異相の神であった。
燃え盛る篝火に照らされて、巨大な身体が鈍色に輝く。たくましく鍛え抜かれた筋骨は隆として逞しく、背から伸びる六本の腕はその手に、生々しく彩られた心臓、腎臓、肝臓、脾臓、肺をそれぞれ持ち……残る一本の腕で、天を衝く槍を握っている。
眼を剝き、裂けたように巨大な口で笑うその形相は、人の背から見上げるその巨大さも相まって、まさしく人の世を喰らわんとする羅神そのものである。
その、神像へ向けて。
広い神殿に、それでも押し込められるようにひしめく僧侶たちがその身を投げ出し、一心不乱に経を唱えている。フード付きの僧衣からのぞく顔や首には、びっしりと文字の刺青が施されており、そのいずれもが、何らかの経文を示しているようであった。
(おん、きゅるべいろ、けるはしゃあ)
(おん、はるきゅいろ、けるはしゃあ)
僧たちの唱える経の、その個々は囁くようであるものの、三百をゆうに越す信者たちが一斉に唱えるそれは、さながら闇の中を這いずる餓鬼の呻きのようである。
そこへ。
「五臓を、神前へ」
やおら神殿の扉が開き、真紅のローブを着た教祖らしき者の声が、おごそかに告げる。信者達は示し合わせたように退き、祭壇への道を作る。
教祖に続き護衛の武僧が二人、それに次いで、薄布を纏った幼い少女が一人、やはり二人の武僧に脇を固められ、祭壇へ歩いて行く。
「おん、あすぱる、しゃだ、かるな……」
「「おん、あすぱる、しゃだ、かるな。おん、あすぱる、しゃだ、かるな……」」
祭壇にひざまずいて祈る、教祖と武僧たち。後を追うように、ひれ伏す僧たちも次々に新たな経を唱え出し、神殿の中はにわかに異様な熱気に包まれてゆく。
「お……おん、あすぱる……しゃだ、か、かるな……」
その祈りの中央、祭壇の前にひざまずく少女は、全身をかたかたと震わせながら、やっとのことで喉から経を吐き出している。それを横目に立ち上がった教祖の赤いローブから、鋭い短剣がぎらりとのぞく。武僧が差し出す鈍色の薬液の壼にぬらりとそれを潜らすと、少女の腕を取り……短剣の柄を、その手にしっかりと握らせた。
「先の巫女は、一つ。先先の巫女は、二つの臓を抜くまで、生きておりました。己の信仰をもって捧げれば、それだけ……巫女の魂は、清き輪廻に昇華されましょう」
少女の息と震えが一層荒くなり、珠のような汗が幾筋も首を伝った。薄布をはだけ、武僧に支えられた少女は、徐々にその短剣を自らへ向け、そのすべらかな腹へとあてがう。
「……あ、ああっ……! はっ! はっ! はっ!」
なかば狂的に燃え上がる信者達に聞こえぬよう、教祖が武僧の耳に囁いた。
「此度の巫女は、もうひとつ信心が足らぬ様子。お力添えせよ。死ぬ前に、二臓は抜け」
頷く武僧の横で、汗だくの少女の柔肌に、つぷり、と短剣が食い込み、僅かに血を溢す。
「い……いや……やっぱり、私……!」
「整った。……神前に、五臓を捧げよ」
「嫌ぁ──っっ! 誰か、助けてぇ──っ!」
少女が悲鳴とともに握った短剣を振り回し、それが武僧の目をえぐった。よろめく武僧の隙をついて駆け出す少女はしかし、一心に読経する信徒たちの壁に阻まれ、武僧にその足首を摑まれて転倒してしまう。
「止むをえん。苦しまぬように」
「は」
「嫌、やだぁぁっ! お母さん、お姉ちゃんっ、助けてぇぇ───っっ!」
押さえつけた少女の首へ向けて、腰からずらりと抜いた武僧の剣が振り上がり……
振り下ろしざまに、べぎん! と、音を立てた。
「……ぬおっ、これは!」
武僧の剣は、娘の首の手前で空を切っていた。風を裂いて飛んだ一筋の閃光が剣の腹を捉え、その刃を根本から叩き折ったのである。
そのあまりに美しい剣の断面に、武僧がわずかに心を奪われた、その一瞬の後、
ぼぐん!
剣の柄から勢いよく咲き誇った真っ赤なベニテングダケが、発芽の勢いで武僧の身体を思い切り吹っ飛ばして、神殿の壁に叩きつけた。
「異教徒!」「僧正をお守りせよ!」
教祖を守ろうと集う僧侶の上を、赤色の閃光が飛び越し、背後の神像の胸に深々と突き刺さる。神像をまたたくまに赤い菌糸の網が覆い、ばがん! ばがん! とその身体を割って、真紅のキノコがいくつも咲き誇った。
「あ、ああっ、摩錆天さまがっ!!」
僧の悲鳴とどよめきを武僧が押さえつける中、一際強い一矢が神像の鼻っ柱に突き刺さり、
ばっ、がん!
すさまじいキノコの炸裂で、その顔面をまるごと消し飛ばしてしまう。
砕け散った首の上、キノコの傘に、壁を跳ね飛んで人影がどすんと降り立ち、その首元から外套をばさばさとはためかせた。
炎のようにゆらめく、赤い髪。ぎらりと光る緑色の瞳。右目を覆う刺青が、篝火の明かりを照り返して赤く輝く。
さながら修羅、いや、荒神の貫禄のそれが、業火のごとき気迫を漲らせ、その場の全ての人間を恐怖で竦めさせた。
「てめえらの業を、子供の命で贖おうってのか……!」
怒りに吠えれば、牙のような犬歯がのぞく。
「そんなに、供物が欲しいなら……! てめえの首でも、供えていやがれェッ!」
雷鳴のような怒声が神殿に鳴り響き、無数の僧の心胆を稲妻のように貫いた。
「あ……アグニだ」「スサノオだ!」「摩錆天様が、お敗れになられた──ッ」
悲鳴を合図に、雪崩をうって逃げ出す信者たち。制止する武僧たちすらのみ込んでゆくその人の海を逆走し、祭壇へ向けてひらりするりとすり抜ける、一人の僧がある。
「油断するな、もう一人いるぞ!」
「異教徒め、教祖様が狙いかァッ」
「ごめん、寝てて!」