巫女がぐっすり眠っていたのをいいことに、こうした変装で晩飯にありついている。
「おい、この……何だ、白いぐにゃっとしたやつ、めちゃめちゃ美味いなあ」
「沖ナマズの、心臓の天ぷらだよ! 美味しいでしょ?」
「そういえば。島根の名物料理は、内臓を使ったものばっかりだけど。何か、理由があるんですか? ……リッツ! 僕の皿から取るなよっ!」
「島根には宗教たくさんあるけど、五臓六腑がすべての力の源だって慣習は、共通してるんだ。肝を食べれば肝が強くなる、って理屈で、美味しい臓物は縁起物なの。もともとは島根で一番大きかった、摩言宗の五臓信仰から始まってるらしいけど」
「……なあ、姉ちゃん。その、摩言宗ってのは、」赤髪の少女が、汚れた口元を相棒に拭かれながら、女将に問いかける。「結局、どういう宗派なんだ? 俺達は、不老不死の大僧正が治めてる、それなりにでかい宗派だって聞いてた。それが実際のところ、そんな仙人みてえな僧正は影も形もねえ……単なる、寄せ集めの邪教って感じだったぜ」
女将は少し間を置き、わずかに声を潜めて、少女に答えてやる。
「どこに、残党がいるか知れないから、大きな声じゃいえないけど。摩錆天言宗が凋落したのは、ここ十年の話だよ。あんたたちが妹を助けてくれたところは、落ち延びた連中のアジトみたいなもんさ。十年前までは、あの出雲六塔の真ん中に、あんたの言うような、不死身の大僧正みたいなのが、座ってたって話だよ」
「やっぱり、そういう人が、実在したんですか!?」
「あたしだって見たことはないよ。でも、当時の摩言宗の勢いはすごかった。その僧正は凄まじい仙力の使い手で、自分の認めた人間にも、不死を与えることができたんだって。不死身の身体を欲しがって、六塔の門には入信者が列をなしてたってさ」
女将の話は、キャラバンで聞いた女長老の話と一致する。もともと年寄りのいい加減な話だと思っていた赤髪は、そこで眉を寄せ、少し唸った。
「……そんな、凄え神通力の使い手が、どうして凋落する羽目になったんだよ?」
「不死を与えられるのが不死僧正なら、与えた不死を奪えるのも、不死僧正だけだからね。そこで、不死を手に入れた側近の高僧たちは、今度は不死僧正を疎むようになった……」
女将は手際よく、大海老の頭を大包丁でとんとんと落として、身のほうを油の煮立つ鍋に放り込む。そして、売り物の酒をぐびりと呷りながら、話を続けた。
「僧正さえいなくなれば、自分たちの不死を絶対のものにできるからね。それでついに、六人の側近が手を組んで、不死僧正を追放しちまったってもっぱらの噂さ」
青髪の少女はそこで箸を止め、眉をしかめて、しばし考え込んだ。
「……どこまでが、本当の話なんだろう? リッツ、どう思う?」
「俺に聞くな、お前に分からねえのに。姉ちゃん、飯おかわり」
「はいよ! あっはは、あんたら、連中の仕返しが怖いのかい? 心配いらないよ! つい一昨々日、摩言宗のアジトは、シイタケの山になって発見されたって言うからね」
「違う、ありゃ、椎茸じゃなくて、ベニテング……」言いかける脇腹に肘をくれて、咳き込む相棒を怪訝に覗く女将に、青髪が引きつった笑みを返す。
「……ただひとつ、気に入らないのは、結局、悪党を潰すのも悪党、っていうところかな。キノコって言やあ、例の、赤星一派の仕業だろうからね」
そこで二人の少女はびくりと箸を止め、おそるおそる女将の表情を窺う。そして、その言葉の響きにわずかな違和感を覚えて、赤髪が口を開いた。
「赤星、一派、だァ……?」
「やだなあ、知らないわけないだろうに。ここらじゃ、最近……」
