。ぜんぜん見えねー。他に何が見える?」
「うん。……パウーが、自警団のみんなに捕まって、胴上げされてる! あはは、チロルはトラックいっぱいに、錆喰いを積んでるよ! アクタガワは……イグアナを追っかけまわしてて、それを、ジャビさんが……」
ミロの隣、キノコの傘に腰掛けてビスコは目を閉じ、穏やかな顔で、嬉しそうに話すミロの言葉を聞いていて、ふと……途切れたミロの言葉の、その先を促す。
「ジジイが、どうしてるって?」
「ビスコ」
「?」
とすん。と、胸に飛び込んできたミロの頭に、思わずバランスを崩しかけるビスコ。その、抗議の言葉を押しとどめるように、何か熱いものが、ビスコの胸を暖かく濡らすのがわかった。
「ちゃんと、心臓の音が、する……。」
「……約束。……したじゃんか。死ぬ時は、一緒だって。」
「もう、僕を。……ぼくを……、おいてくなよ、ビスコ……!」
相棒の、繊細な心が、堪えに堪えてとうとう、決壊するように涙になって溢れ出し、ビスコの肌にあたかかく染みてゆく。
ミロは次第に大きく、外聞もなく何度も、何度もしゃくりあげて、ビスコの胸に縋り付いて子供のように泣いた。
ビスコは何か、気の利いた言葉をかけてやろうと試みて……、それでやはり、こいつの言うように俺は不器用なんだな、と思い直し、そこでもう何か言うのはやめにした。
風がひとつ、大きく吹いた。ビスコは穏やかな顔で気持ち良さそうにそれを受け、赤い髪をばさばさと踊らせた。
二人を照らす陽はやがて夕日となって、遠く地平線の向こうへ潜っていくところだった。