女将の言葉が終わらないうちに、どがん! と宿場のドアを蹴破って、大柄な男が宿へのそりと入ってきた。
「おうおう、ひなびた錆びカカシどもが、今日は元気にはしゃいでいらっしゃるぜえ」
「牛の糞臭くて、たまったもんじゃありませんね、ボス」
「馬鹿野郎。農家の皆様が毎日、這いつくばって働いてくれるから、俺達が美味い飯にありつけるんじゃねえか。少しは謙虚になりやがれ、マヌケども」
宿場のドアを蹴破って、いかにも山賊風の身なりの、見たまんまのならず者達がぞろぞろと酒場へ入ってきた。
言葉を失ってうろたえる客のテーブルから、あるものは奪い取った酒の瓶をぐいぐいと呷り、あるものは若い夫婦の嫁へ抱きついたりして、まあ、悪党の見本のような行動をめいめいが取り始める。
そしてどうやらその中心、大仰な甲冑に毛皮のコート、赤い髪を逆立てた一際大きい男が、そのならず者の頭領であるらしかった。それへしなだれかかるように、肌もあらわな青い髪の女が、その片腕に自らの細腕をからめている。
「ちっ。お出ましだよ。間の悪い」
「よお、パレン。見ただろう? 今朝の島根日報。お前が憎くて仕様がねえ、摩言宗の連中をよ。ひとつ、世話になってる女将に恩返ししなくちゃあなんねえと思って……」
「皆殺しにしてきてやったのさァ。ねぇ、ビスコ? こないだのアンタも、格好よかったよォ。この大マサカリで、ばっさばっさ、坊主どもの首刎ねてさァ」
「ん、げほっ、げほッッ!」
「ちょっと、リッツ!」
「ビスコ」という響きで啜った麵が気管に入ったのか、はげしくむせ返る赤髪の少女。その背中を慌てて撫でてやりながら、なるべく顔を晒さないように、相棒が静かに顔を伏せる。
それを顔をしかめて見やる頭領の視線を引き戻すように、女将が声を張った。
「そりゃご苦労なこったね。で、また、酒やら飯やらたかりにきたのかい。生憎だけど、金もなしで出せるような飯は、もうこの宿場にはありゃしないよ」
「言うじゃあねえか、このアマ」その「ビスコ」は、女将の強気な返答に露骨に機嫌を損ねてカウンターをぶっ叩き、酒瓶をいくつも割り散らした。「てめえら錆びカカシはどうにも頭が悪くていけねえ。誰が、ここらの治安を守ってると思ってる? 野盗ども、山伏ども、危ねえやつらはいくらもいる。こんな小さな集落、いつ蹴散らされてもおかしかねえんだぜ」
そこで、ぐ、と立ち上がりかける青髪の少女を、女将がきっと目で押さえる。いつものことだからじっとしていろ、というような合図だ。
それを目ざとく見つけた「ビスコ」の女が、二人の少女のテーブルに目をつける。
「なァんだ、あるじゃない、美味しそうな飯も、酒もさ。そんな田舎のメスガキどもには飯を出せて、あたしらに出せない理由ってな、何なんだい?」
「……まあ、まあ、ミロ。見たとこ新顔さんじゃねえか。あんまり驚かすんじゃねえよ」
赤髪の大男は低俗な笑いを浮かべながら少女達へ近寄り、手近な……空色の髪の、少女の顎を、ぐい、と持ち上げた。
「それに見てみな、こんな別嬪さんが……ここいらの田舎もんなわけがねえや。なあ、嬢ちゃん。どっから来た、ん? どうだ、俺達と一杯?」
空色の少女は一度、きっ、と「ビスコ」を睨むものの、もともとの優しいその視線は、相手の下卑た笑みに吸い込まれてしまう。
一度、震える息を吐き出して、心細げに、相棒を振り返り……
「ねーちゃん。これ、ウニのやつ、もう一杯ちょうだい」
「助けろよっっ!! バカっっ!!」
その後頭部を、思い切り引っ叩いた。
頭を押さえてうずくまるその相棒とは裏腹、「ビスコ」は自分を蔑ろにされたことにひどく腹を立てたらしく、青髪を突き飛ばしてその赤髪へとずかずか歩み寄り、その首根っこを思い切り摑んだ。